8.心に向き合う
王都に戻って早々、執務室の扉を開けた瞬間、ヴェラリアは目を疑った。
「わぁあーーん、ヴェラリアぁ!待ってたよーー!もう、仕事がおわんなくてえぇぇ……!」
「助かりました。本当に。今日からまた、お願いします。……はい、まずこちらを。」
ダンテ室長とマロンに半ば泣きつかれながら、ドサッという重い音とともに、机の上に顔が隠れるくらいの高さの書類が積まれたのだった。
それから暫くして、怒涛の業務もやっと落ち着いた頃、私はとある高貴な方にお茶に誘われた。
そして今まさに、優雅にティータイムを楽しんでいるところーーー
(って楽しめるかーーー!王太子の婚約者なのよーーー!)
「ヴェラリア、その後どう?」
エマ・カタリエルは美しい所作で紅茶を飲み、静かにカップをソーサーに戻しながら問いかけた。
("その後"、とはどの後?)と頭に疑問符が並んでいると、エマが続けた。
「その調子じゃ何もないのね。いいわ、また私が力になってあげる。」
そこでピンと来た。
パーティで恋のキューピッドになりたいと言っていたアレだ。あの時紹介されたのがアーキルだったが、まさか本気だったとは。身分も、能力も、人格さえ、天と地ほど差があるというのに。
「いえ、エマ様。恐れ多く思いますが、私に縁談の協力など必要ありません。」
「まあ、何故?」
エマは穏やかな表情のまま問い返す。
「私では、彼に釣り合いません。」
ふうん、と少しだけ表情を和らげたエマは、ひとまず言い分を聞こうとヴェラリアの方へ姿勢を整えた。
「アーキル様は…とても素敵な人でした。カリスマとはあの方のためにある言葉だと思うほど、才能と努力の塊です。でも私は普通なんです。素晴らしい方には、素晴らしい方が相応しい。」
エマはわずかに頷いてから真面目な声色で答えた。
「貴女の言いたいことは分かるわ。王族の婚約者候補だって、階級である程度切られますからね。でもね、本気で恋をしたら、私だって、いつかリチャード殿下に振られる可能性もあるのよ?」
「っ……そんな……」
一瞬、言葉を飲み込んだ。
でも思い出す。遠い国で、王太子が平民の娘を選んだという話をーー。
「あなた。何か努力したの?アーキルの心を捉えるための、努力を何かしたのかしら?」
「…してません。」
「領地のことで色々大変だったものね。でも王都に戻ってから、もう一か月経ってるわよ?」
反論などできなかった。
「静かに陰から見てるだけでは、待ってるだけでは、奇跡なんて起きないのよ。」
その通りだ。自分の気持ちはただの"憧れ"、ということにして、逃げているだけ。
部署の仕事が忙しいから、会えないから、全部言い訳だった。
そして未来が頭をよぎる。
何もせずに、20歳になって領地に帰って、誰かと結婚して、お婆さんになって、孫に語る日が来る。
“若い頃に、一人の素敵な人がいてね……”なんて。
(いやだ!私まだ…頑張ってない!)
ヴェラリアはここでついに、自分の気持ちと向き合った。
「エマ様!私、頑張ってみます!」
エマはにやりと笑って紅茶をそっと持ち上げた。
「その意気よ!」