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幼女と戦争(3)

 標高千メートル未満のそう高くはない山々が峰を連ねる山地。それがシーラン王国とフレイミア帝国の国境線だ。

 その稜線には、元の世界で言うところの万里の長城のような城壁と要塞が築かれている。そして、十三ある要塞の中心にある中央要塞には軍議室があり、戦時はそこが西方辺境領の中枢となる。


 初めて足を踏み入れた中央要塞は、まさしく戦場のような慌ただしさだった。

 武官も文官も入り乱れて走り回り、統制が取れていないというか、ただ忙しいと言うよりむしろ混乱しているようにも見受けられた。

 なんとなく嫌な予感がして、わたしは軍議室へと駆け出した。


「お父様!」


 ノックもせずに勢いよくドアを開き、お父様を呼ぶ。

 しかし、そこにお父様の姿はなかった。


「リーゼ!? あんた、どうしてここに?」


 指揮官の席に座り、支持を飛ばしていたのは、先代辺境伯であるお爺様の妹、先代のときから今に至るまで辺境伯の政務補佐を務めるメリル=キングリー女伯だった。


「大叔母様! お父様は?」


 わたしがなぜここにいるかなんてことは今はどうでもいい。わたしがいることより、お父様がここにいないことの方が問題なんだ。

 ここは軍議室。そしてお父様は最高司令官のはずなのに。


「リーゼ、ここは遊び場じゃないんだ。本物の戦場なんだよ。子どもは出てお行き」


 大叔母様はわたしの問いに答える代わりに、そう言って目を逸らした。

 やっぱり。お父様に何かあったんだ。

 嫌な予感ばかりがよく当たる。本当に嫌になる。


「大叔母様。これが遊びじゃないことぐらいわたしもわかってる。だから出ていかないよ。わたしは子どもだけど、次期領主だ」


 そう言って、真剣な眼差しを大叔母様に向ける。

 大叔母様がまるで心を覗き込むようにわたしの目をじっと見つめる。そうしてしばらくそうしたあと、ふっと息を吐いて、椅子に腰を下ろした。


「その目、やっぱりあんたはエリアスの子だね。いや、メグに似たのかもしれないね。まあ、そこに掛けな」


 どうやら大叔母様はわたしがここにいることを認めてくれたみたいだ。

 それはそれで嬉しいんだけど、そんな喜びなんて次の瞬間にはすぐに吹き飛んでしまった。

 大叔母様が口にした話、それが問題だったのだ。問題も問題、大問題だ。


「エリアスは戦場に行っちまったよ」


「うん。たぶんそうじゃないかなって。でも、どうして?」


「メグが拐かされたんだ」


「え――」


 一瞬、頭の中が真っ白になった。

 でも、唇をきつく噛んで止まりかけた思考をなんとか取り戻す。思考停止に逃げるのはもうやめたんだ。

 そんなわたしを見て、大叔母様は少しだけ口元を緩めた。


「リーゼは立派になったもんだねえ。エリアスは考えもなしに飛び出して行ったというのに」


 お母様が攫われて冷静でいられることが立派だというのなら、わたしは立派になんかなりたくない。

 わたしだって、今すぐ駆け出して、お母様を助けに行きたい。でも、わたしには力がないから。お父様みたいに一人で何でも解決できるような力がないから、ぐっと堪えて頭を働かせるしかない。それがわたしの戦い方だ。


「ふん、次期領主だ、なんて啖呵を切ったのは伊達じゃないみたいだねえ。あんた、いい目をしているよ」


 大叔母様はそう言ってから、状況の説明を始めた。


「五日ほど前にね、難民を保護したんだよ」


 領土拡大を目的に軍拡を続けるフレイミア帝国。

 でもそのせいで、帝国には重大な食糧危機が発生していた。いや、食糧不足があったからこそ領土拡大を目指したのかもしれない。

 それは、卵が先か鶏が先かの議論で、結論を出すことに大した意味はない。いずれにせよ、帝国民が飢饉に喘いでいることだけは間違いがなかった。

 そういう事情があって、帝国と領土を接する西方辺境領では、食料を、あるいは安住の地を求めた帝国民が難民として訪れてくるのは日常茶飯事だった。


「ただ今回はいつもと少し様子が違ったんだ。我が領が難民を受け入れたことに対して、帝国側は、非戦時捕虜をとったものと批判して、返還を求めてきたんだよ」


「しかし、それはただの言いがかりでしょう」


「ええ、ええ。おっしゃるとおりですね、レオンハルト殿下」


 大叔母様はレオンの言葉に苦々しげに頷いた。


「捕虜――じゃあないんだけどね、難民を送還するか、帝国の要求を突っぱねるか、エリアスは王城と協議を続けていたんだ」


「でも帝国は、こちらの答えを待つことなく軍を差し向けた――」


「そのとおり。わかりきっていたことだけど、捕虜の返還なんていうのはただの口実さね。だから誰も驚きはしなかったよ。まあ、腹立たしくはあったけどね」


 西方辺境領はいつだって帝国と、つまりは戦争と隣り合わせにある。

 お父様や大叔母様のように政治に与る人たちや軍部の人間にとって、帝国の侵攻は当然起こり得るリスクであって、常日頃から物心両面の備えをしていたはずだ。

 そして、その隣り合わせの危機に対する準備と覚悟は、西方辺境領のすべての領民にもあった。その証拠に、開戦からに二日と経たず、領都で暮らす人たちは全員、大した混乱も起こさず避難を完了させている。

 もしかしたら、戦争というものに何の準備も覚悟もなかったのは、わたしだけなのかもしれない。


「して、メリル様。奥様が拐かされたというのは、どういう事情なのでしょう?」


 シーツ爺が問うと、大叔母様が詫びるように頭を下げた。


「それは私たちの責任さ。言い訳になるけど、私たちは突然の、それも久方ぶりの戦争に浮足立っていたんだ。第一陣として騎士団だけじゃなく、魔法師団も向かわせちまったのも結果としては悪手だった」


「魔法師団――ということはドライ様ですね。ドライ様の不在が原因ということは――敵に空間魔法使いがいたということでしょうか?」


 お嬢様付きとは言え、メイは一介のメイドに過ぎない。剣聖であるシーツと違って、軍議室での発言など許されない。そもそも本来ならば軍議室にいることすらおかしいのだ。

 だからメイのその発言は、ほとんど無意識に発した独り言のようなものだった。

 しかし大叔母様は、メイのその言葉を拾い上げた。


「そのとおりだよ、メイ。保護した難民の中に空間魔法使いが紛れていたのさ。難民の取り調べも十分に行えず、空間魔法使いの存在も考慮できなかった。これは完全にこちらのミスだ」


「も、申し訳ありません。分を越えて発言など……」


「いや、いいんだ。アンタがここに来てくれて僥倖だった。この席にお前を座らせたのは、お前の意見も聞きたいからなんだよ、メイ。空間魔法使いとしての意見をね」


 空間魔法は使える者が極端に少ない。そのせいで学問としての体系的整理がいまだ進んでおらず、空間魔法使い本人にしかわからないことも多いのだ。

 だからこそ空間魔法使いには空間魔法使いをぶつけるのがセオリーで、ドライを戦場に向かわせたことが悪手だと大叔母様が言ったのもそのためだ。


「メグは十中八九、敵の空間魔法使いの亜空間の中に囚われている。メイ、あんた、他人が作った亜空間に転移できるかい?」


「申し訳ございません……私にはまだ。しかし、ドライ様ならあるいは……」


「そうかい。じゃあ、やっぱりドライに頼るしかなさそうだね……」


「本当に申し訳ございません……」


「別にあんたが悪いわけじゃないさね。しかし、どうしたものかね。ドライを呼び戻すわけにもいかないしねえ……」


 どうやら敵軍にはかなり厄介な魔法使いがいるらしく、ドライはその応戦で手一杯なのだそうだ。

 魔法使いには魔法使いをぶつける。それもこの世界での戦争のセオリーだ。


「頭が痛いよ、まったく……」


 大叔母様の嘆くような呟きに応える者は誰もおらず、軍議室には重たい沈黙が垂れ込めた。

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