聖女の再誕(4)
「ま、待て、リーゼ!」
よろよろと立ち上がったわたしを、レオンが慌てて止める。
「リーゼはここまで本当によくやってくれた。でも、ここから先はダメだ。本物の殺し合いが始まってしまったんだ。もうリーゼにできることは何もない!」
レオンが敢えて厳しい口調でそう言った。
その言葉、その表情、彼の全てから、わたしを大切に思ってくれていることがひしひしと伝わってくる。
でも、レオンの言葉には一つだけ間違いがある。
「違うよ、レオン。わたしだからできること、わたしにしかできないことをやるんだ」
禁術『軍団召喚』を発動させてしまったのは確かにわたしだ。
でも、何の考えもなしに、わたしがそうするなんて、そんなわけないでしょ?
レオンの知っているわたしの力、そして、レオンがまだ知らないわたしの力。その二つを使ってこの戦争を止めるんだ。
本当はレオンの前でこの力を使いたくはなかった。もしレオンにまでこの力の影響が及んでしまったら嫌だから。
でも今はそんなことを言っている場合じゃない。この力を使う条件は『大切な人を守るとき』――それは今を置いて他にない。
だから、この力を使うその前に、レオンにこれだけは伝えておきたい。
レオンにわたしの気持ちを伝えて、レオンの気持ちを聞いておきたい。
「すきだよ、レオン。わたしはレオンのことが大好き。レオンは……わたしのこと、すき?」
「もちろんだ。俺はリーゼが大好きだ。俺はリーゼに死んでほしくないんだ。無事でいてほしいんだ。だから頼む。俺の言うことをきいてくれ。リーゼだけは避難してくれ」
「ありがと。レオンの気持ちはわたしと一緒だよ。わたしもレオンに無事でいてほしい」
レオンだけじゃない。
こんな戦争で犠牲になっていい命なんて一つもないんだ。
「だから、わたしがやるの。わたしじゃなきゃできないの」
「……本気、なんだな?」
わたしの目をじっと見つめたあと、レオンがわたしのことをぎゅっと抱きしめた。
わたしがやると決めたら、もう止められないことをレオンはよくわかっている。
「わかった。その代わり、俺のわがままも一つだけ聞いてくれ」
「うん」
「この戦争が終わったら――」
あ、それはダメなやつだ。
わたしは慌ててレオンの口を塞いだ。
わたしの口で――
「だめだよ、レオン。そういうの、フラグって言うんだから」
真っ赤になってそう言うと、レオンも真っ赤になって頷いた。
戦争の真っ只中、戦場のど真ん中で何やってるんだろうね、わたしたちは。
でも、これで元気出た。
フラグもばっちりへし折ったし、もうわたしには、ハッピーエンドしか見えない。
「メイ!」
「はっ!」
「戦場の全員から見える場所に連れていってほしいの」
「戦場全体から――ですか……」
思案顔のメイの視線を誘導するように、わたしは空を見上げた。
「空……」
「うん。今すぐ」
「…………」
たぶん、わたしを危険な目に遭わせたくないと思ってくれているのだろう。
わたしのお願いだったら、いつもは喜んできいてくれるのに、メイは逡巡するように視線を彷徨わせた。
判断を仰ごうとその視線はお父様へと向かうが、お父様はすでに敵に取り囲まれてしまっている。シーツ爺も同じだ。
どうするべきか判断に迷うメイ。そんな彼女に、レオンが頷いてみせた。
「リーゼのやりたいようにやらせてやってくれ」
「ありが――」
そう言いかけた次の瞬間には、わたしは戦場のはるか上空にいた。
人が蟻のように小さい。上空一千メートル付近といったところかもしれない。
「もう! お礼ぐらいちゃんと言わせてよ」
「申し訳ございません。お急ぎのようでしたので。それにお礼ならば、後ほどゆっくりとお伝えされればよろしいかと」
「それもそうだね」
落下しながら頭を下げるメイに、わたしも落下しながら笑った。
「さて、お嬢様。私は空を飛べません。お嬢様もです。この状況いかがいたしましょうか?」
「メイは地上で待機。わたしが地面におっこちる前には助けてね?」
「ですが……」
「いいから、いいから。さあ、行って」
そうしてメイを送り返して、わたしはもう一度戦場を見渡した。
そこはすでに狂気で満ちていた。もはや正常な思考など吹き飛び、ただ互いに敵を殺すために剣を振るい、魔法を放つ。
すでにリシュテンガルド軍が敗走を始めている地点もある。わたしには自軍に死者が出ていないことを祈るしかできない。
これがわたしのわがままが招いた結果だ。わたしはこの光景をしっかりと目に焼き付けておかなければいけない。
そして、もう二度とこんなことが起こらないように、完全に、完璧に、この戦争を終わらせるんだ。
上空約一千メートルから地表までの到達時間はおよそ七十秒。使える時間は実質一分にも満たない。
でもそれだけあれば十分。
たったそれだけの時間で、ここにいる全員、一人残らずわたしの『虜』にしてあげる。
わたしに授けられた神の力『魅了』――それは人を魅了し、虜にする力。
この力の本領を発揮させるためには、相手の目を見て、語りかける必要がある。でも、とてもじゃないけど、一人ひとりにそんなことをやっている時間はない。
だから、そんなハードルはむりやりに突破する。わたしのもう一つの力――『増強』で。
神の力を神の力で増強する。それがどんな結果をもたらすのかはわからない。
でもきっと上手くいく。
戦争が愛を終わらせるものだとすれば、愛もまた戦争を終わらせるものなのだから。
わたしがみんなを愛すから、みんなの愛でこの戦争を終わらせよう――
「聖女だ……」
誰かが呟くようにそう言った。
見上げた空からは一粒の光が降りてきている。
やがてその光は戦場全体へと広がり、敵も味方も関係なく、優しく包み込んでいく。
「聖女だ」
また別の誰かが言った。
皆、武器を手放し、ただ魅入られるように空を見上げていた。
その光の中心には一人の幼女。
幼女は、一人ひとりを見つめるように、一人ひとりを慈しむように、愛に満ちた笑みをたたえていた。
そして、戦場の全ての者たちは聞いたのだ。
神が人々に齎した福音を。
「みんなっ! わたしのことを推せえぇぇぇー!」
明日午前の投稿で完結です!
よろしくお願いします!




