幼女と戦争(10)
「わあ!」
ドライと目の前に突如として現れた少年が驚声を上げたのはほぼ同時だった。
「お、おばさんたち……いきなり何なの……?」
少年の言うことはもっともではあった。
いきなり現れたのは少年ではなく、メイとドライの方だったのだから。
そこは敵陣本部の一画にあるテントの中。
まだあどけなさの残る少年が、戦場の喧騒などどこ吹く風といった様子で、一人寛いでいた。
「ちょ、おばさんって、私はまだ――」
その少年ぐらいの年頃からすれば三十代前半は立派なおばさんである。それはわかっていても、やはり頭にはくるものだ。
しかし、ドライが少年に詰め寄ろうとするも、メイが間に割って入り、それを止めた。
メイはひどく冷たい目をして少年を見下ろしていた。
「難民に紛れ込み、奥様を攫った犯人はあなたですね?」
「へえ、なんでそう思うの?」
「あなたは空間魔法使いです。臭いでわかります」
「じゃあ、おばさんは僕みたいな小さな男の子の臭いを追ってここまで来たんだ。ヘンタイだね」
少年は挑発するつもりでそう言ったのだろうが、メイには何も響かない。
ヘンタイとは、メイにとっては褒め言葉だからだ。
「護衛もいないこの状況で、ずいぶん余裕があるのですね?」
「だって僕は空間魔法使いなんだよ? だからおばさんたちは僕に意地悪なんてできないんだ。僕が死んじゃったら困るでしょ?」
少年はへらへらと笑いながら言う。
「僕が死んだら、僕の作った亜空間も無くなっちゃうもんね。中身もぜんぶ、丸ごと」
「別に殺さなくても、大切な物を取り出すことはできるのよ?」
なおも愉快そうに笑い続ける少年に、ドライが長杖を向けた。
しかし、それでも少年は余裕の態度を崩さない。
「拷問? やってみたらいいよ、おばさん。僕に痛みなんて効かないんだ。そういうふうに作られてるからね、僕は」
「そう。じゃあ、試してみようかしら」
ドライの長杖の先端に赤い魔力が収束していく。
「脅しじゃないのよ?」
「どうぞ」
ドライお得意の爆撃魔法。今にもそれが放たれようとしたとき、またしてもそれを阻んだのはメイだった。
メイがドライに触れると、ドライが姿を消す。
そして間髪入れずに少年の背後へと飛んだメイが、その肩に手を置いた。
「私の部屋に招待しますよ」
その言葉とともに一瞬のうちに周囲の景色が変わる。
戦場の拠点のわりに雑多な物で溢れたテントから何もない灰色の空間へ。
そこがメイの亜空間だ。
「へえ、ここがおばさんの亜空間か。ずいぶん狭いんだね。おばさんって貧乏なの?」
メイの亜空間は人が三人立って入るのがやっと。現にメイと少年は、手を伸ばさずとも触れ合えるような距離で、向かい合って立っている。
「独り身にはこれぐらいでちょうどいいのですよ。それに私は、まだ十代です」
「はは。気にしてたんだ。でも、おばさんかどうかっていうのは、年齢じゃなくて見た目なんだと思うよ?」
挑発するように笑う少年に、メイは冷たい視線を返す。
「まだまだ余裕があるようですね。囚われの身だというのに」
「まあね。ところで、もう一人のおばさんはどこ行ったの? てっきり二人で僕をいじめるんだと思ってたんだけど?」
「邪魔でしたから、飛ばしました」
「そう。でもそれは失敗だったかもね!」
狂気に満ちた笑顔を浮かべ、少年が隠し持っていたナイフを抜いた。
しかし、メイは動じない。少年を自分の亜空間に捕えている以上、少年はメイを害することはできない。メイを殺してしまえば、メイの亜空間も消滅する。それは少年自身の消滅を意味するからだ。
そうでなくとも、メイは少年をここに残し、亜空間を出てしまえばそれで済む話だった。
「ずいぶん余裕なんだね?」
今度は少年がメイにそう訊いた。
「ナイフ一本で何ができると言うのです?」
「へえ、おばさん、空間魔法使いのくせに知らないんだ?」
そう言って少年はいやらしい笑みを浮かべると、手にしたナイフを大きく振り、それをメイの亜空間の『壁』に突き立てた。
「――――ッ!」
上げようとした叫びは声にならず、メイが頭を抱えて蹲る。
ひどく頭が痛み、激しい吐き気がメイを襲う。
少年は薄ら笑いを浮かべながら、そんなメイを見下ろしていた。
「な、なにを……?」
「何をって、やっぱりほんとに知らないんだ?」
少年がもう一度ナイフを亜空間の『壁』に突き立てる。
ナイフで脳を直接抉られるような痛みが襲い、もはやメイは顔を上げることすらできない。
「亜空間の『壁』ってさ! とっても繊細なんだ! だから! こうして! こうして! こうして! こうしてやれば! 脳みそぐちゃぐちゃになっちゃうよね!」
少年が一言ごとに『壁』にナイフを突き立てる。
そのたびに、メイは身体を痙攣させる。声も出せない。ただ涙と涎と鼻水がとめどなく流れだしてくるだけだ。
「敵を亜空間に捕えるなら、意識を刈り取っておくのは常識だよ?」
ナイフを抜いた少年が、手にしたそれをぺろりと舐める。
「さあ、これに懲りたら僕をここから出してよ。じゃないと……いつまでも苦しいままだよッ!」
ナイフが『壁』に深々と突き刺さると、びくりと一度だけ身体を震わせたメイはぐったりとして動かなくなってしまった。
「ありゃ、やりすぎちゃったかな? でも、大丈夫。これで死ぬことはないから。ま、死んだ方がましだって思うかもしれないけどね」
少年はメイの髪を掴み、強引に顔を上げさせた。
「ははっ! きったねー顔」
しかし、涙で霞むメイの瞳には、少年の嘲笑は映っていなかった。
目の前に浮かぶのは――
「お嬢様……」
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