幼女と戦争(1)
「叔母様、ただいま!」
「あら、リーゼ、おかえりなさい! 久しぶりの実家はどうだっ――」
「グワア!」
王都に返ってきたわたしたちを、叔母様が笑顔で出迎えてくれたところに、オンカがご挨拶のひと吠え。
「きゃあああぁぁぁあッ!」
叔母様は絶叫とともに気絶してしまった。
「お、叔母様!」
ちょっとびっくりさせようと思ってただけなんだけど、まさかここまで驚かせてしまうとは……叔母様、ごめん。
「ふふん、これで貴女は森に帰ることが確定しましたね」
「グルル」
叔母様を抱き起すわたしの後ろでは、メイがオンカを挑発し、オンカが牙を剥き出しにしてそれに応えている。
この一人と一頭は仲が悪い。ノト侯爵領から王都までの道中もずっとこんな感じだった。
どうやら、道中でオンカがわたしを背中に乗せたことがその原因のようで、メイが「私ですらお嬢様に馬乗りになられたことはないのに!」などと変態じみたことを言っていた。
メイが嫉妬混じりにいちいちオンカに突っかかっていくものだから、いい加減うんざりしたオンカもメイを嫌っているというわけだ。
まあ、全面的にメイが悪いね、これは。
「言い争っていないで、ヴァイオレット様をお運びするのを手伝いなさい!」
「はい!」
「にゃあ!」
今にも取っ組み合いに移ろうかというメイとオンカをシーツ爺が一喝すると、彼女たちはビクッと背筋を伸ばした。
メイもオンカもシーツ爺が恐いのだ。動物としての本能なのだろう。
先ほどのまでのいがみ合いが嘘のように、メイとオンカは見事な連携を見せながら、叔母様をリビングへと運んでいく。
その光景がなんだか微笑ましくて、わたしは口元を緩めた。
推してくれている子たちが争っているのを見るのは、推される側としては心苦しいもの。
同じ人――と言っても、それはわたしのことなんだけど――を推すもの同士、今みたいに仲良くしていてほしいものだ。それが推し活のマナーだぞ。
そんなことを思っているところへ――
「リーゼ!」
久しぶりに聞くその声はレオンだ。
屋敷に駆け込んできたレオンは、がばりとわたしに抱きついた。
「よかった。帰ってきてたか」
「う、うん。レオン、ただいま」
いきなり熱烈なハグで歓迎されて動揺するわたし。
レオンは、そんなわたしの肩を掴み、真っ直ぐと目を見つめながら、言った。
「落ち着いて聞いてほしい」
「う、うん……」
落ち着いて、なんて言われても無理だよ。
抱きしめられて、見つめられて、それで落ち着いていられるんだったら、わたしはこんなに喪女を拗らせてはいない。
レオンはいったい何を伝えてくれるつもりなんだろう――
「戦争が始まった」
「え?」
「帝国が西方辺境領に攻めてきた。戦争が始まったんだ」
レオンのその言葉を聞いた瞬間、わたしの頭は真っ白になった。
⚫︎
叔母様とともに向かった先は王城の通信指令室。シーツ爺とメイも一緒だ。
そこではお父様とノーシス王太子殿下が通話をしていた。
「お兄様!」
青褪めた叔母様が二人の通話に割って入る。
本当は不敬なことなのだろうけど、それを咎める者は誰もいなかった。
『ヴィオラか。心配することはないよ。ここには僕がいるからね』
「で、でも……」
自分の故郷が戦場になる。それは恐怖しかない。
いつもは気丈な叔母様の顔にも不安の色がありありと見て取れた。
だからこそお父様は、殊更に優しく言う。
『僕の街は僕が守る。だから安心してほしい。ヴィオラはリーゼのことを頼むよ』
「え、ええ……」
『と言うことですから殿下、念のため王国軍の派遣をお願いします。まあ、無駄足になってしまうかもしれませんが』
「そうなることを願うよ」
最後にノーシス殿下と短いやりとりをして、お父様は通話を切ってしまった。
わたしも何かを言うべきだったのかもしれないけど、頭が真っ白になったままで言葉が何も出てこなかった。
その後、すぐに国家非常事態宣言が発令され、総指揮官であるノーシス殿下からの指令が飛んだ。
戦地である西方辺境領へは王立騎士団第一団が派遣され、第二団と第三団がツクフ大森林の西に広がるチックシー大平原に陣を張ることになったようだ。
「ノト侯に支援体制を確保するよう伝達せよ。明朝八時に出陣する」
ノーシス殿下の号令で、通信指令室内はさらに慌ただしさを増す。
しかし、殿下の説明も、忙しなく動き回る人たちの姿も、何一つわたしの頭には入ってこない。
どこか他人事のように、ただぼんやりとその光景を眺めていた。
「リーゼ、大丈夫か?」
「え? ああ……うん。大丈夫だよ、レオン」
大丈夫って何が?
空っぽになっていたわたしの心にもやもやとした疑問が湧いてくる。
大丈夫って、何が? 戦争が?
兵士も街の人たちも、お父様も、お母様も、みんなみんな死んじゃうかもしれないってことが?
ねえ、戦争って何?
戦争なんて、テレビ画面の向こうの出来事で、わたしにとってはアクション映画との違いなんて何もないものだったのに。
戦争って実在するの?
わたしの大切な人たちが人を殺すの? わたしの大切な人たちが殺されるの?
ねえ、戦争って――
「すまん」
気付けばわたしはレオンに抱きしめられていた。
「大丈夫なわけないよな」
「うん……大丈夫じゃない……」
そう答えると同時に、涙がぽろぽろとこぼれ落ちてきた。
「ねえ、レオン。わたしはどうしたらいいの?」
わかってる。わたしにできることなんて何もない。だってこれは戦争だもの。
心配かけないように、足手まといにならないように、安全な場所でじっとしているのが一番いい。
でも、こんな気持ちを抱えたまま、戦争が終わるのをただじっと待っているだけなんて、嫌だよ……
「行こう」
「行く……? どこに?」
「西方辺境領だ」
レオンの驚きの言葉に、涙が引っ込む。
わたしだって行きたい。今すぐお父様とお母様の元へ駆けつけたい。でも、そこは戦場だ。そんなことが許されるはずがない。
「許されてはいないけど、禁じられてもいないだろ?」
「で、でも……」
「俺だって戦争は恐いし、そんなものをリーゼに見せたいとは思ってない。でも、リーゼは行きたいんだろ?」
わたしはこくりと頷いた。
それは考えてそうしたというよりも、ほとんど反射だった。
「俺の知ってるリーゼなら『何もできないから行かない』なんて考えない。俺の好きなリーゼなら『行ってから何ができるか考える』って言うはずだ。だから行こう。リーゼは俺が守るから」
「レオン……」
行ってから何ができるかを考える――確かにレオンの言うとおり。それがわたしだ。
「ありがとう、レオン。行こう、リシュテンガルドへ!」
何ができるかはわからない。でも、それを考えるために向かうんだ。
立ち上がったわたしの頬の涙は、すっかりと乾いていた。
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