幼女と母(2)
その日の夜は、お母様の部屋で二人っきりの女子会だった。
ずっと離れ離れだったから、とても嬉しい。
化粧を落としたお母様は、少女のような愛らしい顔をしていて、髪を上げたうなじが幼女のわたしから見てもやけに色っぽい。
これはお父様も毎晩堪らんでしょうな、ぐひひ。
「ねえ、お母様、お腹の中に赤ちゃんいる?」
「あら! 私、そんなに太っちゃったかしら!?」
慌てたお母様が、自分のお腹周りに手を伸ばす。でも、そこに掴めるお肉なんてない。
出るところは出て、引っ込むところはしっかり引っ込む。相変わらずお母様はナイスバデーだ。
「そうじゃなくて、ね?」
「あらあら。リーゼはいつのまにかおませちゃんになっちゃったのね。でも、安心して」
そう言いながらお母様はわたしの髪を撫でた。
「お父様とお母様の愛情は、リーゼ一人だけのものよ」
作る気がないのか、作りたいけどできないのかはわからないけど、どうやら弟はまだ望めないみたいだ。
でも、まあいいや。確かにお母様の言うとおり、弟か妹ができて、二人の愛情がそちらに向かえば、わたしはきっと嫉妬しちゃうからね。やっぱりこのあたりはまだまだ子どもメンタルだから。
「それにしても、お母様?」
「なあに?」
可愛らしい笑顔を向けてくるお母様に、わたしはここに帰ってきてからの疑問を投げかけてみることにした。
「お母様はご自分のことを『お母様』って。ずっと『ママ』って言ってたのに。お父様もそう。どうして?」
「ふふ。それはね、リーゼがもう子どもじゃないからよ」
そんな言葉とは裏腹にお母様はわたしを膝の上にのせた。
柔らかくていい香り。辛抱堪らん。確かにこんな感想を抱く時点で、子どもではないのかもしれませんね。
「でも、わたしはまだまだ子どもだよ」
いつまでも子どもでいたい。最近よくそう思っております。
でも、お母様は優しく首を横に振った。
「子どもじゃないわ。大人じゃないけど子どもじゃない」
そうしてお母様は指を折りながら、その理由を説明する。
「親元を離れて学院に入学した。友達もできた。恋人もね。周りの人を大切にして、周りの人のために頑張った。そして――『神の贈り物』を発現した」
神の贈り物――その言葉を口にしたとき、お母様はわたしのことをぎゅっと抱きしめた。
たぶんお母様は、今日、この話をしたかったのかもしれない。
「実はね、お母様もギフト持ちなの」
「ナンダッテー!」
驚きのあまり、驚きの台詞を棒読みしてしまった。
まさかお母様までギフト持ちだったなんて……ってことは、わたしはギフト持ちの両親から生まれたギフト界のサラブレッド。いくらギフトに血統は関係ないと言われているとは言え、わたしがギフトを授かったのは必然だったのかもしれない。
圧倒的な可愛さといい、ギフトといい、いくらなんでもわたしは神に愛され過ぎている。
「ねえ、リーゼ。リーゼはお母様のこと、好き?」
わたしを膝から降ろしたお母様が、手を握って、正面からわたしの瞳を見つめた。
ちょ、誘惑してんの?
娘のわたしでさえそう思ってしまうほど、お母様の表情は艶かしくて美しい。
「もちろん好きだよ」
これ以外の答えなど存在しない。
娘だからじゃなない。きっと誰であってもそうだ。
「じゃあ、リーゼにじゃなくて、お母様が他の人に同じように聞いたら、『好きじゃない』って答える人、いると思う?」
わたしはきっぱりと首を横に振った。
そんなヤツがいるとしたら、脳みそが死んでいるか、心が死んでいるかのどちらかだ。
「そう。いないのよ」
ふふ、と笑ったお母様が、もう一度わたしの手を握った。
「こうして手を握って、目を見つめてから『好き?』って聞けば、相手が誰であっても『好き』って答えてくれるわ。誰であっても、ね」
すごい自信。
まあ、そんな自信が湧いてくるのも当たり前なほど、お母様は美人で、綺麗で、素敵で、可愛いいけど、ちょっとお母様らしくない気がする……って――
「まさか……」
「そう。それが私のギフトなの」
その力の名は『魅了』
端的に言うと、相手を虜にする力だ。
お母様の話では、その力は基本的に無意識に発現しているという。その結果、人に好かれやすくなり、人間関係も円滑に回りやすくなったりするらしい。
とは言え、その力はそんなに大袈裟なものではなく、『あの人なんとなくいいかも』とか、『なんか知らんけど好き』ぐらいの微々たる力だ。
女子がよく言う『生理的に無理』という心を抉る言葉とは正反対。そう考えれば、微々たる力とは言えないかもしれないけど。
そしてその力は、意思を持って、意識的に使ったときに、その真の力を発揮する。
抗いがたい魅力に囚われた相手は、身も心も術者の虜になってしまう。そうなってしまえば、もはや術者に逆らうことなどできない。
それはもう虜というよりも繰り人形、もっと悪く言えば奴隷だ。
「ま、まさか……」
「リーゼにも思い当たることがあるでしょう?」
息を飲んだわたしに、お母様はいつになく真剣な眼差しを向けた。
手を取って、目を見詰めて、可愛らしくお願いする。
それは、わたしが囚われの身だったときに、サリィたち聖堂騎士十二座のみんなにやったことだ。
彼女たちがわたしに味方をしてくれたのは、わたしがとんでもなく可愛いおかげだと思っていたけど、そうじゃなかったのかもしれない。
もちろん、わたしがとんでもなく可愛いことは間違いじゃないんだけど、それだけじゃなくて、わたしにもお母様と同じ力が宿っているのかもしれない。
「きっとそうね。ギフトは血で受け継がれるようなものではないけれど、あなたがエリアスと同じ力に目覚めたって聞いたとき、もしかしたらって思ったの」
「そっか。お母様と同じ力かぁ」
この体は確かにお母様と遺伝的なつながりがある。でも、わたしが転生者である以上、精神的なつながりは、本物の親子とはやっぱりどこか違っていて、わたしはそのことをひどく寂しく感じることもあった。
そんなわたしにとって、たとえそれが不思議な力であっても、同じ力を持っているということは、お母様との確かなつながりを感じられるものだった。
でも、そうやって笑顔を向けたお母様の顔に、笑みはなかった。
我が子のことを憂う顔――それは前世でも母に向けられたことのある顔とまったく同じものだった。
それを見たわたしは、はたと気付いてしまった。あるいは気付かないままでいた方がよかったかもしれない。
「ちょっと待って、お母様……」
今生のわたしはたくさんの人の愛に包まれて生きている。
お父様、お母様はもちろん、ヴァイオレット叔母様に、シーツにメイ、他にもたくさん。溺愛されていると言っていいほどに愛されている。
学院には友達だってたくさんいる。
ナーシャとはもう親友だと言い合える間柄だし、一緒にここまでがんばってきたクラスメイトをわたしは大好きで、みんなもわたしを好きでいてくれていると思う。
それに、レオン。
レオンはわたしを好きだって言ってくれた。
抱きしめてくれた。
愛してるって言ってくれた。
でも――
そういうの全部、嘘ってことになっちゃわない?
もしわたしに神の贈り物があって、これまでのこと全部、その力のおかげなんだとしたら、家族の愛も、友達との友情も、レオンの言葉も、全部全部嘘ってことになっちゃう!
もしかしたらわたし、結局この世界でも誰からも愛されていないんじゃ――
「リーゼ」
真っ青な顔をして震えが止まらなくなってしまったわたしを、ふわりと優しく甘い香りが包んだ。
「大丈夫よ、リーゼ」
そのひどく優しい声が、わたしの心を落ち着かせていく。
それもお母様の力なのだろうか。
「そうじゃないわ」
でもお母様は、わたしの考えをきっぱりと否定した。
「大切なことを言うからしっかり聞いて」
そうしてお母様はまっすぐとわたしの目をみつめた。
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