⒋自信がなくて…
王都での仕事が始まって、一週間が経った。
父の言った通り、難しい仕事はなく、ヴェラリアは日々脅威のスピードで書類を捌いていった。
「ヴェラリアさん、今日もすごい早さだね。」
穏やかな口調と物腰のこの人は、職場の室長、ダンテ・クラーク。子爵家の三男坊らしい。
「もう本当に助かる!今日もお昼一緒に食べようね!」
彼女は一つ年上で、直接私に仕事を教えてくれるマロン・ヒューズ男爵令嬢。同じ男爵でも、彼女は生粋の貴族。だが性格は明るく、とても気さくだ。
「こちらは終わりました。マロンさん何か手伝いましょうか?」
「私ももうすぐかな、大丈夫!」
「あ、じゃあヴェラリアさん、この書類を王宮魔術師団の部屋に持って行ってくれるかな?場所は分かる?」
「はい、分かります。行ってきますね!」
室長に頼まれた書類を届けるべく、王城の廊下を進んで行く。すると目的地の方向から見覚えのあるひとりの男が歩いてきた。
(あ、アーキル様だわ)
パーティでお世話になったが、親しげに話すほどの仲でもないし、伯爵家の嫡男であるアーキルにこちらから話しかけるわけにもいかない。
(ハンカチを借りたままだけど、今持ってないし…)
仕方なく、軽く会釈してすれ違おうとした。
するとアーキルがニコッと微笑んで声をかけてきた。
「あれ?何でヴェラリア嬢がここに?」
話しかけてくれた事に、少し胸が弾む。
(こんな些細なことで嬉しく思うなんて…)
「実は魔術管理部門で記録係の欠員補助として、1ヶ月だけお世話になっているんです。」
「あー、ダンテ殿が言ってたな〜。」
記録係として働き始めてから知ったのは、アーキルが数々の新魔術を生み出す、カリスマ的存在だということだった。
室長も、彼のことを「天才だ」と言っていた。
基本的に人当たりはよく、王城内でも人気が高い。もちろん、女性からの人気は群を抜いているらしい。
ただ、魔術師団内では、妥協を許さないその性格から「厳しすぎる」と言われることもあるようだ。
とにかく、そんな天才モテ男が今、自分に親しげに話しかけている状況は何なのか、つい意味を見出したくなる。ほんの少しの優越感がひょこっと顔を出す。
けれど、それを自分で打ち消す。
この人に、大した努力もせず生きている自分が見透かされたら——そう思うと、怖かった。
この人は計り知れない努力の上、天才魔術師として高みに存在している。記録係として読む文章に、彼のこだわりや繊細さが滲み出ていた。
ヴェラリアは果たして、今まであれほどの努力をしたことがあるだろうか。
自問した答えは、否。
物事を器用にこなせるところはある。けれど、いつもどこかで楽な方を選び取ってきた。
そんな自分が、彼と親しくなる権利なんて、あるはずがない、と思ってしまうのだった。
「1ヶ月もいるなら、王都案内しようか?」
(ええっ⁇)
まさかの展開に頭が混乱する。
嬉しい。是非お願いします、と返事したい。
だが、ふと見たアーキルの変わらぬ微笑みの表情に、「これは社交辞令だ」という文言が見えた気がした。
「あ…ありがとうございます。でも私にお時間を頂くのは申し訳ないので。お言葉だけで、嬉しいです。」
「そっか、じゃあまたね。」
アーキルはそれ以上何を言うでもなく、廊下を歩き去って行った。
その後ろ姿を見ながら、少し勿体無かったかな、とヴェラリアは悔やんだ。
巷のロマンス小説のヒロインなら、きっと社交辞令だろうが何だろうが、相手の言葉を素直に受け取って、デートの約束をするのだろう。
(……なんか、間違ったかも。)
結局、それ以来アーキルと顔を合わせる事もなく、
1ヶ月が過ぎ、ヴェラリアは何の収穫もなく、また領地に帰るのだった。