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幼女と母(3)

「愛情を疑っちゃだめ。あなたに向けられた愛情を、あなたが抱いた愛情を、疑っちゃだめよ」


 お母様の目は真剣で、有無を言わせないものがあった。


「いい?」


 わたしがこくりと頷くと、お母様は満足気に頷いてから、ベッドにころんと転がった。


「リーゼ、いらっしゃい」


 誘われるままにお母様の隣に寝転がる。

 それはつい最近までやっていたはずのことだけど、なんだかむず痒く感じられた。


「リーゼが抱いたその思いはね、昔の私の思いでもあるのよ」


 仰向けになって天井を見上げたお母様が、そう遠くない昔を思い出すように語る。


 お母様は五つのときに孤児になったらしい。両親が亡くなったのだそうだ。

 でも、それは確かに辛い出来事ではあったけれど、その後の暮らしが惨めで苦しいものだったかと言うとそうでもなかった。

 孤児院での生活とは言え、そこは徳政で名を馳せた先代リシュテンガルド辺境伯が治める地、豊かとは言えないまでも、子どもが笑って暮らせるだけの環境がそこにはあった。

 そして何より、お母様はたくさんの人の愛情に包まれていた。


「今思えば、そのころにはもうギフトの力に目覚めてたのかもね」


 そう振り返るお母様だが、彼女自身がその力を自覚したのは十五歳、成人を迎え、孤児院を出てすぐのことだったと言う。

 一人暮らしをはじめ、街の大衆食堂で働き始めたお母様に、子爵令息が無理矢理言い寄ってきたらしい。


 言い寄ってきた――子どもの手前、お母様はそう言ったけど、子爵令息という立場にある者が元孤児の町娘に無理矢理言い寄るということは、権力を笠に着て手籠めにしようとしたか、もっと悪ければ、力で強引に組みしだこうとしたかのどちらかだろう。


 当時のお母様がとんでもない美少女だっただろうことは容易に想像がつく。女性としての魅力を開花させ始めたお母様に劣情を抱く輩も、その男だけではなかったはずだ。

 時として男は、女にとって最大の敵となるのだ。


 その後もお母様に言い寄る男、つまりお母様をものにしようとする男は後を絶たなかった。

 貞操の危機を感じたお母様は教会へと逃げ込み、そこで神の贈り物(ギフト)のことを初めて知ったというわけだ。


「あのころは男の人がみんな恐かったわ。でもね、自分の力を知ってしまったら、恐いのは男の人だけじゃなくなったの」


 向けられる劣情はもちろん恐い。でもそれだけじゃない。愛情も友情も、自分に向けられる好ましい感情まで恐くなった。

 自分が愛されていたのは神から授かった力のおかげ――そう思うと他人も自分も信じられなくなった。


 かつてお母様が抱いたその思いは、今のわたしの気持ちと全く同じものだった。

 お母様の場合、わたしと違って、力のことをわかってくれる人も、相談できる人もいなかった。だからその苦悩はわたしよりもずっとずっと深いものだっただろう。


「お母様はどうやって立ち直ったの?」


「エリアスに、あなたのお父様に出会ったからね」


 ずっと天井を見上げていたお母様は、まるで少女のような顔で、はにかんで笑った。

 でもそれだけ。それ以上は何も教えてはくれなかった。

 きっとお母様とお父様だけの大切な思い出なのだろう。知りたい気持ちはやまやまだけど、問い質すのは野暮ってものかもしれない。


「好きになってもらうのは簡単だけど、好きでい続けてもらうのは難しい――そうでしょ?」


「うん」


 好きになってもらうのは簡単。そう言い切れる時点で大概チートな力だけど、お母様の言うとおり、誰もが盲目的にわたしを好きでい続けてくれるわけではない。

 まあ、中には、メイとかフローラとかデイヴみたいに盲目的に推してくれる人たちもいる。でも、メイは別として、なんならフローラやデイヴには最初は嫌われ気味だったし、みんながみんな、最初からわたしのことを好きでいてくれたわけではない。

 だからこそ、愛情と友情に飢えていたわたしは、みんなに好きになってもらえるように、みんなに好きでい続けてもらえるように、努力をしてきたつもりだ。

 もちろんそれは、レオンに対しても。


「だから大丈夫。あなたに注がれている愛情は、ちゃんとあなた自身に注がれているわ」


「うん。ありがと、お母様」


 たぶんわたしは、お母様ほどこの力のことを割り切れてはいない。

 お母様みたいに、この力のことを笑顔で語れるようになるには、まだもう少し時間がかかるだろう。

 でも、ギフトの力も、わたしが抱く気持ちには関係ない。わたしがみんなを大好きだという思いに嘘はないはずだ。

 今はそれで充分だし、もしかしたらそれこそが答えなのかもしれない。


「もう大丈夫そうね?」


 わたしが元気を取り戻したのを見て取ったお母様が、そっとわたしの頬を撫でた。


「この力はね、悪い力ではないの。あなたの助けになることもたくさんある。でもね、リーゼにはこの力の恐さをちゃんと知っておいてほしいの。きっと他のどんなものよりも恐ろしい力だから。リーゼにならわかるでしょ?」


 お母様の言葉にわたしは黙って頷いた。


 敵陣で孤立無援の中、わたしが味方を得ることができたのはなぜか。

 劣情を抱く男たちが迫る中、お母様が無事でいられたのはなぜか。

 それは相手に言うことをきかせたからだ。神の贈り物(ギフト)魅了チャーム』の力で、強制的に。


 相手の自由意思を拘束し、心を支配する。

 お母様の言うとおり、何よりも恐ろしく、そして、非人道的な力だと言えるかもしれない。


 たとえばわたしが、この国が欲しいと願えば、わたしはこの国の王になることだってできるだろう。

 万が一わたしが、誰かの死を願うようなことがあれば、その誰かは笑顔のままナイフで自分の首を突くのかもしれない。

 もしもわたしが、愛する人を思うままにしたいと願えば――


「ね? とても恐い力でしょ?」


 わたしは自分の想像に息を飲んだ。

 すべてが願うままになる世界。

 嫌なことも、辛いことも、悲しいことも何もない。わたしの、わたしによる、わたしのための理想郷。

 これはもう勝ち確です!


 でも、本当に?

 嫌なことも、辛いことも、悲しいことも何もないってことは、楽しいことも、喜びも何もないってことになっちゃわない?

 誰も彼もがわたしの言いなりだったら、わたしは独りぼっちってことになっちゃわない?

 そんなの本当に『勝ち』って言えるの?


 頭ではわかっている。こんな力に頼っちゃダメだって。

 でも、困ったとき、行き詰まったとき、悲しいとき、辛いとき、この力を使えばすべて上手くいくことがわかっているのに、力を使わずにいることができるだろうか?


 神の贈り物(ギフト)魅了チャーム』はその持ち主こそを魅了する。

 わたしは生きている限り、この力の誘惑に打ち勝ち続けなければならない。何度も、何度も。

 お母様が「恐い」と言ったのは、きっとこのことなのだろう。


「お母様はどうしてるの? 力を使いたいなって思うこと、いっぱいあるでしょ?」


「ないわ。もっと若いときにはあったのかもしれないけど、今はないわ。私はリーゼやエリアスのことが大好きで、二人の幸せだけを願ってるから。だからね、私が力を使うのは、二人を守らなくちゃいけないときだけ。そう決めてるの」


「そっか」


 自分以外の誰かの幸せを願うから、力は使わない。他ならぬお母様の言葉だからこそ、わたしの胸にすっと沁み込んできた。


「でも、お母様?」


「なあに?」


「お母様はまだまだ若いよ?」


「あらあら、嬉しいこと言ってくれるのね」


 お母様がわたしを抱き寄せると、張りがあるのに柔らかい二つの不思議な物体の狭間に頬が埋まった。

 あ、やば。なんかムラムラしてきちゃった。

 幼女のわたしですらこれなんだから、やっぱり男だったら辛抱堪らんでしょうな。

 すまんのう、父よ。今日はあなたの妻を独り占めさせてもらいますぞ。ぐへへ。


「疲れてるのにたくさんおしゃべりしちゃってごめんね。そろそろ寝ましょうか?」


「うん。おやすみ、お母様」


「おやすみ、リーゼ」


 魂年齢三十六歳の幼女が、十歳年下の母の胸に抱かれて目を瞑る。

 そうしてわたしは、心地よい微睡に身を委ねながら思うのだ。

 もしこの世界に理想郷があるのだとしたら、それはきっと今のこの場所なんだろうな、と。

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