換皮(かわ)
換皮の儀:剥ぎ取られる輝き
重厚なマホガニーのデスクが、部屋の空気を圧迫していた。とある芸能事務所、社長の机の前に30代の女性が立っていた。彼女の名は玲子。かつては看板女優として一時代を築いたが、今はその地位が脅かされつつあった。
「玲子、明日からお前のマネージャー兼運転手の高木だがな、新人のミナに付けることにしたよ」
社長は玲子から視線を外し、デスクの上の車のキーを無造作に脇へ追いやった。そこには、次の売り出し候補である10代の新人女優、楠木ミナの資料が広げられている。
「……高木を、ですか? 彼はデビュー当時から私の専属です。彼なしで、現場への送迎はどうなるんです?」
玲子の声がわずかに震えた。長年連れ添った手足をもがれるような感覚だった。
「電車かタクシーを使ってくれ。それとも、自分で運転するか? ミナはこれから分刻みのスケジュールになる。専用車と機動力は、今一番勢いのある人間に必要なんだよ」
若さという絶対的な価値の前に、玲子の実績はあまりにも無力だった。玲子は無言でミナの写真を見つめた。
「……分かりました。でも、若さなんて、ただの『皮』一枚のことでしょう?」
そう言って 社長室を後にした。
その夜、玲子はミナを自宅に招いた。先輩からの演技指導という名目に、疑いを持つ者はいなかった。
地下の防音室で。玲子は震えるミナを見下ろしていた。手には鋭利なメスが握られている。これは単なる嫉妬ではない。生存をかけた捕食だ。
「痛いのは最初だけよ。すぐに、私があなたになってあげる」
玲子の手際はおぞましいほど鮮やかだった。絶叫は防音壁に吸われ、鮮血が床を赤く染める。彼女は丁寧に、まるで衣装を脱がすようにミナの肌に刃を入れ、若々しい表皮を剥離していった。そして、自らの老い始めた皮膚もまた、惜しげもなく剥ぎ取っていく。
薄暗い部屋の中で、生々しい「交換」が行われた。玲子はミナの皮を身に纏い、自分の皮をミナの肉体に押し付けた。それは医学を超えた、執念という名の魔術だった。
数日後、事務所のドアが開いた。
「おはようございます、社長!」
入ってきたのは、輝くような肌を持つ少女だった。その声色、その笑顔はミナそのものだ。しかし、その瞳の奥には、長年業界を生き抜いてきた玲子の、冷徹で昏い光が宿っていた。
「……ミナか? 何か雰囲気が変わったな」
社長の言葉に、彼女は艶然と微笑み、口元を歪めた。
「ええ。皮一枚、剥けましたから」
換皮の儀:剥奪された若さの輪廻
数日後、静寂を破る轟音と共に、社長室の重厚なドアが乱暴に開かれた。
社長室に女性が怒鳴り込んでくる、それは玲子、事務所に所属する女優 長嶺玲子だった。
しかし、かつて「看板女優」として君臨した威厳は見る影もない。髪は振り乱れ、彼女の目は血走り口元に泡を吹いていた。顔の皮膚はどこか不自然に引きつり、まるでサイズの合わない衣服を無理やり着せられたかのように歪んでいる。
「社長! 助けて! 話を聞いて!」
背後から玲子を押さえる男性社員を引きずりながら、彼女は社長に訴えかける。
「ミナ、わたしはミナ、アイツ、あの女に体を奪われた、社長アイツは今どこですか?」
悲痛な叫び声が室内に木霊する。そう言うと玲子はその場に泣き崩れた。
だが、デスクの奥に座る男は、冷ややかな目でその姿を見下ろしていた。
デジャヴを見ているような気がしていた。
ゆっくりと煙草に火を点けながら、彼は過去の記憶を手繰り寄せる。
15年前、当時事務所に所属していた今の玲子と同じ30代の女優が、同じようにここに怒鳴り込んできた事があった、彼女の主張もまた「自分が(当時新人の)玲子だ」というものだった。
あの時、新人の「玲子」は、一夜にして不自然なほど妖艶な演技力を身につけ、トップスターへと駆け上がっていった。
「若さなんて、ただの『皮』一枚のことでしょう?」
去り際に彼女が残した言葉が、呪いのように社長の脳裏に蘇る。
社長は煙を吐き出し、静かに内線電話の受話器を取り上げた。
「……警備員か? 取り乱した女優がいる。また『15年前と同じ施設』へ送ってやりなさい」
彼は床に這いつくばる「元・ミナ」であり、今は「抜け殻の玲子」となった女を見下ろして呟いた。
「残念だが、君は『ミナ』ではない。少し休むといい」
換皮の儀:若き捕食者の凱旋
「電車かタクシーを使ってくれ。それとも、自分で運転するか? ミナはこれから分刻みのスケジュールになる。専用車と機動力は、今一番勢いのある人間に必要なんだよ」
社長がかつて玲子という「抜け殻」に放った冷酷な言葉が、楠木ミナの姿をした今の私の脳裏に蘇る。若さがないというだけで切り捨てられた、あの屈辱。
「ふざけんじゃねーぞ!」
私は思わず、手に持っていたミネラルウォーターのペットボトルを壁に向かって叩きつけた。プラスチックがひしゃげる鈍い音が、狭い個室に響く。
「な、何かありましたか?」
慌てたように撮影スタッフがドアの向こうから声をかけてきた。ここは都内のCM撮影スタジオ。私は今、若手No.1女優として丁重に扱われている。
「何でもないです、ちょっと転んじゃいました」 「大変じゃないですか、入っていいですか?」 「い、今は入らないでください、大丈夫ですから」
私は慌てて声を張り上げ、散乱した水をティッシュで拭き取りながら表情を取り繕った。 危ない、危ない。ふいに一人になって嫌な記憶が私を30代の古株女優に戻しかけた。
(私が自分で現場へ行く? ……ありえない)
鏡に映る張りつめた10代の肌を見つめ直す。送迎されるのが当然だ。欲しいものがあれば周りの人間が持ってくるのが当たり前だ。マネージャーも付けずに現場に来いだと? 誰が私の靴を揃えるの?
トントン。 控え室のドアがノックされた。
「高木です、コーヒー買ってきたよ」
入ってきたのは、かつて玲子の専属だったマネージャーの高木だ。彼は今、**「新人のミナに付ける」**という社長の命令通り、私の世話を焼いている。以前と変わらない生活。しかし、向けられる視線はかつてより遥かに優しい。それが続いていた。
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「潤い続け 私の瞳」
スタジオの照明を浴び、私はカメラに向かって完璧な微笑みを向けた。
「カーット!」 「チェックしまーす」
スタジオが静まり返る。モニターを覗き込むスタッフたちが息を呑む気配が伝わってくる。
「……ゴメン、ミナちゃん、ホントゴメン」
50代の撮影監督が、申し訳なさそうに頭をかきながら近づいてきた。
私は笑顔を崩さず、上目遣いで監督を見つめる。 「何か不手際がありましたか?」
「イヤー、1発目でこんなにいい画が撮れると思ってなかったから、ミナちゃんのスケジュール半日も抑えちゃった。
だけどさー、俺の中でオッケー出ちゃったんで、これにて撮影終了です!」
そう言って監督は、自分の頭を拳でコツンと叩き、舌を出すジェスチャーをして見せた。
「嬉しいです、ありがとうございます!」
私は安堵の表情を作り、少女のように無邪気に喜んで見せた。 腹の底で舌を出す。私にかかればこんな仕事はあっという間だ。NGを連発するだけの本当のミナとは違う。これは、実にコスパのいい仕事だ。
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撮影後、高木の運転する送迎車で、私は後部座席に身を預けていた。 窓の外を流れる東京の街並み。平日の日中、あわただしく働く人々で溢れている。
「高木さん、次の現場は何時から?」 「いや今日は終わり、CMで半日押さえられてたからね、ほかの仕事入れとけばよかったなー」
優しげな高木の声に、私はガラスに映る自分の顔を見ながら、冷たく微笑んだ。
(若さという『皮』一枚で、世界はこんなにもイージーモードになるのね)
私は窓の外のあわただしく働く人々を一瞥してから瞳を閉じ、奪い取った若さと特権の蜜を、ゆっくりと味わった。
換皮の儀:朽ちゆく内側と進化する悪意
数週間後、テレビ局の廊下でその事件は起きた。 精神が安定したと判断され、施設から退院して女優業を再開していた「長嶺玲子」(中身はミナ)が、不意に現れたのだ。
若さを奪われた玲子がミナのもとにやってくる。 その瞳には、かつての輝きはなく、ただ憎悪だけが濁った色で渦巻いていた。
「返せ……私の、私を返せ!」
獣のような唸り声を上げ、爪を立てミナに襲いかかる玲子。鋭く伸びた爪が、ミナの(かつては自分のものだった)滑らかな頬を裂こうと迫る。 周囲の悲鳴。しかし、ミナの反応は冷徹だった。襲いくる腕を紙一重でかわすと、揉み合いの中、ミナは玲子の前髪を根元から掴み、強引にその顔を引き寄せた。
至近距離で睨み合う二人。若く美しい「ミナ」の顔をした怪物は、老いさらばえた「玲子」の耳元で冷酷に囁いた。
「ドラマの撮影現場で何十回もNG出したそうじゃないですか、長嶺玲子の名に泥を塗らないでくださいよ先輩」
その言葉は、鋭利な刃物以上に深く、元・ミナの心を刺し貫いた。奪われた若さへの執着よりも、「自分はもう『玲子』としても通用しないのだ」という絶望的な事実。
玲子の瞳から急速に光が失われていく。 争う物音に気付いたスタッフが仲裁する頃には、彼女はもう抵抗すらしなかった。ただ虚空を見つめ、壊れた人形のように震えるだけだった。
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騒ぎが収まり、スタッフに囲まれながら、ミナは肩で息をしていた。 「ミナちゃん、大丈夫!?」「救急車を!」
「だ、大丈夫……です。少し、驚いただけ……」
気丈に振る舞うが、ほんの数分の争いでミナは息が上がってまともに呼吸ができない。心臓が早鐘を打ち、肺が焼けつくようだ。
自身の胸元を抑えた手が、小刻みに震えている。 その時初めて、皮は10代のものだが、その内側は50に近づいていることに気がつく。 15年前、前の「玲子」の皮を被った時(当時30代半ば)。そして今、さらに15年を経て「ミナ」の皮を被った私。魂とも呼べる内側は摩耗し、確実に衰え始めていた。
(ああ、そうか……。皮だけ変えても、エンジンが焼き切れそうなのね)
スタッフの声が遠ざかっていく。 薄れゆく意識の中で、彼女は恐怖するどころか、新たな野望に唇を歪めた。
次は内側も変える必要があるわね。記憶の入れ替え? 脳の移植?
今の医学では不可能かもしれない。だが、皮を完全に剥ぎ取り定着させる「換皮」の儀式すら成功させたのだ。
(……あと15年、時間はある)
この新鮮な皮が賞味期限を迎えるまでにわ。 換皮の施術を確立した私ならきっとできる、そう思った。
ミナは心配するスタッフの腕の中で、天使のような寝顔を見せながら、その深淵で次なる禁忌の青写真を描き始めていた。
換皮(完)




