幼女と戦争(2)
「お嬢様」
決意を固めてすっくと立ちあがったところへ、背後から声を掛けられ、わたしはびくりと肩を竦めた。
「あ、あのね、シーツ爺……わたし……」
「皆までおっしゃる必要はございません。爺もお供させてください」
「私もお連れください」
シーツ爺とメイが揃って頭を下げた。
メイはともかくとして、シーツ爺には絶対反対されると思っていたんだけど。
「いいの?」
「止めたところでお嬢様はこっそり向かわれるのでしょう? でしたら、最初から爺が付いていた方が安心にございます」
確かにシーツ爺の言うとおりだ。それに、わたしとしてもシーツ爺が付いてきてくれると心強い。何と言っても『剣聖』だからね。
そうして戦地に赴くことを決めたその翌日。
リシュテンガルドの王都別邸に戻って準備を整えたわたしたちは、いざ出発のときを迎えていた。
「リーゼ、絶対に危ないことしちゃダメよ。危ない所に近づくのもダメ。シーツとメイと必ず一緒にいること。いい?」
「もう、心配性なんだから、叔母様は」
今にも泣きだしそうな顔をした叔母様にハグをして、飛びっきりの笑顔を見せる。
散々説得をして、なんとか戦地へ向かうことを許してもらったのだから、ここでもう一押し、しっかりと叔母様を安心させておきたい。
でも、約束はしない。危ない所にいくかもしれないし、危ないことをするかもしれない。約束をしたら嘘になっちゃうからね。
「じゃあ、行ってきます!」
西方辺境領へ向かうメンバーは、わたしと、シーツ爺、メイ、オンカ、そしてレオンだ。
叔母様に出発の挨拶をしてからメイへと目を遣ると、彼女は緊張した面持ちをしていた。
ここから西方辺境領までは高速馬車で約十日。そんなにのんびり時間をかけている暇はない。
わたし一人であればオンカに乗っていくという手もあるけど、これだけの人数だとそれも無理だ。
そこで活躍するのがメイだ。
メイの転移魔法は一度の転移距離が最大で約三キロメートル。一度に移動できるのはメイを含めて三人が限界。
ピストン輸送を繰り返すという手もあるんだけど、それだとメイが早々に力尽きてしまう。
だから、そんな限界は無理矢理取っ払ってしまうことにした。神の贈り物『増強』で。
「準備はいい?」
「はい……」
万が一市街戦になっていた場合を考慮して、目標地点は領都郊外二キロメートル地点。そこまでの距離を、四人と一頭をつれて一気に飛ぶ。
それがどれだけ難しいことかは、メイの表情を見ればすぐにわかる。
全員がメイの肩に手を置いたことを確認して、わたしはメイの手をきゅっと握る。
それを合図にして、メイは目を瞑って集中力を高めていく。
失敗すれば、どこともわからない場所に放り出されてしまうし、それぞれ異なる場所に転移して離れ離れになってしまうことだってある。
最悪、亜空間の中に一人取り残されてしまうことだってあり得るのだ。
禁術並みの魔力出力と極限の集中力を要するその作業。魔力を供給することはできても、精密なコントロールをサポートしてあげることはわたしにはできない。
すべてはメイの技量にかかっているのだ。
「くっ……」
メイの鼻から血が滴り落ちる。
「だ、大丈夫!?」
「大丈夫です……それよりもお嬢様、魔力がまだ足りません。できれば、手を握るのではなく、ハグを……」
「う、うん! わかった!」
メイの言葉に従って彼女の細い腰にぎゅっと抱きつくと、わたしの中の魔力が勢いよくメイへと流れ込んでいくのを実感した。
確かにメイの言うように、より密着した方が魔力の供給効率はいいようだ。
「ああ……!」
でも、こうすることはメイの負担が増大する諸刃の剣でもある。
メイの顔は紅潮し、鼻血がとめどなく溢れ出す。
「メイ! やっぱり止めよう! このままじゃ――」
「ああッ! お嬢様が私の中に入ってくる!」
おい。その言い方、やめれ。
「イキます!」
よし。逝け。
視界がぐにゃりと捻じれると、浮遊感と眩暈に襲われて、たまらず目を閉じる。
しかし、それも束の間。浮遊感はすぐに消え、地に足が着くのを感じた。
目を開けば、視界の先には領都が見える。
メイはやり遂げたのだ。
「メイ!」
力を使い果たしたのだろう。意識を失ったメイが倒れ込む。
わたしとシーツ爺で抱きとめると、メイは鼻血まみれのその顔を上気させ、恍惚の表情を浮かべていた。
「ここに捨てていってもいいかな?」
「気持ちはわかるが、連れていこう。これでいて一応功労者だからな」
苦笑いを浮かべながらも、レオンはハンカチでメイの鼻血を拭いてあげている。優しい。
それに対して、シーツ爺の対応は塩だ。「まだまだ修行が足りないようですね」なんて言いながら、メイの首根っこをつかまえると、無造作に持ち上げて、オンカの背中へと乗せた。でも、無理矢理に起こすわけでもなく、ちゃんと運んであげようとするあたり、やっぱり優しい。
「では、お嬢様。これから市街地へと向かいます。帝国兵が潜んでおるやもしれませんので、爺からお離れにならないようお願いいたします」
シーツ爺の先導で一団となって領都へと向かっていると、途中、何組もの領民とすれ違った。
皆、馬車いっぱいに荷物を詰め込んでいる。
「最悪の事態を想定して、避難命令を出したんだろうな」
レオンの言う最悪の事態。それは市街戦。職業軍人だけではなく、一般市民にまで戦火が及ぶ。そうなってしまえばもう負け確だ。
だから、防衛線は山を越えた帝国側に張るのが普通なのだとシーツが補足する。
故郷が戦火に晒される。そのことに深い悲しみと不安を抱えているだろうが、彼らが余裕を持って避難できるだけの猶予を稼げていることだけは不幸中の幸いだった。
領都にたどり着けば、街は閑散としていて、山の向こうから聞こえてくる轟音がやけに耳に残る。
街に被害が出ていないことに安堵はするものの、本来あるべき賑わいが消えたことがひどく悲しく感じられた。
「イヤだな……戦争って」
「俺もそう思うよ」
レオンがわたしの頭に手を置いて、慰めるように笑顔を見せた。
「だから俺たちはこの気持ちを忘れないようにしよう。世界の皆がこの気持ちを共有できれば、戦争なんてなくなるはずだから」
「そうだね」
いかん、いかん。また弱気の虫が顔を出してしまった。
嫌だ嫌だといくら駄々をこねたところで、もう戦争は始まっているんだ。
今は目の前の戦争を一刻も早く終わらせたい。わたしはそのためにここに来たんだ。
「よし! 行こう!」
わたしも笑顔を作って、右手を高々と掲げた。
ここに来た以上、わたしがヘコんでたらダメ。わたしが不安を見せたらダメだ。
今のわたしは、雇われ研究員でも、アラサー喪女でもなければ、可愛らしい幼女でもない。
この領と領民みんなを守る次期辺境伯なんだから。
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