第11話 失敗しなかったひと
現場は、倉庫だった。
人の出入りは少なく、
使われていない区画が多い。
倉橋は、入口付近で立ち止まった。
犬は、足元に座っている。
吠えない。
落ち着いている。
問題は、犬ではなかった。
倉庫の中央に、
人影が二つある。
一人は、若い男。
もう一人は、――何か。
形は、人に近い。
だが、輪郭が一定しない。
床に落ちる影が、
途中で途切れている。
倉橋は、距離を測った。
帰還紋が反応する。
送り先は、明確だ。
初見ではない。
既に送還実績のある世界。
エネルギー効率も、問題ない。
処理条件は、揃っている。
「……あんた、誰だ」
若い男が、倉橋に気づいた。
声は震えているが、
理性は保っている。
「それは、こちらの質問です」
倉橋は、淡々と答えた。
「こいつが、急に現れて……」
男は、隣の存在を指した。
それは、こちらを見ていない。
視線の概念が、曖昧だ。
異世界由来の存在。
召喚事故に近い。
倉橋は、判断を変えなかった。
送還対象は、そちらだけだ。
「下がってください」
男は、素直に数歩下がった。
恐怖はある。
だが、混乱はしていない。
倉橋は、腕を上げる。
帰還紋が、起動する。
向きは合っている。
光は、弱い。
空気が、わずかに歪む。
影が、引き延ばされる。
異世界の存在が、
一瞬だけこちらを向いた。
音はない。
次の瞬間、
そこには何もなかった。
床に落ちていた影も、消えている。
倉橋は、腕を下ろした。
処理は、完了している。
「……消えた?」
若い男が、周囲を見回す。
「はい」
それ以上、言うことはない。
「助かった……のか?」
「生存に関わる問題は、解消されています」
事実だった。
倉橋は、端末を操作する。
処理結果を記録する。
――送還処理、完了。
エラー表示は、出ない。
犬が、倉橋を見上げた。
問題ない、という反応だ。
帰り際、
倉橋は、足を止めた。
床の隅に、
小さな歪みが残っている。
目を凝らさなければ、分からない。
世界が、僅かに遅れている。
倉橋は、数秒見てから、視線を外した。
戻る途中、
端末が短く振動した。
通知が一件。
処理結果、確認。
倉橋は、立ち止まらなかった。
事務室に戻ると、
既に報告書の雛形が生成されていた。
送還。
正常終了。
だが、最下段に
見慣れない一文が追加されている。
付記:周辺環境への影響、要経過観察。
倉橋は、その文を消さなかった。
消せば、問題になる。
残しても、問題になる。
どちらでも同じだ。
犬が、机の下で伏せる。
倉橋は、椅子に座った。
今日は、何も失敗していない。
それでも、世界の反応が、遅れている。
倉橋は、端末を閉じた。
失敗はしていない。
ただ、
処理のあとに残るものが、
少しずつ増えている。
それだけだった。




