第九話 夕暮れの分かれ道と、届かない「あの日」の約束
ゲームセンターの喧騒を後にした三人の影が、夕暮れ時の道に長く伸びていました。
「あー、笑った笑った! ひよちゃんのあんな大胆なハグが見られるなんて、今日は命の洗濯ができた気分だよ」
月菜は相変わらずスマホをいじりながら、満足げに隣を歩いています。画面にはきっと、さっきの「決定的瞬間」が映っているのでしょう。
「…… 月菜ったら、本当にお節介なんだから。あと百年は禁句よ」
日和は、遙斗に取ってもらったクマのぬいぐるみを抱きしめたまま、頬を膨らませました。
「じゃあ、私はこっちだから。二人は仲良く帰るんだよ? 『変なこと』しちゃダメだよー!」
「す、するわけないじゃない!」
分かれ道に差し掛かると、月菜はニヤニヤしながら手を振って去っていきました。 残されたのは、日和と遙斗の二人だけ。オレンジ色の街灯が灯り始め、辺りは急に静かになります。
「……本当、月菜には振り回されっぱなしね」
沈黙に耐えられず日和が口を開くと、遙斗がふふっと喉を鳴らしました。
「でも、月菜がいてくれて良かったよ。一人じゃ、あんなに粘ってクレーンゲームやらなかっただろうし。……日和が喜んでくれて、おれも嬉しいよ」
「……別に。あんたが勝手にやったことでしょ。……でも、まぁ、ありがと」
素直になれず、日和はそっぽを向きました。 さっきのハグの余韻で、心臓はまだ落ち着きません。
けれど、ふと不安がよぎります。 数年前までの遙斗は、もっと無邪気に「将来は結婚するんだもんな!」なんて笑って言っていました。けれど、最近の遙斗は日和の前で、あの約束の話をぱったりとしなくなったのです。
(……遙斗にとって、あの約束はもう、成長と共に捨ててしまった『子供の冗談』なのかな。私だけが、あの日からずっと止まったままなのかな?)
日和の歩幅が、少しだけ遅くなります。
「……ねぇ、遙斗。あのさ……」
「ん?」
「……昔のこと、どれくらい覚えてる?」
勇気を出して聞いた問いに、遙斗は少し考え込むように視線を上げました。
「昔のこと? あー、公園の砂場で日和が作ったお城を、自分で踏んづけて潰しちゃったこととか?」
「……っ、そういうんじゃなくて! もっと、大事なことよ!」
「あはは、ごめん。……大事なことかぁ。おれ、子供の頃はバカだったから、パッと適当なこと言ってたし、結構忘れていると思う。日和に怒られたこと以外はさ」
遙斗はそう言って、おどけるように笑いました。 その笑顔が、今の自分には少し遠く感じられて、日和の胸がチクリと痛みます。
(……やっぱり。忘れちゃってるんだ。あんなに当たり前に言っていたことも、今はもう、思い出の中にもないんだ……)
日和が俯くと、遙斗がひょいと顔を覗き込んできました。
「……日和? 何か、思い出してほしいことでもあった?」
「……何でもないわよ。あんたに期待した私がバカだったわ。……ほら、早く帰るわよ!」
日和はクマのぬいぐるみを盾にするように抱き込み、早歩きで遙斗を追い越しました。
「えー、何だよ。教えてよ日和ー!」
後ろから追いかけてくる遙斗の声。 日和は心の中で「バカ遙斗……本当にバカ……」と繰り返しました。
けれど、日和はまだ気づいていません。 「最近、約束を口にしなくなった」のは、遙斗が忘れたからではなく、その約束が彼の中で「冗談」から「本気」に変わってしまったからだということに。 追いかける遙斗は、カバンの奥にある思い出の品をそっと指先でなぞり、切ない瞳でその背中を見つめていました。




