第十七話 夕暮れの宣戦布告と、譲れない「特別」
月菜に一喝され、覚悟を決めた遙斗。しかし、その翌日の放課後、彼を呼び止めたのは日和ではなく、さらなでした。
「遙斗くん、少しだけ時間をくれないかな。どうしても、伝えたいことがあるの」
人気のなくなった夕暮れの校舎裏。さらなは腕を組み、どこか挑戦的な笑みを浮かべて遙斗の前に立っていました。けれど、その瞳だけはいつもの余裕がなく、必死に揺れています。
「さらな、おれは……」
「わかってる。遙斗くんが、あの日和ちゃんっていう鈍感な子のことしか見てないことくらい。……でもさ、あの子、遙斗くんのことを全然信じてないよね? いつまで経っても逃げてばっかりで、見ててイライラしちゃう。私なら、遙斗くんをそんな風に一人で悩ませたりしないのに」
さらなは少し意地悪く口角を上げると、一歩、遙斗に歩み寄りました。
「ねぇ、私じゃダメかな? あんな泣き虫で頼りない幼なじみ、もう放っておいて、私と付き合ってよ。私の方が、遙斗くんを幸せにできる自信あるよ?」
真っ直ぐで、けれどどこか日和を否定することで自分を肯定しようとする、さらななりの必死な告白でした。 少し前の遙斗なら、その勢いに言葉を濁していたかもしれません。けれど、今の彼の心に、迷いは一ミリもありませんでした。
「……ごめん。おれの隣にいてほしいのは、さらなじゃない」
遙斗は、さらなの目をしっかりと見て、静かにはっきりと答えました。
「日和がどれだけおれを信じられなくても、おれはあいつを信じてる。日和が泣き虫なのも、頼りないところがあるのも、全部含めておれの『特別』なんだ。……さらなの気持ちには、応えられない」
「…………」
さらなは一瞬、顔を引きつらせましたが、やがて「ふん」と鼻で笑って視線を逸らしました。
「……あっそ。本当に救いようのないバカだね、遙斗くんは。あんな扱いにくい子のどこがいいんだか」
さらなは指先で乱暴に目元を拭うと、背中を向けたまま、少しだけ意地悪く、けれど促すように言いました。
「……いつまでここにいるつもり? さっさと行けば。早くしないと、あの子、本当にどっか行っちゃうよ。……私にチャンス、あげたくないでしょ?」
「……あぁ。ありがとな、さらな。……じゃあな!」
遙斗は、一度も振り返ることなく駆け出しました。 向かう先は、日和が一人で泣いているかもしれない、あの場所。
その頃、日和は校門近くの桜の木の下で、ぽつんと立ち尽くしていました。 ここは10年前、二人が指切りをした場所。 「もう、ここに来るのも最後にしなきゃ……」 そう思って、思い出を捨てに来たはずなのに、足が動きません。
「……日和!!」
遠くから、自分の名前を呼ぶ、ひどく切実な声が聞こえました。 肩を上下させ、必死な形相で走ってくる遙斗の姿が見えたとき、日和の瞳から堪えていた涙が溢れ出しました。
「……なんで、来るのよ……。もう、放っておいてって言ったじゃない……!」
「放っておけるわけないだろ! 日和、おれの話を聞け!」
遙斗は日和の肩を掴み、逃げられないようにその瞳を見つめました。 10年前から今日まで、一度も変わることのなかった、熱くて真っ直ぐな瞳。
「おれは、あの約束を忘れたことなんて、一秒だっていっぺんだってない!」
「嘘よ……! だって昨日、忘れちゃったかもなんて……あんなに楽しそうに笑って……!」
「あれは……照れくさかっただけなんだ。あの日、お前に指切りしてもらったことが、おれの中で大きくなりすぎて……大切すぎて。今の、ガキじゃないお前に、なんて言っていいか分からなかったんだよ」
遙斗は震える手でカバンの奥を探り、一通の古びた封筒を取り出しました。中から出てきたのは、半分に折られた画用紙。そこには、幼い字で『はるととひより、けっこんします』という文字と、不器用な二人の似顔絵が描かれていました。
「……これ」
日和は目を見開きました。それは10年前、指切りをした後に二人が「結婚証明書」だと言って遊びで書いたものです。
「おれ、これずっと持ってたんだ。……日和、さらなにも誰にも、おれの隣は譲らない。おれが好きなのは、ずっと前からお前だけなんだよ」
桜の木の影が二人の足元に長く伸びています。遙斗の声は、もう震えていませんでした。
「おれと、付き合ってくれ。もう一度、今の、本当の約束をさせてほしい」
日和の視界が涙で激しく歪みます。不安だったこと。さらなが怖かったこと。遙斗が遠くに行ってしまうと思ったこと。そのすべてが、遙斗の真っ直ぐな言葉によって溶かされていきました。
「……バカ……本当にバカ……。遅すぎるわよ……っ」
日和は、遙斗の胸に顔を埋めて泣きじゃくりました。遙斗は愛おしそうに、けれど今度は壊さないように優しく、日和を抱きしめました。
「ごめん。……でも、もう絶対に離さないから」
少し離れた校舎の影。 そこでは、月菜がスマホを構え、画面を涙で濡らしながらも、しっかりと二人の姿を動画に収めていました。
「……ったく。やっとかよ、バカ二人組」
月菜の呟きは、祝福の風に乗って夕暮れの空に消えていきました。




