聖女の再誕(3)
『百合……』
真っ白な光の中で、わたしを呼ぶ声が聞こえた。
『百合、可愛く生んであげられなくて、ごめんね』
その声は『お母様』ではなく、『お母さん』だった。
『ううん、違うの! わたしこそごめん』
どうして可愛く生んでくれなかったの――
お母さんのせいで――
そんなふうにお母さんに八つ当たりをしたこともあった。
でも、それはとんでもないお門違い。
そりゃあ、可愛く生まれていれば、わたしの人生はもっと違ったものになっていたかもしれない。
でも、容姿のへのコンプレックスのおかげで、わたしは容姿以外の武器を磨く努力をすることができた。
それに、お母さんは、わたしに綺麗な容姿よりももっとずっとずっと大切なものを与えてくれた。一番大切なことを教えてくれた。
それは『愛』だ。
お母さんがわたしを愛してくれたから、わたしは生きていられたんだよ。
お母さんが愛し方を教えてくれたから、わたしは人を愛することができるようになったんだよ。まあ、推し活だったけど。
そしてそれは、今のわたしの大きな財産になっている。
『だから、ごめんね。そして、ありがとう、お母さん』
『いいのよ。あなたが幸せでいてくれたら、それで。さあ、リーゼ、目を覚まして』
いつの間にかわたしを呼ぶ声は、『お母様』のものになっていた。
その声に導かれるように、わたしは重たい瞼をゆっくりと開いた。
「よかった、リーゼ! 目を覚ましたか!」
その声はレオン。わたしはレオンに抱きかかえられていた。
「よかった……レオンも無事だったんだね。あの子は……?」
「第八皇子も無事だ」
レオンの視線を追って、わたしも背後に目を向けた。
そこには、青褪めて怯え切った様子のフレイミア帝国第八皇子であるフェルナンド君が、わたしたちの背中に隠れるように座っていた。
目に浮かんでいるのは不安と恐怖。でも、さっきまでの虚ろな瞳よりはずっといい。きっと、彼を通して放たれた魔力の暴流で彼にかかっていた術か何かが解けたのだろう。
「てことは、禁術『軍団召喚』も上手くいったんだね?」
「ああ。残念ながらな……」
レオンは冷や汗を流しながらそう答えた。
再びレオンの視線を追って、前方へと目を向ける。
わたしたちの前には、シーツ爺と、いつの間にか駆けつけていたお父様が、わたしたちを庇うように立っている。
そして、さらにその先には――
赤、赤、赤――
大平原を埋め尽くさんばかりの赤い甲冑。数えきれないほどの帝国兵、つまりは『絶望』がそこにいた。
「なんだ? 生きてたのか、フェル?」
その中の一人、ひと際豪奢な鎧兜に身を包んだ男が、無警戒に一歩前に歩み出てそう言った。
その姿を見た第八皇子は「ひっ」と小さく悲鳴を上げて、まるで土下座でもするかのように、地面を頭に付けて縮こまった。
「ちょっと――」
たぶんコイツがこの子をここに送り込んで禁術の生贄にしようとした張本人だ。
文句の一つでも言ってやろうと、わたしは口を開きかけたのだが、レオンがそれを制して立ち上がった。
レオンは第八皇子をわたしに託すと、お父様とシーツ爺を追い越して、その男の前に立った。
「フレイミア帝国第一皇子アザレス=フレイミア殿とお見受けする」
「誰だテメエは?」
「シーラン王国第三王子レオンハルト=シーランだ」
見たところ相手の男はお父様よりも一回りは年上。一方のレオンは十歳を迎えたばかり。親子だと言ってもいいほどの歳の差がある。
それでもレオンは堂々とそこに立っていた。
「一方的な侵略行為はとても見過ごすことはできない。即時撤収を要請する」
「はあ!? 頭沸いてんのか、テメエは。こっちはこんな辺境までわざわざ足を運んでやってんだ。はいそうですかって帰ると思ってんのか、バーカ」
幼稚な挑発をする帝国第一皇子だが、レオンがそれに乗ることはない。
傍から見ているとどちらが子どもかわからない。
「我が国は、貴国の難民を幾度となく受け入れた。そして今回は、貴国が仕掛けてきたことであるにもかかわらず、禁術の犠牲者が出ないよう尽力もした。次は貴国が誠意を見せる番だ」
「やっぱ馬鹿だな、テメエ。頼んでもないことを勝手にやって恩を押し売りしてんじゃねえよ。それにな、誠意だなんだってのは、対等な関係でこそ成り立つもんだろ? まさか帝国とこんな田舎の小国が対等だなんて思ってるわけじぇねえよな?」
第一皇子は言葉とともに唾をレオンの足元に吐き捨てた。
「頭が高えんだよ、テメエは。俺は偉大なるフレイミア帝国の第一皇子。この世界の覇者だ。そこに頭を擦りつけて命乞いをしろ。そうすりゃお前ら全員、命だけは助けてやるよ。俺は心が広いんだ」
吐き捨てた唾の跡を指差しながらそう言った第一皇子は、ひどく下卑た笑いを浮かべ、お父様へと顔を向けた。
「ただし、テメエはダメだ。エリアス=リシュテンガルドの首を差し出せば、俺たちは帰ってやってもいい。安いもんだろ? たった一人の命と引き換えに、全員の命が助かるんだ」
「生憎俺は、敵に頭を下げることは許されていないんだ。それに大切な臣下を犠牲にする気もさらさらない」
きっぱりとそう言い切ったレオンがやれやれと首を横に振った。
「帰れというのは、お前たちのために言ってやったつもりだったんだがな。本物の馬鹿を相手にするのは心底疲れる」
レオンの安い挑発。
煽り耐性が極端に低いのだろう。第一皇子は一瞬で顔を真っ赤にしてしまった。
「テメエ……それでいいんだな? 後悔するぜ?」
「お前らがな」
互いに身を翻したレオンと第一皇子。交渉はこれで決裂した。
いや、端から交渉ですらなかった。これは互いの宣戦布告だ。
「殺し尽くせ」
第一皇子のその言葉を合図に、雷鳴のような怒号が大平原全体に轟いた。
敵兵総数約二百万。対するこちらは二万にも満たない。
故郷を守るための死地作戦が今にも始まろうとしていた。
「すまない」
レオンが苦渋に満ちた表情でそう言った。
その相手はお父様とシーツ爺だ。
「この国のために、俺に命を預けてほしい」
「もとよりそのつもりですよ、殿下」
「旦那様のおっしゃるとおりでございます」
剣を抜いたお父様とシーツ爺がレオンの言葉に笑顔で答えた。
その顔に悲壮感はない。勝利を信じて疑わない、そう言う目をしている。負けるつもりで戦うわけなんてないんだから当然だ。
でも、お父様とシーツ爺がいくら強くても、それでもやっぱり二人は人間だ。限界はどこかで必ずやってくる。
前世で戦争を支配していたのは核兵器、そして情報。だけど、この世界で物を言うのは数だ。
最高の剣士だろうと、一流の魔法使いだろうと、人間である以上、いずれは数の暴力に圧し潰されてしまう。
敵の大群がもうすぐ目の前まで押し寄せてきている。
戦場の至る所で剣戟と爆発音が響き始めた。
戦場は間もなく、狂気と血で染め上げられることだろう。
「メイ、リーゼと殿下を連れて安全なところへ」
「畏まりまし――」
「待って!」
お父様の言葉に従ってメイがこちらに手を伸ばすが、わたしはそれを振り払って声を上げた。
これはわたしの責任だ。
わたしがわがままを言って、禁術『軍団召喚』を発動させてしまったせいで招いた事態だ。
その責任はわたしがとらなくちゃいけない。
だから――
「この戦争は――わたしが止める」
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