幼女と戦争(4)
「ねえ、大叔母様?」
そんな沈黙を破って、大叔母様に問いかける。
だいたいの状況は掴めた。でもあともう少しだけ補足情報が必要だ。
「帝国軍って強いの?」
「エリアスが出張っていって、まだ片付いていないということはそういうことさね。今回攻めてきたのはいつもちょっかいを出してくる東方警備軍なんかじゃなく、帝国軍本体の第四軍団、東方征伐軍だからね。過去の小競り合いなんて子どもの喧嘩に思えるほど、今回は相手も本気ってわけさ」
「じゃあ、戦力的にはこっちが分が悪いってこと?」
わたしがそう尋ねると、大叔母様は心外だと言わんばかりに、ふんと鼻を鳴らした。
「リシュテンガルド軍は王国最強なんだよ? たかだか帝国の軍団一つに戦争で後れを取ることなんてありゃしないよ。ただ状況がちょっとばかり好ましくないだけさね」
「そっか」
大叔母様がそういうのであれば、それは間違いないのだろう。『天秤のメリル』との異名を持つ大叔母様が彼我の戦力差を見誤ることなどありえないからだ。
わたしは人差し指と親指で顎を掴んで、考えに耽る。
得られた情報を元に、脳をフル回転させて状況を整理しなければならない。
もちろんわたしには軍事的な知識など皆無だ。でもだからと言って、考えるのをやめてはいけない。
レオンが言ってくれたように、何ができるのかを考える――それがわたしなのだから。
兎にも角にも一番の問題は、お母様が敵の亜空間に囚われてしまっていること。
お母様が人質にとられている以上、いくら戦力的に勝っていようとも、リシュテンガルド軍が全力で戦うことはできない。
ただ、人質であるお母様の存在は、帝国軍にとっても枷となっているはずだ。
お母様に傷一つでも付ければ、いや、指一本でも触れれば、お父様の怒りはあっさりと限界を突破するだろう。人質は無事であってこそ価値があるのだ。
報告によると、お父様は戦場の最前線に立ってはいるものの、表面上は冷静さを保っているという。
しかし、それもいつまでもつかわからない。帝国軍としても怒れるお父様を相手にしたいとは思っていないはずだ。
では、帝国軍が勝利するための条件は何か?
それは、お父様の怒りを爆発させないこと。そして、その上でお父様を制圧するか、降伏させる。
でも、現実的に考えて、それが達成される見込みは薄い。
リシュテンガルド軍が地力で優っていて、その上こちらは本拠地であちらは遠征軍なのだ。徒に戦争を長引かせてもジリ貧だってことぐらい帝国軍もわかっているはずだ。
だったら、どうして帝国軍は今もこうして戦いを続けているんだろう?
その理由こそが、帝国軍の真の目的なのかもしれない。
「時間稼ぎ――か」
「時間稼ぎ?」
わたしの呟きに、隣のレオンが反応した。
「うん。そもそもおかしいと思ったんだよ。いくらお母様を攫うことができるからって、お父様がいるのに正面から喧嘩を売るようなマネをするなんて」
お母様を人質にとることは確かに自分たちの身を守るという点では有効かもしれないけど、同時に爆弾を抱え込むようなものでもある。
帝国でも武勇が知られているお父様の怒りを買ってまでやることじゃない。
「確かにそれはそうだが、それが時間稼ぎと何の関係が――」
そこまで言ったレオンが何かに思い当たったようだ。
「まさか援軍がこちらに向かっているのか?」
「いいや、それはないね」
しかしレオンの考えは、大叔母様によってあっさりと否定された。
「周辺状況ぐらい把握済みさね。今も鳥を飛ばして監視させてるけど、ここに帝国軍の援軍は向かってないよ」
さすがは大叔母様。情報収集に抜かりはない。
でも、たぶん、それも帝国側の計算のうちだ。
「帝国側が正面から喧嘩を売ってきたということは、ここリシュテンガルドを落とせる、お父様を倒せるっていう算段が立ったから。じゃあ、お父様を倒すためにはどれぐらいの戦力が必要なんだとおもう?」
「エリアスを確実に制圧しようと思うんなら、帝国軍全軍をぶつけるべきだろうね」
「たぶんそれが目的なんだよ」
「なッ!?」
わたしの言葉に、この場にいる全員が驚きの声を上げた。
「帝国は本気なんだよ。本気でリシュテンガルドを、ううん、シーラン王国を滅ぼしにきてる」
長年の計画がようやく実行に移されたのか、それとも国内情勢からやむを得ずそうせざるを得ないのかはわからない。
でも、今の帝国に無駄な戦争をやる余裕がないことは明らかだ。やるからには必勝。そして、相手がお父様なのであれば、必勝を期すためには全軍をぶつけるしかない。
だからわたしの予想は十中八九当たっている。外れてほしいとは思うけど。
「でもね、リーゼ。本当にここには何も向かって来てはいないんだ。帝国軍全軍なんて規模の行軍を、私が見逃すわけないないだろう?」
「援軍は、あるとき突然、目の前に現れるんだよ、大叔母様」
「何を馬鹿なことを言って――い、いや、まさか――」
答えを察した大叔母様が絶句した。
それは、わたしの誘拐事件の経緯と顛末を知るレオンたちも同じだった。
「これはわたしの予想だけど、今、リシュテンガルド軍が戦っているのは帝国の正規軍なんかじゃない。もちろん将校クラスとかは本物なんだろうけど、多くの兵たちはそうじゃない。東方警備軍、傭兵、そしてたぶん、近隣の町や村の人たち……彼らはみんな生贄なんだよ――」
ごくり。誰かが生唾を飲み込む音が響いた。
「禁術『軍団召喚』の――」
わたしがそこまで話し終えると、大叔母様が深い溜め息をついた。
「私も耄碌したもんだね。その可能性に思い至らないとはね。いや、リーゼが成長したということか」
そう言いながら大叔母様は、自らが座っていた席をわたしに譲るように立ち上がった。
そこは総司令官の席だ。
「領主不在の今、次期領主がその責務を担うのがまっとうだろう。私は参謀に戻らせてもらうよ。いいね、リーゼ?」
「う、うん……」
自信なんてない。いや、そもそも戦争の指揮なんてやりたくなんかない。でも、今はそんなことは言っていられない。
禁術『軍団召喚』――その発動だけは絶対に阻止しないといけないからだ。
もちろん、いくら敵方だとは言え、何も知らない人たちが犠牲になるのを見過ごせないという思いもある。
禁術『軍団召喚』が発動してしまえば、帝国軍全軍が押し寄せて、お父様もわたしたちも無事ではいられないというのも理由の一つだ。
でも、もっとそれ以上に、絶対に譲れない理由があるのだ。
帝国軍全軍。それがどれぐらいの規模なのかはわからないけど、今、リシュテンガルド軍と戦いを繰り広げている人たちの魔力と命の全てを足し合わせても、全軍を召喚するのに必要なエネルギーを満たさないことだけは間違いない。
だから帝国側は、禁術『軍団召喚』を発動させるために、お母様の命を使うつもりだ。
神の贈り物――それは神の力の一部が割譲されたもの。その力が持つエネルギーを使えば、全軍召喚は成し得るかもしれない。
たぶん、帝国側がお母様を誘拐した真の目的はそれだ。
「わたしたちの勝利条件は、禁術『軍団召喚』を発動させないこと」
わたしは席に着く全員の顔を見渡して言った。
「そのためにやるべきことは二つ。お母様の救出と禁術『軍団召喚』の術者の制圧」
やるべきことは明確だ。たったの二つ、これだけで戦争は終わる。
「シーツ」
「はっ!」
立ち上がったシーツ爺が、直立不動で指示を待っている。その姿は、いつもはお父様の前で見せているもの。
シーツ爺は今、わたしのことを『守るべきお嬢様』ではなく、『命を預ける総司令官』として認めてくれているのだ。
「シーツはメイとともに、魔法師団長ドライに合流。その後、戦況はシーツが引き継ぎなさい」
「かしこまりました」
シーツ爺が頷いたのを確認して、今度はメイへと視線を向ける。
「メイ。あなたはドライと合流後、二人で協力してお母様の救出にあたりなさい。お母様の命とこの国の運命は、あなたの働きにかかっているの。しっかりね」
「御心のままに」
そう答えたメイはぶるりと震えた。
思いっ切りプレッシャーをかけたから当然だ。でもそれでいい。ありったけの信頼をぶつけてあげれば、メイは必ずそれに応えてくれる。
「さて、大叔母様。あっと言う間だったけど、わたしの仕事はここまで。ここから先は、また大叔母様が総司令官をお願いね」
「へ?」
呆気にとられた大叔母様に笑顔を向けて、ぴょんと椅子を飛び降りると、わたしはレオンの手をとった。
「行こう!」
「待ちな、リーゼ! どこに行くんだい!」
「お父様のところ」
「馬鹿を言ってるんじゃないよ! 戦場じゃないかい!」
わたしの答えに、顔を真っ赤にして唾を飛ばす大叔母様。
でも、勝利のためにやるべきことのもう一つ、禁術『軍団召喚』の術者の制圧を誰かがやらなきゃいけない。
わたしができれば一番いいけど、たぶん無理。だからそれはお父様にお願いしたい。
「大丈夫。たとえ戦場でも、これから向かう先が世界で一番安全なところだから」
お父様の隣。そこよりも安全な場所をわたしは知らない。
まあ、そこにたどり着くまでが危険なんだけど、きっとなんとかなる。
やるべきことが決まった今、じっとしてなんかいられないのだ。
「それじゃあ、行ってきます!」
レオンと二人でオンカに跨ったわたしは、大叔母様の制止を振り切って、いざ戦場へと、軍議室を飛び出して行った。
評価、ブクマなどをいただけると嬉しいです!




