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【短編】“応援する妹”なんて、もう無理だった。 ~「お兄ちゃんを誰にも取られたくない」――でも、その一言が言えなかった~

作者: 夜炎 伯空
掲載日:2026/05/30

「あれは……お兄ちゃんと、柚葉(ゆずは)ちゃん……」


 帰り道。


 楽しそうに並んで歩く二人を、あたしは電柱の陰からぼんやり見つめていた。


 肩が触れそうなくらい近いのに、不思議とそれが当たり前みたいで。


 歩幅も、笑うタイミングも。

 長い時間を一緒に過ごしてきた二人だけの空気が、そこにはあった。


 その並びは、悔しいくらいお似合いだった。


「……いいなぁ」


 ぽつりと零れた声は、自分でも驚くほど小さい。


 胸の奥が、ちくりと痛む。


 二人のこと、ずっと応援してきたはずなのに。


 お兄ちゃんの隣にいるのは――


 本当は、ずっとあたしがよかった。


 手を繋ぎたいとか。

 恋人になりたいとか。


 そんな贅沢じゃなくていい。


 ただ、今みたいに。

 ずっと一番近くで笑っていてほしかった。


 でも。


 そんなこと、妹が願っちゃだめだって。

 ちゃんと分かってる。


 分かってる……はずなのに。


   ◇


 ソファでうとうとしていたら、ふわりと肩に何かが掛かった。


「……ん」


 薄く目を開けると、お兄ちゃんがあたしに毛布を掛けていた。


「あ、ごめ……寝てた?」


「風邪引くぞ」


「へへ……ありがと」


 お兄ちゃんはそれだけ言って、キッチンへ戻っていく。


 その後ろ姿を見ながら、あたしは毛布をぎゅっと握った。


 ――お兄ちゃんって、昔からこうだ。


 あたしが寝落ちすると絶対毛布を掛けてくれるし、コンビニに行けば、何も言わなくてもあたしの好きな甘い飲み物を買ってくる。


 傘を忘れた日は迎えに来るし、怖い夢を見た夜は、眠るまで隣にいてくれた。


 きっと、お兄ちゃんにとっては“妹だから”なんだと思う。


 家族だから。

 放っておけないだけ。


 だけど――


 あたしは、その優しさを向けられるたびに期待してしまう。


 もしかして、少しくらい特別なんじゃないかって。


 そんなわけ、ないのに。


「そういえば――お兄ちゃん、今日は柚葉ちゃんと一緒だったの?」


 夕飯前、リビングへ戻ってきたお兄ちゃんに、できるだけ自然を装って声を掛ける。


「……見てたなら、声かけろよ。別にデートじゃないし」


「そうなの? 周りはみんな、お似合いだって言ってるのに」


「周りとか関係ないだろ」


 少しぶっきらぼうな返事。


 なのに、その言い方がちょっとだけ嬉しかった。


 そんな自分に気づいて、胸がきゅっと苦しくなる。


 期待したらだめなのに。


 期待した瞬間、もっと欲しくなるから――


 誤魔化すみたいに、あたしは笑った。


「でも、お兄ちゃんって柚葉ちゃんのこと好きでしょ? 小学校から大学まで、ずっと一緒なんだし」


「……腐れ縁ではあるな」


「柚葉ちゃんも、お兄ちゃんのこと好きだと思うよ?」


「――だから?」


 低い声に、肩が小さく震えた。


 本当は、もうやめたかった。


 これ以上、自分で自分を傷つけたくなかった。


 でも、ここで止まったら。

 本当に、自分の気持ちを認めてしまいそうで。


「だから、その……付き合えばいいのに――」


 一瞬、部屋の空気が静まる。


 お兄ちゃんは何も言わなかった。


 その沈黙が苦しくて、あたしは慌てて笑う。


「ほ、ほら! 前から言ってるでしょ? 推しの二人が恋人になったら、あたし幸せだなーって」


「……お前、それ本気で言ってたのか?」


「え……?」


 向けられた視線に、息が止まりそうになる。


 いつもの優しい目じゃない。


 まるで、何かを確かめるみたいな目だった。


 心の奥まで見透かされそうで、怖い。


「……俺、少し疲れたから。夕飯まで部屋いるわ」


「あ……うん」


 閉まったドアを見つめながら、あたしは胸元をぎゅっと押さえた。


 違う。


 本当は、こんなこと言いたかったんじゃない。


 お兄ちゃんが誰かのものになるなんて嫌だった。


 隣にいられなくなるのが怖かった。


 お兄ちゃんが結婚して。

 いつか別の誰かに「おかえり」って言われる未来を想像するだけで、胸が苦しくなるくらいには。


 でも。


 そんなこと、言えるわけなくて。


 だからあたしは――


 “応援してる妹”のふりを続ける。


 大好きな幼馴染の柚葉ちゃんまで巻き込みながら。


「……ほんと、ずるいよね。あたし」


   ◇


澪凪(れいな)ちゃん、最近わたしのこと“さん付け”してるよね」


「え、そ、そうかな……?」


「わたし、嫌われてる?」


「ち、違うよ!? そんなことない!」


 慌てて否定すると、柚葉ちゃんは困ったように笑った。


 昔は、自然に“柚葉ちゃん”って呼べていたのに。


 いつの間にか、あたしは柚葉ちゃんと距離を作ってしまっていた――


「澪凪ちゃんって、お兄ちゃんのこと大好きだよね」


「……うん」


 否定、できなかった。


「取られたくないんでしょ?」


「あっ――」


 心臓を掴まれたみたいだった。


 隠していたはずなのに……


「ふふ、兄妹そろって分かりやすいんだから」


「……兄妹で、こんなの気持ち悪いよね」


 言った瞬間、喉の奥がぎゅっと苦しくなる。


 でも柚葉ちゃんは、優しく首を横に振った。


「わたしね、奏真のこと好きだよ」


「……うん、知ってる」


「でもね。それと同じくらい、澪凪ちゃんのことも大好き」


「……え?」


「だから、わたしは二人を応援してる。たとえ、簡単じゃない道でもね」


「柚葉ちゃん……」


 ――勝てるわけない。


 柚葉ちゃんは優しくて、可愛くて。


 ちゃんと、お兄ちゃんの隣に立てる人で。


 それなのに。


 こんなあたしにまで、手を伸ばしてくれる。


 お兄ちゃんは、きっと柚葉ちゃんと一緒になった方が幸せだ。


 そう思うべきなのに。


 そう思わなきゃいけないのに――


   ◇


 十年前――


「れいな、大丈夫か……?」


 人気のない高台に吹く夜風は冷たく、街明かりだけが静かに瞬いていた。


 その片隅で、れいなはひとり膝を抱えていた。


「……お兄ちゃん?」


 涙で濡れた瞳が、ゆっくりとこちらを見上げる。


「どうして……ここが……」


「ここは、母さんとの想い出の場所だからな」


 まだ家族みんなで笑えていた頃。

 母さんがよく連れてきてくれた、この丘。


 ――れいなはきっとここへ来る。


 そんな気がした。


「そっか……」


 れいなが泣きながら微笑む。


「ママとの大切な場所ってことは……お兄ちゃんにとっても、大事な場所なんだよね……」


「ああ」


 細い肩が、小さく震えていた。


 強がっていても、本当はずっと怖かったんだろう。


 誰より寂しがり屋で、甘えたがりなくせに。

 れいなはいつだって、平気なふりばかりする。


 だから――放っておけなかった。


 俺はそっと、れいなの肩を抱き寄せる。


「れいな」


「……っ」


 触れた瞬間、その身体がかすかに強張った。


 まるで今まで、ずっとひとりで耐えていたみたいに。


「俺は死なない」


 その言葉に、れいなの肩がびくりと震える。


「お前を置いて、いなくなったりしない。何があっても……ずっと傍にいる」


 言葉にした瞬間、胸の奥が痛んだ。


 怖かったのは、きっと俺も同じだった。


 大切なものが消えていくことが。

 ひとり取り残されることが。

 この温もりを失うことが――怖かった。


 れいなは俯いたまま、ぎゅっと俺の服を掴む。


 まるで、離れた瞬間に壊れてしまうみたいに。


「……お兄ちゃん」


 震える声が、夜に溶けていく。


「あたしも……ずっと、お兄ちゃんの傍にいる……」


 ぽろり、と。


 れいなの頬を伝った涙が、俺の胸に落ちた。


 その小さな熱が、どうしようもなく愛しかった。


 守りたいと、心の底から思った。


 夜風が、静かに二人の間を吹き抜ける。



 ――あの時、約束したじゃないか。


 澪凪……


   ◇


「お前、最近、俺を避けてるだろ……」


「さ、避けてないし。お兄ちゃん、自意識過剰なんじゃない?」


「じゃあ、俺の目、ちゃんと見ろよ」


「べ、別に、それくらい――」


 恐る恐る、ほんの一瞬だけ視線を合わせる。


 その瞬間。


 胸が、ぎゅっと締め付けられた。


 近い。


 だめ。


 そんな真っ直ぐ見られたら、好きだって全部バレる。


「……やっぱ無理。お兄ちゃんと見つめ合うとか、恥ずかしすぎるって――」


 心臓がうるさい。


 顔まで熱くなっていくのが、自分でもわかった。


 こんなの、絶対に普通じゃいられない。


 これ以上一緒にいたら、“妹”の顔なんて出来なくなる――


 耐えきれなくなって、あたしは逃げるように自分の部屋へ向かおうとした。


 けれど。


 とっさに、お兄ちゃんが腕を掴む。


「離して……」


「嫌だ」


 低くて、真っ直ぐな声。


 昔から、その声には弱かった。


 本気で引き止められると、どうしても逆らえない。


 掴まれた手首が熱い。


 そこから鼓動まで伝わってきそうで、頭が真っ白になる。


 振り払いたいのに。


 本当は、離されたくないって思ってる自分がいる。


 そのことが、何より苦しかった。


「お兄ちゃんは……あたしと離れた方がいいんだよ……」


「お前が勝手に決めるな」


 強い口調に、肩がびくりと震える。


 泣きたくなんかなかった。


 なのに、勝手に涙が滲んできた。


「だ、だって……あたし達、喧嘩してばっかだし……っ。お兄ちゃんにとって、迷惑でしかないんでしょ……?」


 本当は。


 本当は違うって言ってほしかった。


 面倒でも。


 うるさくても。


 それでも傍にいたいって。


 そんな言葉を、期待してしまう自分が嫌だった。


「あたしだって、お兄ちゃんなんか……嫌い、なんだから……」


 最後はもう、全然強く言えなかったが――


 お兄ちゃんは力なく手を離した。


 震える唇が、自分の本音を勝手に暴いていく。


 ――お兄ちゃんを傷つけた。


 だけど、それでいい。


 あたしなんかのせいで、お兄ちゃんが苦しみ続ける方が、もっと嫌だから。


   ◇


「あれ? 柚葉ちゃんとの待ち合わせだったはずだよね……?」


 呼び出された公園には、なぜかお兄ちゃんもいた。


 あの日から、お兄ちゃんとはまともに話せていない。


 目を合わせるだけで苦しくなるから、ずっと避けていた。


 なのに。


 どうして、こんな場所で。


 嫌な予感がして、胸がざわつく。


 すると、柚葉ちゃんは、お兄ちゃんを真っ直ぐ見つめて言った。


奏真(そうま)のことが、ずっと好きでした。わたしの恋人になってくれませんか?」


 頭の中が真っ白になった。


 心臓が、嫌なくらい大きく跳ねる。


 聞きたくない。


 聞きたく、ないのに。


 耳を塞ぐ資格なんて、あたしにはない――


「柚葉……。ずっと傍にいてくれたお前が、そう言ってくれるのは、本当に嬉しい……。でも、俺は――」


「うん、わかってる」


 柚葉ちゃんは、少しだけ寂しそうに笑った。


「ほら、言ったでしょ? 澪凪ちゃん」


 そう言って、あたしの背中をそっと押す。


「澪凪? お前、なんでここに――」


「お兄ちゃん、どうして……」


「幼馴染からの助言。二人はちゃんと話し合った方がいいと思うよ」


「柚葉ちゃん……」


「ふふ。やっと“柚葉ちゃん”って呼んでくれたね」


 泣きそうなのに、柚葉ちゃんは笑っていた。


 その優しさが、胸に刺さる。


「それじゃ、頑張ってね。澪凪ちゃん――」


 去っていく背中に、あたしは深く頭を下げた。


 きっと。


 あたしなんかより、ずっと苦しいはずなのに。


「柚葉にやられたな……」


「……うん」


 沈黙が落ちる。


 でも、不思議ともう逃げたいとは思わなかった。


 柚葉ちゃんが、逃げ道ごと背中を押してくれたから。


「――なんでそんなに、柚葉と俺をくっつけようとしてたんだ?」


「柚葉ちゃんだったら、ギリ許せるかなって……」


「それって、俺が恋人を作るのが嫌だったって意味だよな?」


「……っ」


 図星だった。


 胸の奥を、そのまま掴まれたみたいに苦しくなる。


「どうして――」


 もう、誤魔化せなかった。


 柚葉ちゃんが、ここまでしてくれたから。


 ここで逃げたら、最低だと思った。


 だから、震える息を吐いて。


 ちゃんと、お兄ちゃんを見る。


「そんなの、お兄ちゃんのことが好きだからに決まってるでしょ……」


 言った瞬間、全部終わったと思った。


 兄妹なのに。


 気持ち悪いって思われるかもしれない。


 嫌われるかもしれない。


 もし拒絶されたら。


 もう昔みたいには、戻れない。


 怖くて、息が止まりそうになる。


「澪凪……」


 だけど。


 お兄ちゃんは困ったように笑って。


 泣きそうなくらい優しい声で、こう言った。


「俺もだよ」


「……え?」


「俺も、お前のことが好きだ」


 その瞬間。


 張り詰めていたものが、一気に壊れた。


 涙が止まらない。


 視界が滲んで、お兄ちゃんの顔が上手く見えない。


「兄妹だから、必死に諦めようとしてたの……」


「ああ……」


「でも、柚葉ちゃんには、全部見抜かれてたみたい」


「ずっと一緒だったもんな……」


「……そうだね」


 だから、あたしも知っていた。


 柚葉ちゃんが、お兄ちゃんを本気で好きだったこと。


 それなのに、背中を押してくれたことが、苦しくて、ありがたかった。


   ◇


 数ヶ月後――


 あたしたちは、前よりずっと自然に笑い合えるようになっていた。


 法的には兄妹のまま。


 だけど、想いだけは、もう隠さない。


 お兄ちゃんが一歩近づく。


 それだけで、呼吸が止まりそうになった。


 近い……


 制服越しに伝わる体温も、洗いたてのシャツの匂いも――


 昔から知ってるはずなのに。


 意識した瞬間、急に“男の人”なんだってわかってしまう。


 そのたびに、胸が落ち着かなくなる。


「なんで逃げるんだよ」


 耳のすぐ近くで声が落ちる。


 低い声が鼓膜を震わせるだけで、背筋がぞくっとした。


「だ、って……そんな近くに来られたら――」


「来られたら?」


 わざと距離を詰められる。


 もう、まともに顔なんて見られない。


「ま、まともに考えられなくなるから……」


「……かわいい」


「か、かわいい?!」


 一瞬、本気で息が止まるかと思った。


 熱が一気に顔へ集まっていく。


 だめ。


 そんなふうに甘やかされたら、余計に好きになってしまう。


「澪凪」


「……なに?」


 名前を呼ばれる。


 それだけで胸が跳ねる自分が悔しい。


「もう“応援”とかするなよ」


「……うん」


 今なら、素直に頷ける。


 お兄ちゃんが誰かのものになる未来なんて、もう考えたくなかった。


 そう言って、お兄ちゃんはそっと額にキスを落とした。


 触れられた瞬間。


 胸の奥が、じんわり熱くなる。


 嬉しくて。


 幸せで。


 苦しかった時間まで全部報われた気がして。


 少しだけ、泣きたくなるくらいに。


 それでも今度は、ちゃんと笑えた。


 ――兄妹だから、諦めるしかないと思ってた。


 でも。


 好きになった心だけは、どうしても嘘にできなかった。


 だからあたしは今日も、この人を好きでいる。

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― 新着の感想 ―
安易に義妹に逃げないところが素晴らしいなと感じました。
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