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幼女と戦争(11)

「まったく、あの子はむちゃくちゃね……」


 ドライがそう愚痴を溢した場所は亜空間の中。メイのものではない。少年の亜空間だ。


 少年に長杖を向けたドライにメイが触れたあのとき、ドライはメイの亜空間に取り込まれた。

 事前の説明も打ち合わせも何もなかった。しかし、そこはさすがの魔法師団長、ドライはすぐさまメイの意図を理解し、亜空間干渉によりメイの亜空間の中で空間魔法を展開し、自らの亜空間に身を隠す。

 そうすれば、予想どおりに、すぐに少年がメイの亜空間に姿を現した。

 その刹那にもう一つの亜空間干渉を発動させたドライは、少年に気付かれることなく、彼の亜空間に侵入することに成功したのだった。


 言うは易しだが、実際にやるのは困難を極める。

 卓越した魔法技術と極限まで研ぎ澄ました集中力をもってして、失敗が許されないぶつけ本番、一発勝負の中で、ドライは見事にそれを成し遂げたのだった。

 マーガレットを無事救出し、この戦争を終結に導くことができたのだとすれば、その最大の功労者はドライだと言ってもいいだろう。


「それにしても……」


 ドライは周囲を見渡して、うんざりしたように溜め息をはいた。


「何なのよ、この空間……」


 宇宙。

 この世界に『宇宙』という概念はないが、もしドライがその言葉を知っていれば、間違いなくここをそれに例えただろう。


 真っ黒な闇。右も左も、上も下もわからない。広いのか狭いのかさえもわからない。

 そこは本物の闇だった。


 自らの姿さえ視認できないこの暗闇の中から囚われの辺境伯婦人を探し出さなければならない。

 もし仮に、ここにたどり着いていたのがメイであったならば、それはおそらく不可能だっただろう。

 しかし、ここにいるのはリシュテンガルドが誇る魔法師団団長のドライだ。


光魔法照明(ライト)!」


 ドライが長杖を振りかざすと、そこから無数の照明弾が射出され、宇宙に浮かぶ恒星のように辺りを照らした。


「本当に馬鹿みたい広いのね」


 しかし、ただ広いだけであれば、何の障害にもならない。

 風魔法に乗ったドライが、少年の亜空間を縦横無尽に飛び回る。

 マーガレットの発見は、もう時間の問題だった。


 そのとき、ドライが亜空間の揺らぎを感知した。

 少年のものではない。さらにその外、メイの亜空間が揺らいでいる。


「メイ!」


 慌てたドライが目を瞑り、亜空間の外へと意識を向けると、そこにはぐったりと倒れ伏すメイの姿があった。そして、メイを見下ろすように立った少年が、亜空間の『壁』にナイフを突き立てている。


「……なるほどね」


 音声までは聞き取れないが、その光景だけでドライはすぐに状況を理解した。

 おそらく、亜空間の『壁』への攻撃が術者になんらかの影響を与えているのだろう。

 しかし、それがわかったところで、ドライにはどうすることもできない。今はマーガレットの救出が最優先。たとえメイを見捨てることになったとしても、その優先順位だけは間違えるわけにはいかないのだ。


「耐えるのよ、メイ。すぐに助けに行くから」


⚫︎


 ひどく頭が痛む。耳鳴りが止まず、吐き気が襲う。

 もう何度も意識を失った。しかし、ナイフが『壁』に突き刺さるたびに、強烈な痛みが無理矢理意識を叩き起こし、そして、その痛みでまた意識を失う。


 メイはもう限界を迎えようとしていた。

 痛みは感情を奪う。思考を削ぎ落す。痛み以外にもう何も感じない、もう何も考えられない。そんなところまで追い詰められたメイに最後の最後まで残っていたもの――それは、最愛の主人リーゼロッテからの言葉だった。


『お母様の命とこの国の運命は、あなたの働きにかかっているの』


 それはリーゼロッテからの信頼だった。

 母の命とこの国の運命――リーゼロッテの大切なものを自分に預けてくれた。メイはそのことが堪らなく嬉しかった。

 だから、その思いだけは、リーゼロッテからの信頼だけは、最後まで手放さなかった。

 そして、最後まで握り締めていたその信頼が、メイを覚醒させた。


 メイは髪を掴まれたまま、手を伸ばす。

 そうして、少年の持つナイフに触れると、ナイフが消えた。


「なッ!」


 驚いた少年が咄嗟にメイの髪から手を放し立ち上がった。


「あ、亜空間の中で、空間魔法を使うなんて……」


 亜空間同士は交わらない。他人が作った亜空間とであっても、自分が作った亜空間とであってもだ。

 だから、亜空間の中では空間魔法は使えない。もし使えるのだとすれば――


「亜空間干渉……」


 ここに至ってようやく少年の顔から余裕の笑みが消えた。

 少年は人質によって守られていた。少年の亜空間の中に人質がいる限り、敵であっても味方であっても、誰も少年を害することはできない。

 言い換えれば、この戦場において、少年の命は、人質の命と同じだけの価値があったのだ。


 しかし、亜空間干渉の使い手がいるとなると話が変わる。

 亜空間干渉により自らの亜空間に侵入され、人質を奪還されてしまえば、人質と等価だったはずの少年の命の価値はゼロになってしまう。


 ふらふらと立ち上がったメイに、少年は恐怖した。

 そして、その恐怖が頂点に達したとき、少年は断末魔のような悲鳴を上げた。


「ひぎゃぁあぁぁ!」


 少年は知らなかったのだ。

 もう一人の空間魔法使いが、すでに自分の亜空間に侵入していたことを。


「まったく、うるさい坊やね」


 少年が頭を抱えて蹲っているところへ、唐突に姿を現したのはドライだった。

 その腕には、人質となっていたマーガレットを抱いている。

 ドライがマーガレット救出に成功したのだ。


「お、奥さま……!」


「ちょ、ちょっと離れなさい。奥様が貴女の鼻水まみれになっちゃうわ。てか、ここ狭いから早く出してちょうだい」


 ドライにそう指摘されたメイは、ハンカチで涙と鼻水を拭ったあと、亜空間を解いて、戦場から離れた高台へと出た。


「奥様はご無事なのですか!?」


「大丈夫よ。薬で眠らされてるだけ」


「そ、そうですか……」


 安堵したメイはへなへなとその場で尻もちをついた。

 メイはもうとっくに限界を超えていたのだ。


「大変だったみたいね?」


「いいえ。まったく」


「その姿でそんなこと言っても、全然説得力ないわよ」


 揶揄うようにそう言ったドライだが、その目には尊敬の色を湛えていた。

 メイが何かを成し遂げたのかと言われればそうでもない。マーガレットを救出したわけでも、敵を制圧したわけでもない。

 しかし、メイは確かに敵と戦い、そして勝利したのだ。


「それで、あの子はどうしたのですか?」


 メイは、白目を剥いて痙攣を繰り返す少年に目を遣った。

 その姿は、つい先ほどまでの自分と重なるものがあった。


「ちょっとお仕置きをね」


 ドライはマーガレットを発見し脱出を図る前に、少年の亜空間を攻撃した。

 ドライの二つ名ともなっている彼女の最も得意とする爆撃魔法、その最大出力で。


「おばさんって言われたこと、根に持っているんですね?」


「違うわよ!」


 ドライのお仕置きは、メイを苦しめた分。しかし、ドライはそれを口にはしなかった。


「痛みは効かないとか言ってたわりには大したことないのね」


「まあ、これは身体的苦痛とはちょっと違いますから。それで、この子、どうしましょう?」


 そう言いながら、メイは少年から奪ったナイフを取り出し、少年へと向けた。


「殺す必要はないわ。奥様は無事救出できたけど、一応、生け捕りの命令はまだ有効なわけだし、縛り上げて連れて行きましょう」


「でも、大丈夫でしょうか?」


 空間魔法使いは危険だ。それは空間魔法使いであるメイが一番よくわかっている。


「まあ、この様子じゃ、意識が戻っても、もう二度と亜空間に人を入れようなんて思わないんじゃないかしら? でも、心配なんだったら、とりあえず私の亜空間に閉じ込めておくわよ。それに――」


 ドライはメイからナイフを取り上げて、笑顔を向けた。


「殺すなら私がやるわ。貴女はただのメイドなんだから殺しちゃだめよ。たとえ、おばさんって呼ばれたことを根に持っていたとしてもね」


「根に持ってなんかいませんよ」


「ま、そういうことにしておくわ」


 そう言って笑ったドライが、少年を亜空間へと放り込み、眠っているマーガレットを抱き上げた。


「さて、私はマーガレット様を連れて、一度本部に戻るわ。供物陣の解除だけでも急いでやらなくちゃいけないし。だからあなたには、もう一仕事お願いしたいの。もうひと飛びぐらいできるわよね?」


 メイがもう限界を超えていることはドライも重々承知している。

 しかし、それでもドライがメイに仕事を言い付けるのは、それがメイのやるべきことだからだ。


「奥様を無事救出したことを、旦那様とお嬢様に報告して。貴女が任された仕事だもの。貴女がちゃんと報告しなくちゃ」

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