幼女の初恋(5)
「さて、戯れはこのぐらいにして、実は、リシュテンガルドの姫にぜひお会いしていただきたい者がおってな」
「リーゼに?」
皇太子殿下はお父様に頷くと、後ろを振り返った。
「レオン、来なさい」
後ろに控えていたのは、わたしよりも少しばかり大きな男の子。
一歩下がったところで待機していたその男の子は、前へ歩み出て、皇太子殿下の隣に並ぶ。
そして紳士の礼をとって、お父様に挨拶をした。
「シーラン王国皇太子ノーシス=シーランが第二子、レオンハルト=シーランと申します。リシュテンガルド辺境伯閣下にお会いでき光栄です」
「レオンハルト様の六歳の誕生会以来でしょうか。ご立派になられましたね。私こそ、お会いできて光栄でございます」
年齢の割に立派な挨拶に、お父様も目を細めて紳士の礼を返した。
「どうだ、うちの息子もなかなかのものだろう?」
「ええ。奥方に似て、とても優しそうでいらっしゃいます」
「おいおい、そこは俺に似て精悍な顔つき、とか答えるところだろ」
そんな半ばお約束のようなやりとりをして二人で笑いあったあと、皇太子殿下がお父様の耳元に顔を近づけた。
ドキ! こ、これは……アリかもしれないわ。
生前のわたしにそういうケはなかったのだけれど、こっちの美男子を見てるとこういうのもアリかもって思ってしまう。
などという新たな性癖の芽生えはさておき、わたしは二人の会話に耳を傾ける。
「リーゼ嬢の婿にどうだ?」
「な、何をおっしゃいますか! リーゼはまだ六歳ですよ」
「そうじゃないだろ、エレウス。お前の娘はもう六歳、俺の息子はもう八歳だ。無駄な政争に巻き込まれるのを避けるためにも、相手を決めるのは早い方がいい」
そう言った皇太子殿下は、わたしの方をちらりと見遣った。
目が合いそうになって、わたしは慌てて目を逸らす。
「六歳にしてこれほど見目麗しい姫だ。次期辺境伯という立場を抜きにしても、争いの種になりかねん」
あれれー? 次期辺境伯? わたしが? 辺境伯って女でもなれるものなの?
それに、今はわたしは一人っ子だけど、お父様とお母様はまだ若いし、夜もお盛んだから、きっと弟が生まれると思うのだけれど。
「それに、もう長い間、王家と辺境伯家は姻戚関係を結んでおらん。今がちょうどいい頃合いだ。もし関係を結ぶのだとしたら俺たちの代で――俺はそう思っている」
その言葉を聞いたお父様は、黙り込んでしまった。
好きでもない男のところに嫁に行け。
顔も知らない男を婿に取れ。
もしお父様がそんなふうに言ったら、わたしはどうするだろうか?
なんて考えてみたけど、きっと選択肢なんてない。
この世界では、女はいつだって、ううん、男だって、政治の道具なんだ。
わたしは、今のわたしの容姿を見て、安易に『勝ち確』なんて思ったけど、わたしにとっての『勝ち』とはいったい何なんだろう?
わたしはその答えを探さないといけない。
そして、そうするための時間はきっと多くない。
わたしの沈んだ顔に気づいたお母様が、少しだけ寂しそうに笑った。
「リーゼ、お父様たちは難しいお話をされてるから、レオンハルト様と一緒に、お食事をしてきたら?」
「おお、気づかなくて悪かったね。レオンと食事を楽しんでくるといい。知っているとは思うけど、ここの料理は美味いぞ」
王太子殿下が中座を許可してくれたので、わたしは小難しい話は一旦忘れて、念願の食事へ向かうことにした。
王太子殿下とお父様にもう一度淑女の礼をとって、レオンハルト様を見ると、彼は左腕を浮かせて、わたしのことを待っていた。
どうやらエスコートしてくれるみたい。
小さい男の子が精一杯背伸びをしている姿は微笑ましい。
レオンハルト様の腕に手を添えて歩いていると、彼がこちらの顔を見ずに冷たく言った。
「お前、名前は?」
なるほど、なるほど。そういう感じなのね。
照れているのか、そういうお年頃だからなのかは知らないけど、ちょっと上からのこの感じ。
でも、わたし、昔からオレ様系男子は推せないの。
「わたし、女のことを『お前』と呼ぶ男は好きじゃないの」
あくまで腕は組んだまま、あくまで笑顔を向けたまま、わたしはそう言い放った。
小さな男の子をいじめているみたいで、少しだけ心苦しくはあるけど、これは譲れない。
大事なことだから二回言うけど、オレ様系男子は推せないのだ。
まさかそんな些細なことで反論されるとは思っていなかったのか、レオンハルト様は絶句してその場に立ち止まってしまった。
わたしはそれに構わず念願のビュッフェに向かい、美味しい料理に舌鼓を打つ。
う〜ん、やっぱりうちの料理は最高ね。
美味しい料理を毎日食べる。これを『勝ち』の定義にしてもいいかもしれない。でも、それだったら前世のわたしでもできたことなんだけどね。
そうして一人で料理を楽しんでいると、次第にわたしの周りに小さな子どもたちが集まってきた。
とは言っても、今日社交界デビューを果たしたわたしよりはみんな年上。侯爵令嬢や伯爵令息などなど、歳の近い彼ら、彼女らは、きっとこれから先もこういった社交場で顔を合わせることになる。お近づきになっておいて損はない。
そうは思うものの、前世来のコミュ障であるわたしは、大勢にぐいぐい来られると、どう対応していいかわからず、曖昧に笑うことしかできなかった。
子どもだとは言え、侮るなかれ。
小さくとも彼らは貴族。コネクションこそが最も重要な財産だということをわかっている。
だから彼らも結構必死だ。本当にぐいぐい来る。ちょっと引くほどに。
彼らの気持ちはわたしもわかってはいるけど、それでも、魂に根付いたコミュ障はいかんともしがたかった。
「うう……」
テンパったわたしが涙目になっていても、それに気づいてくれる人は誰もいない。
誰か助けて――そう思った、そのときだった。
「リーゼロッテ殿」
一人の男の子がわたしの元まで歩み寄って来た。
そして、わたしの手をとって彼は言う。
「先ほどは失礼しました。もしよろしければ、お茶をご一緒願えませんか?」
レオンハルト様の顔は真っ赤だ。
もちろんわたしも。
なんなら、わたしたちを取り巻いている子たちの顔まで真っ赤だ。
な、なんなの、この子!
さっきわたしちょっと意地悪なこと言っちゃったのに、わたしが困ってたら助けに来てくれるなんて、そんなのずるいじゃん!
そんなことされたら、惚れちゃうじゃん!
わたし、もうすぐ三十なんだよ。きっとあなたのお母さんより年上で、あなたから見たら立派なおばさんなんだよ?
どうすんの、これ?
「はい……」
頭の中でうだうだと考えているうちに、わたしの口が勝手にそう答えてしまった。
そのままレオンハルト様に手を引かれ、人の輪から離れて歩いていく。
「その……さっきはごめん」
「ううん。わたしこそごめんなさい。それに、助けてくれて……ありがと」
わたし、なに照れてんだろ?
ショタはまずい。ショタはまずいですって。
喪女がそっち側にいっちゃうと犯罪臭くなっちゃうから、ずっと自重してきたのに。
わたしは、わたしのお父様みたいな正統派イケメンとか、この子のお父様みたいなイケおじが好きなんだよ?
それなのに……わたしはこの子にときめいちゃってる。
きっとこれはアレだ。モテない女がちょっと優しくされただけでコロッといっちゃうヤツ。
それにやっぱり精神が肉体に引っ張られているような気がする。
このままでは、身も心も幼女になってしまう――って、べつにそれはそれで構わないのか。
レオンハルト様が中庭が見える大きな窓の窓枠に手をかける。
わたしもその横に並ぶが、六歳の背丈では窓枠からは顔しかでない。
「わあ……」
夜の帳が下りた庭には、ふんわりとした魔法灯の光があるだけで、元の世界に慣れたわたしからするとずいぶん暗い。
それでもその分、満天の星空と双子のような二つの月が、わたしたちを明るく照らしていた。
思わず笑みを浮かべたわたしに、レオンハルト様も笑顔を向けた。
「俺はレオンハルト。よければレオンと呼んでほしい」
ちょっと照れてからそう言う彼がかわいい。
だからわたしは、月に向けていた笑顔をそのまま彼に向けた。
「わたしはリーゼロッテ。リーゼって呼んでね」
なぜかタメ口。ま、わたしの方が年上なんだし?
でもレオンが笑っているからいっか。
レオンが双子の月を見上げて、つられてわたしも顔を上げた。
「なんだか今日の月は綺麗だな」
「ちょっ! それ他の女の子の前で言っちゃダメなんだからね!」
もしかしたら、白鳥百合は、このとき生まれて初めての恋をしたのかもしれない。
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