今度こそバーに行こう、と彼は言い
『正解は中禅寺湖、ということで青チームに10ポイント~!!』
ピンポーン、と間の抜けた正解音。飲み屋にしては立派な大画面で、知らない俳優とアイドルと芸人がハイタッチで喜びを分かち合う。空調でびらびら揺れるメニュー表は謎のゴシック体で、いかにも安居酒屋って感じだった。いや安いからいいんだけど。こういうの好きだし。
でもさあ、と今日何度目かの溜め息を胸の中で吐く。
もう何度かサシでご飯行ったことのある相手でしょ。それが、これまでの「ご飯いかない?」を「飲みにいかない?」に変えて誘ってきたら、そりゃあさ。ネイル綺麗にして、一軍の服も着てくるじゃん。なんなら正直タイプだし、そういう関係も大歓迎だし、なんかもうバーとかフレンチとかそういうちょっといい雰囲気のところ行って、そういう流れになるのかなとか、思うじゃん。正直期待したよ。
チェーンの串カツて。
「――葉室さん、最近なんか楽しいことあった?」
「なんちゅう質問だよ」
私の即レスを物ともせず、野々井はつまみ上げたタコさんウインナー串をゆっくりと口へ運んだ。いや「はて?」じゃないんだよ。僕は何を言われているんでしょうかの顔をするんじゃない。こちらの台詞です。
「……いや、なんか気合入ってんなと思って」
それだけ言って、串にこびりついた衣の端っこまで丁寧にかじり取っていく。
「何が? 仕事?」
訊くと、串をついばみながら、緩く首を横に振る。竹の筒に溜まっている串ははっきりと二種類あった。衣の端っこがついたままの私の串、綺麗にしゃぶりつくされた野々井の串。雑多に交じり合ってたっぷり二時間分。結構おなかいっぱいだな。
本当に酒ですかと疑いたくなるくらい透き通ったハイボールで油を流し込んで、野々井は小さく首を傾げた。
「いや、ネイル」
明日雨らしいね、みたいな温度の台詞だった。
「綺麗にしてるなと思って」
おう、と中途半端な相槌が勝手に口をつく。卓上で緩く組んだ指先に視線が落ちた。
なんだよ。見てたのかよ。
「――いいっしょ」
バットの上に伸ばした指をかざす。やさしいオレンジピンクに、ささやかなゴールドのワンポイントパーツ。華やかだけどけばけばしくはないちょうどいいところ。高級なチョコレートみたいだな、と見るたびちょっと思う。
「すてきじゃん」
ぴく、と心臓が跳ねるのをやり過ごす。
「ね。ピーチカラーっていうらしい」
「へえ。あれだ。黄桃だ」
「そ」
「いいじゃん」
「いいっしょ」
身のない会話はそこで途切れた。
手を引っ込めがてらバットの上のエビ串を回収して、取り皿のソースの沼に着地させる。バレないように細く息を吐く。正直ちょっと心臓バクバクした。なんだよ。急に正しい観察してくるなよ。動揺するだろ。
野々井は黙々とさつまいも串を食べ進めていく。元バレー部だけあってそれなりにがっしりしてはいるのに、指揮棒でも構えるように串をつまむ指は長いし、爪の形はちょっとムカつくくらい整っている。
「野々井もネイルしたら?」
「したいねえ」
意外にもあっさり頷くと、衣のかけらも残っていない串をほぼノールックで竹筒に収めた。
「どうせなら派手にしたいよねえ」
「金ピカ?」
言った途端、え、とほんのり眉が下がった。ダメかよ金ピカ。派手だぞ。
「金ピカはちょっと……うーん。別にダサくしたいとは言ってなくて……」
「えぇ? 金ピカ別にダサくないよ」
「いや、うーん……。なんだろ。あの、大富豪の家のトイレのフタみたいになりそう」
「……大富豪の家のトイレのフタ?」
浮かばなすぎた。
「うん」
そうなのか? 大富豪の家のトイレのフタって金ピカなのか?
「あのー、ほら。壁とかも金ピカでさ。顔が映り込むみたいな。つやっつやに磨かれてて」
「あ、そもそも金でできてるみたいな感じ?」
「そうそう」
「つやつやの表面のやつね?」
「そう」
「あー分かった。えーと、違う。つやつやじゃない。ラメ。金箔というより叶姉妹のドレス」
「あー! はいはいはい。オッケー。伝わった」
伝わるんかい。
「ビヨンセみたいなやつね」
「そうそう」
「めっちゃ伝わった」
……ビヨンセって金箔っぽいドレスも着てそうじゃないか⋯⋯?
相槌を打ったあとで無駄に気になりはじめた。そう考えると叶姉妹も金箔っぽいドレス着てそうな気がしてきたけど、今更だから脇に置いておく。うっかり思い浮かべたがために脳内でぎらぎらに輝き出した歌姫と姉妹にお帰りいただくべく、手元のジョッキをあおった。
町中華のお冷の方が酸っぱくないですか、みたいなレモンサワーが粗方なくなって氷だけになる。いつの間にか110対30と大差のついたクイズ対決は「最終問題だけ1問100ポイント」というしゃらくさいお約束に突入していた。こうなったらどっちが100ポイント取ったって面白くはない。早押しボタンが鳴った瞬間に突然画面がモノクロになって「TO BE CONTINUED」って出るくらいのどんでん返しでもないことには消化試合だ。
「――やっぱ金ピカはやめとこうかな」
まあまあたっぷり考え込んでから、野々井はぽつりとそう言った。
「えー。パンチあるのに」
「パンチあるけど。でも、彼氏の爪が金ピカだったら嫌じゃない?」
彼氏。
「ほ」
思ってもみないひらがなが飛び出た。自分でびっくりした。「ほ」? 「ほ」って言った私?
「――ほーう? 彼氏ぃ?」
精一杯のゴシップ好きおばさんトーンで言い足してみましたがこれはリカバリーになったんでしょうか。どうしよう。あんまりよくなかったかも。なんか、そういう差別意識のあるやつに見えるかもしれない。違うんだマジでそういうのじゃなくて、違って、急に目の前ののんびりした男から彼氏とかいう単語飛び出したからびっくりしただけで、マジで、違って。
「あ」
少し遅れて「やべえ」的な顔をした野々井がさっと両手を上げた。
「俺はいないよ。彼氏」
「……あ、そう」
「いないし、別にあの、そういう恋愛の形を否定するものでもない」
「あっ、うん」
冷静な弁明だった。心配したような誤解はなさそうでひとまず安心した。安心したし、後半の断りをしっかり付け足した感性が少しくすぐったくて微笑ましい。
「大丈夫。わかる。私もそう」
「ごめんややこしいこと言って」
「いや全然」
てかそれって彼氏いないけど彼女はいるってことかな、とうっすら思いながら、何の気なしにメニューに目をやった。おなかはいっぱい。
でもまあ、これ前座じゃなくてメインなんだよな。
このあとなんにも起こらないなら、もう一杯くらい飲んでもいいか。
「……葉室さんはいいの?」
徐に野々井が言った。妙に真剣だった。
「何が?」
「彼氏が金ピカネイルでも気にしない?」
全然、と即答すべきか迷って、結局少し考えこむ。考えこんでるうちにいつの間にか、ハイボールのジョッキに添えられた指先に目がいっていた。形のいいそれが金色に塗られ、私の肩を抱いてきらきらと光るのを想像する。きらきらというか、ぎらぎらと。
うーん。
叶姉妹みたいなビヨンセみたいなネイルをきらめかせる彼氏⋯⋯。
「⋯⋯見慣れるための時間は欲しいかなあ」
「はは」
溜め息を吐くみたいに野々井が笑う。じゃあ、と言って、少しばかり緊張したように目を伏せた。
「金ピカネイルにしたら見慣れてくれる」
疑問符は溜め息みたいにかすかだった。
答えを待ってるのが分かる。じっと向けられたまなざしにぶつかる。おいおい、と脳裏の自分が言った。おいおい。そうじゃん。これはそうじゃんよ。チェーンの串カツだしうっすい酒だしジョッキだし、なんか今よく見たら野々井の背後にソフトクリームメーカー用のコーンが箱のままふたつもそびえ立ってるけど、そんな空間だけど、これは、そうじゃんよ。
最終問題100ポイントってこと?
「――そうね」
まあ、と気持ち助走をつける。
「野々井ならいいよ」
野々井の大きな目が、ゆっくりとまばたきをした。
「⋯⋯ほんと?」
「うん。綺麗な爪してるし。どんなネイルでも似合うと思う。見慣れる自信あるね」
「ふうん」
しげしげと自分の爪を見つめて少し笑む。
「じゃあ、おすすめでって言おうかな」
「お、いいじゃん」
「いいでしょ」
くすりと笑いあったところに店員さんが通り過ぎ、野々井はがっしりした肩幅をその場で小さくちぢこませた。ハイボールは今にもなくなりそうだった。
「ねえ」
「ん」
「今夜まだ時間ある?」
ぴたっと動きを止めた野々井が、ゆっくりゆっくり頷いた。
「明日休みだから、いくらでも」
「じゃあ付き合って」
「⋯⋯うん」
ひゅっと息を吸い込む。
「てか、付き合って」
自分で言っといて息止まりそうだった。勘違いでないことだけを祈った。
野々井のまばたきがスーパースローで見えた。
「――もちろん」
生真面目に答えた野々井が、少し遅れてはにかんだ。
「⋯⋯ははっ」
なんか全部が許されたような気持ちになって、気づいたら周りの喧騒が二割増くらいで戻ってきていた。聞こえてなかったんだ、と遅れて分かった。
緊張が解けて、胸の底から笑みが滲んでくる。
「よーし。じゃあ夜を明かしちゃおう」
「ありがとう。⋯⋯俺もうれしい」
「それは何より。じゃ、まずこの段階でチェーンの串カツ屋を選んだ理由を聞こうか」
「えっ」
「えっじゃないのよ」
お馴染みの「はて?」の顔で野々井は言った。おい。またか。
「嫌とかじゃないけどさ。⋯⋯ていうか、こっちが気合入ってるの気付いてたくせに」
がっつりめのシンキングタイムが入る。やっと気づいたらしい野々井は、「んぇ」となんとも言えない声を漏らした。五十音にない音だ。
「⋯⋯あっ、俺のため?」
「そうですけど」
「あー……」
ごめん、と言ってから、野々井は恥じるように苦笑した。
「いや、この前『次回は安居酒屋で豪遊しよう』って言ってたから……」
「……ほんとマジでごめん」
私か。やってたの私か。マジか。
でも言った。確かに。初めてのバーは何回行っても緊張するよねって話の流れで、冗談めかしてではあったけど、言った。
思い出した。
「完全に忘れてた⋯⋯」
「満ちた? 安居酒屋欲」
「満ちた。満ちたし、おなかもいっぱい」
――で、私が忘れてたそれを律儀に守ってくれたわけだ。このネイル男は。
「はは、よかった」
穏やかに笑っちゃってさ。
「――行こうか」
すいません、と声を張る。店員さんがやってくる。
野々井が小さくちぢこまる。
fin.




