幼女と親友(1)
ノト侯爵領――
ツクフ大森林のすべてを領地に治めるその領は、大森林から産出される魔石の輸出と、魔石を加工した魔道具や宝飾品の生産によって大きな経済的発展と遂げている。
北部の山間には温泉も湧出し、雄大かつ神秘的な景勝と王都から近いという地の利もあって、王国一の観光地としても名を馳せている。
その領都の名は『アルメンドラ』という。王国では珍しく、領主の代替わりの度に領都の名が変わり、当代領主の母の名を街の名とするのが習わしらしい。
アルメンドラはナーシャのお婆様の名前。いつかこの街の名がナーシャの名である『アナスタシア』になる日が来るのだろう。
「ようこそいらっしゃいましたわ、リーゼ。我が領へようこそ」
賑わう街を散策しながらたどり着いたのは、街の中心に聳える大きなお城。そこでわたしを出迎えてくれたのはナーシャだ。
普段と変わらず着飾らないラフな格好だったけど、立派なお城を背景に立つその姿はお姫様感がすごい。
それにナーシャは、ノト侯爵領を「我が領」だと言った。わたしと違って、次期領主としての自覚と自信がある証拠だ。
こういうところがカッコいいし、憧れるんだよな。
「お招きいただき光栄でございます。アナスタシア=ノト次期侯爵閣下。西方辺境領から参りましたリーゼロッテ=リシュテンガルドでございます」
わたしがばっちりカーテシーを決めて、恭しく頭を下げると、ナーシャはそれに鷹揚に頷いた。
それから互いに顔を見合わせて――
「ぷっ!」
どちらからともなく笑い声を上げた。
「もう! そういう冗談はやめてほしいわ、リーゼ」
「ナーシャこそ」
久しぶりの再会に、互いに手を取り合ってきゃっきゃとはしゃぐわたしたち。
なんだか女子っぽい。いや、女子だけども。
こういうのに憧れていた時期もあったんだよなぁ、なんて遠い目をしていると、ナーシャが心配そうに顔を覗き込んできた。
「お疲れのようですわね。西方辺境領からは一週間ほどかかるのでしょう?」
「うん。でも全然疲れてないよ。久しぶりにナーシャに会えて、旅の疲れなんか吹っ飛んじゃったから」
「まあ! リーゼったら、一段と可愛くなって!」
まるでヴァイオレット叔母様のようなことを言ってわたしをハグするナーシャからは、ふわりと花のような香りがした。香水の香りとはちょっと違う、ナーシャ自身から醸し出されるいいかほり。
なんか知らんけど、可愛い女の子っていい匂いがするよね。
は! これがフェロモンってやつか――てか、わたしキモい? キモいよね? ごめん。
「さ、早くお入りになって」
勝手に浮かれて勝手に反省していたわたしの手を取って、ナーシャがわたしを屋敷へと引き入れる。
そうして広いエントランスホールに入ると、わたしはその素晴らしさに息を飲んだ。
多くの賓客を迎えるエントランスホールはその貴族の顔だ。
ノト侯爵家のそれは、質素だと侮られない程度には豪華で、成金趣味だと誹られない程度には慎ましやかで、ノト侯爵のバランス感覚と美的センスが見事に表れていた。
「ここの管理はお母様がしてらっしゃるの」
そう言ったナーシャの顔はどこか誇らしげだ。
きっとお母さん大好きっ子なんだろう。
「ねえ、あれは?」
エントランスホールの正面には大きな額縁が飾られている。でも、その額縁には黒い布が掛けられていて、調和のとれたホールの中でひと際浮いていた。
「あ、あれは、まあ、何と言うか、その、お父様の趣味なの……」
「もしかして裸婦画とか?」
急にしどろもどろになったナーシャを揶揄うように言うと、彼女は深い溜め息をついた。
「それならまだよかったのですけど……」
「エントランスホールに裸婦画よりひどいものって……まさか……」
「私の肖像画なんですの……」
これはひどい。確かに人には見せられない。
自分の肖像画がエントランスホールの正面にでかでかと飾られているとか、もう拷問だと言ってもいい。
「……行きましょうか」
すっかりテンションが下がってしまったナーシャに促されて向かう先は、謁見の間。
友達の家に遊びに来ただけだとは言え、そこはやはり貴族。まずはこの家の家長、つまりナーシャの父であるノト侯爵にご挨拶をしなければならない。
そう言えばナーシャのお父さんってどんな人だったかな?
わたしの六歳の誕生パーティのときにお祝いに駆けつけてくれたはずなんだけど、あのときは本当にたくさんの人に会ったから、正直どれが誰だったか全く覚えていない。
肖像画の件から察するに、少し変わった人なのかもしれないけど、あからさまにおかしな人がいたら覚えているはずだし。
「リーゼ、びっくりしないでくださいね……」
ノト侯爵が待つ謁見の間、その扉の前でナーシャがぼそりと言った。なんだか顔色も少し悪い。
「どうしたの? 大丈夫?」
「わ、わたくしは大丈夫ですわ……どちらかと言うと、大丈夫じゃないのはリーゼの方かも……」
ナーシャが何やらごにょごにょ言っていたが、そうしているうちに内側から謁見の間の扉が開かれてしまった。
カーテンを閉め切っているのか、真昼間だというのに部屋の中は真っ暗だ。
カッ――!
目を凝らして中の様子を窺っていたわたしの足元に、丸い照明の光が落とされた。まるでスポットライトだ。
驚いたわたしが隣を見ると、ナーシャは深い溜め息をついた。
「参りましょう……」
部屋の中へと進むナーシャに続いて、わたしも部屋へと足を踏み入れる。すると、わたしを導くように、丸い光が行く先を照らす。『みたい』ではなく、スポットライトそのものだった。
そうしてスポットライトに導かれるまま歩を進めると――
「ベストフレンズ! ベストフレンズ! ベストフレンズ!」
手拍子とともに室内に響き渡る『ベストフレンズ』コール。
なんだこれ?
戸惑うわたしを余所に、ナーシャは心を無にしてすたすたと歩いている。
そして部屋の中ほどを過ぎた辺りでスポットライトが止まり、それに合わせてわたしたちも歩みを止めた。
スポットライトが消え、謎の『ベストフレンズ』コールも止んだ。
室内を暗闇と静寂が包む。
「な、なに……?」
いよいよわけがわからなくなってきたわたしの正面から、ゆっくりと光が現れ、まるで夜明けのように辺りを照らしていく。
そうして全容を現す謁見室。両脇には使用人と思しき人たちが正装をして立ち並んでいて、部屋には至る所に色とりどりの花が飾られている。そして正面には――
『熱烈歓迎! 大親友リーゼロッテ様!!』
手作り感溢れた横断幕が飾られていた。
「ようこそお出でくださいました、リーゼロッテ様!」
使用人一同声を揃えての歓迎の言葉が響く。
いや、ほんと、なんだこれ?
「ほんと……ごめん、リーゼ」
ナーシャが消え入りそうな声でそう言った。
部屋に入る前に青褪めていた顔は、途中、虚無を経て、今では真っ赤になっている。
「えっと……なんか、こっちこそごめん。こういうとき、どういう顔をしていいかわからなくて……」
「笑えばいいと思いますぞ」
そう言ってわたしたちの前に立ったのは恰幅のいい中年男性。
丸くて、てかてかとした頬と、申し訳程度に生やした可愛らしい口髭が特徴的なその顔には、深い笑みが刻まれている。
「しばらくお目にかかっておらぬうちに、また一段と可憐になられましたな、リーゼロッテ殿」
ま、まさかとは思うけど……
「お久しぶりですな。ナーシャの父、クラウスです。いつも娘と仲良くしてもらっているようで、感謝申し上げますぞ」
うそーッ!
心の中で絶叫した。声には出してなかったと思う。たぶん。
わたしは驚きのあまり挨拶を返すこともできず、まじまじと二人の顔を見比べた。
とても失礼なことだとは思うけど、そんなことに構っていられる余裕なんてわたしにはなかった。
「そっくりでしょう? よく似ていると言われるのですよ」
「え? ええ……あの、はい。はは……」
一応断っておくけど、侯爵閣下は決して見た目が悪いというわけではない。確かに太ってはいるけど、基本的には愛くるしい顔立ちをしている。
ほら、笑った顔なんかナーシャにそっくり――でもないわね……
きっとナーシャはお母さん似なんだ。
わたしがそんなふうに戸惑っている隣では、ナーシャが頬を膨らませてぷりぷりと怒っていた。
「もう、パパったら! ちゃんと出迎えてって言ったのに!」
まあ! ナーシャって、普段は『パパ』呼びなのね。なんだか可愛い!
でも、それはさておき、ナーシャの言うことは一理あるどころか、真理である。
一体何なんだ、この出迎えは? 正直ちょっとひいている。
「ちゃんと出迎えたじゃないか。華々しく、盛大に。皆、この日のために一生懸命練習したんだぞ。なあ、皆の者?」
「ベストフレンズ! ベストフレンズ! ベストフレンズ!」
ノト侯爵が話を振れば、使用人たちからは再びベストフレンズの大合唱だ。
なるほど。これがノト家の『ちゃんと』の基準か。実に興味深い。この環境で、どうやったらナーシャみたいな常識人が育つんだろう?
「さあ、せっかくだから一緒にお茶でも――」
「知らない! パパとなんか一緒にお茶飲んであげないんだから!」
拳を震わせながら叫んだナーシャは、わたしを置いて部屋を飛び出して行ってしまった。
えっと……わたしはどうすれば?
目の前には膝から崩れ落ちたノト侯爵。
よし。ここにいても居た堪れないだけだから、ナーシャを追おう。
「あの、お招きいただき、ありがとうございます!」
生気を失ったノト侯爵に形ばかりの挨拶をして、私はナーシャを追って部屋を出ることにした。
「お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたわ」
廊下に出るとすぐにナーシャがそう声をかけてきた。
どうやら、わたしを置いてきてしまったことに気付いて、待ってくれていたみたいだ。
「ううん。なんだか面白かったよ。ナーシャってすごく愛されてるんだね」
「度が過ぎますわ。私が親友をお招きするって言った途端、家の者が皆、張り切ってしまって……」
「愛されてるってのも大変だね」
わたしもそうだから気持ちはよくわかる。もしかしたらナーシャも『魅了』のギフト持ちだったりしてね。
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