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幼女と戦争(12)

 駆け出したリーゼロッテを横目に見て、ちょっとカッコつけすぎたかな、とレオンハルトは思う。

 しかしこうするより他はなかった。


 これは戦争だ。戦争とは必ず人が死ぬものだ。人が死ぬからこそ戦争だとも言える。

 レオンハルトは幸運だった。戦争で死ぬ者を選べる立場にあり、選ぶ場面に居合わすことができたのだから。

 誰が死ぬべきか。誰に犠牲を強いるべきか。それを選ぶのは簡単だ。自分にとって、一番軽い命を選ぶ、ただそれだけでいい。

 レオンハルトにとって、その一番軽い命が自分の命だった。ただそれだけのこと。


「うおぉぉぉおお!」


 女剣士へと斬りかかるレオンハルト。その雄叫びは、女剣士の注意を引くためでもあったし、自らを鼓舞するためのものでもあった。

 レオンハルトは齢十を迎えたばかりにして、天性の剣の才能を見せていた。剣の腕前はとうに兄を越え、近衛騎士とも対等に渡り合うほどだ。

 そんな一級の剣士になりつつあるレオンハルトだからこそ、彼我の実力の差は、対峙しただけですぐにわかった。本来であれば、その剣が届くはずがないことも。


 女剣士もレオンハルトと同じ認識だった。

 自分に刃を向ける目の前の子どもなどただの小物。

 だから女剣士は、レオンハルトを無視して、天幕へと駆けるリーゼロッテに目をやった。


「すまん、リーゼ」


 レオンハルトはリーゼロッテを囮に使ったのだ。

 彼我の戦力差に基づく油断。そして囮。活路を生むためには、この二つがどうしても必要だった。

 しかし、囮と捨て駒は違う。

 リーゼロッテを囮に使う以上、彼女には指一本触れさせない。それがレオンハルトの誓いだった。


 リーゼロッテを目掛けて剣を構えた女剣士の眼前で、炎が爆ぜた。

 驚きを見せた女剣士の足が止まる。そうしてできたほんの一瞬の隙。

 女剣士の間合いに飛び込んだレオンハルトは思い切り剣を振り下ろした。

 その剣は、紅蓮の炎を纏っていた。


 剣と魔法の世界にあって、剣と魔法を同時に操ることができるものはいない。

 言うなれば、剣と魔法は陰陽。陰と陽が互いに交わらないように、人は剣と魔法を同時に扱えるようには作られていなかった。


 だからそれは『エラー』だ。

 魔法剣士は、神のちょっとしたミスで生まれるのだ。


「くッ……エラーか」


 ここに来てようやく女剣士がレオンハルトへと目を向けた。

 炎を纏ったその一撃。それが通れば女剣士はただでは済まないだろう。しかし、受けきられてしまえば、レオンハルトに待つのは死だ。


 果たして、灼熱を帯びた剣が宙を舞った。

 結局物を言ったのは剣士としての技量。

 女剣士の光速の剣が、レオンハルトの剣を弾き飛ばしたのだ。


 女剣士は薙いだ剣を反転させ、そのままレオンハルトの首へと走らせる。

 無慈悲な刃が迫る中、レオンハルトは天幕の方へと目をやった。

 そこにはすでにリーゼロッテの姿はなかった。

 どうやら無事、御簾の内側へと潜り込めたようだ。


 最期に一目見たかったような気もするが、これでいい。

 命を賭して、希望を繋ぐための時間を作ることに成功したのだから。


「はは、俺の勝ちだ」


 レオンハルトは晴れやかに笑った。

 しかし――


「殿下、これは勝ちなどではございません」


 その声が聞こえたのは、女剣士の剣がレオンハルトの首を今にも刎ねようとしたそのときだった。

 甲高い金属音を響かせ、女剣士の剣を弾いたのは、リシュテンガルド家使用人筆頭、当主エリアス付き執事にして、シーラン王国の剣聖。


「シ、シーツ殿……」


 死を受け入れていたレオンハルトが、どこか拍子抜けした声で呟いた。

 そんなレオンハルトにシーツは恭しく頭を下げた。


「お嬢様をお守りいただき、誠にありがとうございました」


 女剣士から見れば、隙だらけのその行動。しかし、女剣士が斬り込んでくることはなかった。斬れるイメージが全く湧いてこないからだ。

 それは、相手が強者であればこそ見せることのできる隙だった。


「ですが、先ほどの勝負は頂けません。殿下の守るべきものは一体何だったのでございますか?」


「……リーゼだ」


 この国の王子としては、国あるいは民と答えるのが正解だったのかもしれないが、それがレオンハルトの本心だった。


「そうであればこそ、殿下の負けなのです。もし、あのまま殿下が死んだとして、お嬢様はどうなるでしょう? 誰がお嬢様を守るのでしょう?」


 間違いなくリーゼロッテは殺されていただろう。仮に禁術の発動を止め、彼女の望みが叶えられたとしても、その後、リーゼロットの死は免れなかっただろう。

 その事実に、レオンハルトは恐怖した。

 リーゼの望みを叶えたいと思うあまりに失念していた。自らの死がリーゼロッテの死を意味することを。

 時間を作るだけではダメだったのだ。時間を作った上で生き残らなければならなかった。少なくとも相打ちでなければ勝ちとは言えなかったのだ。


「も、申し訳ない……」


「いいえ、殿下。謝らなければならないのは私の方です」


 シーツは怒っていた。

 敗北したレオンハルトにではない。リーゼロッテとレオンハルトに剣を向けた女剣士にでもない。

 リーゼロッテを守ると誓いながら、あと一歩のところでその誓いを破るところだった自分に対してだ。


 レオンハルトにきつく当たったのは、彼に強くなってもらいたいという願いから。

 もちろんそれが理由だが、ごくわずかに八つ当たりも含まれていたのかもしれない。

 そして、その八つ当たりの大部分は、もう一人、この場に立つ者に向けられることになる。


 シーツが杖仕込みの細剣を女剣士へと向けた。

 その姿に固唾を飲んだのはレオンハルトだ。

 これまでに感じたことのないほどのプレッシャー。直接対峙しているわけでもないのに、少しでも気を抜けば、圧し潰されて立ち上がれなくなりそうだ。


 レオンハルトはその場から駆け出した。

 逃げ出したのではない。向かう先はリーゼロッテの元。彼は彼女を守らなければならない。それが、レオンハルトが改めて自分に課した使命だった。


 レオンハルトの後ろ姿に、小さく笑みを作った後、シーツが女剣士へと目を向けた。


「我が姫と、この国の王子に剣を向けた罪。償ってもらわなければなりませんね」


 シーツの鋭い眼光に刺された女剣士は戦慄した。恐怖もした。

 そのような感情はとうの昔に捨て去ったはずだったのに、魂の奥から恐怖が湧いてくる。

 それでも女剣士が逃げ出すことはない。女剣士にも自らに課した使命があるからだ。

 女剣士は、静かに剣を構えた。


 そして、一瞬の交錯。

 たったのそれだけで、驚くほどあっさりと勝負はついた。


 だらりと腕を垂らした女剣士が、シーツに身を預けるように倒れかかった。

 肩から脇腹にかけて袈裟斬りにされた女剣士は、喘ぐように口をぱくぱくと動かしている。


「……どうして斬りかかってこなかったのですか?」


「ば、罰を、受けたのです……あ、あなたの……姫に、剣を……向けた……罰を……」


 何がどうころんでも女剣士はシーツには敵わない。そう悟ったからこそ女剣士は決めたのだ。

 素直に自ら命を差し出して、彼の姫に剣を向けた罪を贖おう。そうした上で、慈悲を請おう――と。


「私の命を……差し出しますから……どうか、どうか……殿下の、命を……お救いくだ……さい……」


 第八皇子の守護騎士。それが女剣士だ。

 女剣士にとって、第八皇子こそが生きる目的であり、彼女の全てだった。

 第八皇子のためならば喜んで死ぬし、第八皇子が死ぬのであればともに死ぬ。その彼女の覚悟に嘘偽りはない。


 だから、この戦争のために、第八皇子が捨て駒にされることが決まったときも、女剣士はともに死ぬ覚悟を決めた。

 しかし、それでも、いざ死の際に立つと思うのだ。死んでほしくない、と。

 第八皇子には、いつまでも健やかでいてほしい、と。


「わ、私の……殿下の……命を――」


 女剣士の言葉はそこで途切れた。

 シーツは彼女の体を横たえると、彼女の傍に跪き、意識が遠ざかっていく彼女にもはっきりと聞こえるように言った。


「貴女の願い、このシーツが、確かに受け取りました」


 シーツは確かに彼女の願いを受け取った。しかし、受け取っただけだ。彼が女剣士の願いを叶えてやることはないだろう。

 一番大切なものはリーゼロッテ。次がリシュテンガルドであり、その次が王国。それが揺らぐことのないシーツの優先順位。

 必要とあれば、シーツは誰の首を刎ねることも厭わない。


 女剣士もきっとそのことは理解していたはずだ。

 それでも彼女は、安らかな笑みを浮かべて眠りについた。

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