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幼女の危機(7)

●最終局面――難局


 木陰に身を隠したレオンハルトが庭園の様子を窺っていると、そこに一人の男が姿を現した。

 彼が身に付いているのは聖女教の枢機卿だけが纏うことを許された朱色の祭服。おそらく、彼こそがリーゼ誘拐の実行犯、ヨーゼン=ドラッメリア枢機卿だろう。

 そしてその後ろには、騎士に取り囲まれる形で、一人の少女の姿があった。


 リーゼ!


 思わず叫び出しそうになるのをすんでのところで堪え、レオンハルトは改めて大木を背にして身を隠した。

 リーゼは無事だった。メイからもそう聞いていたとは言え、いざその姿を見たレオンハルトは、喜びに打ち震えていた。

 しかし、同時に、状況のまずさも理解していた。


 レオンハルトは慎重を期しながら、もう一度彼らの様子を窺う。

 リーゼの隣には修道女が一人。その二人を護衛しているのは、ドラッメリア枢機卿とともに姿を消した聖堂騎士十二座だろう。その数、十一。


「相手が悪すぎる……」


 レオンハルトがいかに優秀であろうと、聖堂騎士十二座が相手では万に一つも勝ち目はない。十二座末席が相手であっても、傷一つ負わせることもできないだろう。一人ひとりが化け物なのだ。そんな聖堂騎士十二座が、一人を除き全員揃っている。

 ヒロイズムに任せて飛び出して行っても、状況は悪化するだけだ。


 そして、そんな彼らの向かう先には馬車。場所を移る気なのだろう。

 せっかく居場所を突き止めたばかりで再び見失うということだけは絶対に避けたい。

 このままリーゼを置いてここを離れるのは、見捨てるようで気が引けるが、ここは一旦、メイと合流した方がいいだろう。


 レオンハルトが下した判断は極めて合理的なものだった。

 しかし、レオンハルトが断腸の思いで踵を返そうとしたそのとき、リーゼの傍らに立つ修道女と目が合った気がして、彼の背中に悪寒が走った。


「しまった!」


 足元に召喚魔法陣が浮かび、レオンハルトは思わず声を上げるが、言い終わるが早いか、次の瞬間には、レオンハルトはドラッメリア枢機卿の眼前に引きずり出されていた。


「おや、ネズミが入り込んだと聞いていましたが、どうやら獅子だったようですねえ」


 ヨーゼンが下卑た笑いを浮かべるのと同時に、聖堂騎士たちが剣を構えた。


「レオン!」


 レオンハルトに気付いたリーゼが、修道女の制止を振り切って彼に駆け寄った。

 これまでずっと一人で不安だったのだろう。その大きな瞳は涙に濡れていた。


「無事でよかった、リーゼ」


 一度だけリーゼに笑顔を向けたレオンハルトは、彼女を後ろ手に庇うと、すぐさまヨーゼンに視線を戻した。


「シーラン王国第三王子レオンハルト=シーランだ。リーゼは返してもらう」


 レオンハルトは抜剣をせずにそう言い放った。

 相手が抜剣している以上、レオンハルトが剣を抜けば武力による衝突は避けられない。いや、衝突にすらならないだろう。行われるのはただの蹂躙だ。

 これはレオンハルトの賭けであった。相手が自分の言葉に応じてくれることを願うだけの、分の悪い賭け。


 しかし、残念ながら賭けというものは、賭ける側が負けるようにできているものである。


「風の噂は教会にまで届いておりましたよ。なんでも、レオンハルト殿下と聖女様は交際をされているのだとか。しかしねえ……」


 薄ら笑いを浮かべていたヨーゼンが突然その表情を険しいものに変えた。


「聖女は純潔でなくてはならないのです!」


 その怒号を合図に、十一人の聖堂騎士が歩調をそろえて一歩前へと出た。


「聖女を誑かすような罪深き者には裁きが必要です。ちょうどいいときに出てきてくれたものです。この裁きは、聖女様が聖女様としての自覚をなさるよいきっかけともなるでしょう」


 ヨーゼンの言葉を背にした聖堂騎士たちの足音が、一歩、また一歩と近づいてくる。

 レオンハルトはやむを得ず剣を抜いた。そしてそれを正眼に構えると、迫り来る敵を見据えたまま、背中に守るリーゼへと声をかけた。


「俺が斬りかかったら全力で走るんだ。森を抜けた先にメイが待機している」


 メイならば必ずリーゼの動きに気付いてくれるはずだ。

 三分――リーゼが逃げ切るだけのその時間を、自らの命に残された時間の全てを使って稼げばいい。

 レオンハルトは覚悟を決めて、剣を強く握った。


「リーゼ、愛している」


 彼が口にしたのは、きっと最初で最後になるであろう愛の告白。

 しかし――


「だめだよ」


 剣を構えるレオンハルトの手に、リーゼの手がそっと添えられた。


「そういうのは、ちゃんと目を見て言ってくれなくちゃ」




●最終局面――逆転


 愛してる? 愛してるですって!?

 っきゃー! 愛してるって、レオンが愛してるって言ってくれた!

 ねえ、みんな聞いた? 聞いてたよね? レオンがわたしを愛してるって! お赤飯炊いて!


 そんな内心のどんちゃん騒ぎを必死に抑えながら、わたしは剣を握るレオンの手に、手を伸ばした。

 そうして触れた彼の小さな手は震えていた。

 恐いんだ。恐くて恐くて仕方がないんだ。

 それでもこうして助けに来てくれた。こうしてわたしを守ってくれている。

 かっこいいよ。嬉しいよ。嬉しくて、嬉しくて、今までの不安が全部吹き飛んでしまうぐらい嬉しくて、そして、愛してる。


「大丈夫だよ、レオン。安心して」


 これからもレオンとずっと一緒にいたいから、レオンにはちゃんと覚えていてほしい。

 わたしはただ助けを待っているだけの女じゃないんだよ?

 ただ守られるだけの弱い女じゃないの。


 まるで行進をしているかのような規則正しい足音が迫って来ている。

 レオンは今にも飛び掛かろうとしているけど、彼の手を握ってそれを抑える。


「大丈夫。大丈夫だから、信じて」


 わたしたちのところまであと一歩。聖堂騎士たちがそこまで迫ったとき、彼らは一斉に跪いた。

 膝をつき、剣を胸の前に掲げている。それは祈りのポーズだ。

 そして最後に、遅れてやってきたサリィが聖堂騎士たちの先頭まで歩み出ると、彼女もまた修道女らしく膝をついて、胸の前で指を組んだ。


 唖然とするレオン。

 そうしているのは彼だけではない。ヨーゼンもだ。


「お、お前たち! 何をしているんだ!」


 一足先に我に返ったヨーゼンが血相を変えて唾を飛ばす。

 しかし、それに対する彼らの答えは至って冷たいものだった。


「ご覧のとおり、聖女様に祈りを捧げているのです」


 立ち上がったサリィが、祈りを妨げられた苛立ちを隠そうともせずにそう言った。


「祈りなど後でいい! 私はその小僧を始末しろと言ったのだ! 私の命令が聞けんのか!?」


「祈り……など?」


 サリィの鋭い視線がヨーゼンを刺した。

 ヨーゼンはその視線の圧だけで、よろよろと後ろに倒れ込む。


「枢機卿に与えられた聖堂騎士団の指揮権は、あくまで教会の組織運営上のものでしょう? 聖女様が降臨された今、聖堂騎士団に命を下せるのは聖女様のみ。私たち聖堂騎士団は、聖女様に従う者ですから」


「せ、聖女?」


 ようやく我に返ったレオンだったが、どうやら展開について来れていないようだ。

 首を傾げる彼に、わたしはそっと耳打ちをする。


「どうやらわたし、聖女みたいなの」


 てへ!


 まあ、そう思っているのは彼女たちだけなんだけどね。

 でも今はそれが好都合だ。これこそがわたしの逆転の一手だったのだから。


 修道女兼聖女付き侍女サリィ。その真の姿は、聖堂騎士十二座の第一座、『万象』のサリィだった。

 その二つ名が示すとおり、ありとあらゆる属性の魔法を操る稀代の大魔術師なのだそうだ。

 お嬢様付き家庭教師兼リシュテンガルド魔法師団団長のドライとどっちがすごいのかなって思うけど、それはさておき、わたしの幸運は最初に彼女を抱き込めたことだった。


 ヨーゼンの目を盗んだわたしは、彼女を介して残る十二座の全員に接触することに成功した。そして、わたしの味方をしてくれるように説得したところ、みんな快く承諾してくれたのだった。

 まあ、手を握って潤んだ瞳でお願いすれば一発だったわね。ほんと、可愛いってチートだわ。


 敵方の最高戦力がわたしの味方に付いた。もうこの時点で勝ち確だった。

 本当はいつでも逃げ出すことはできたんだけど、この事件の真の黒幕を突き止めたくて、みんなで一芝居打って、ヨーゼンに従うフリをしていたというわけだ。


「驚かせちゃってごめんね」


 レオンには本当に申し訳ないことをしたと思う。まさかあんなことを言ってくれるとは思わなかったから。

 でも、わたしにとっては、黒幕の正体を突き止めるよりもずっとずっと嬉しいことだったから、後悔も反省もしていない。


「さて、ヨーゼン様」


 両翼に聖堂騎士十二座を侍らせたわたしは、可愛らしい笑みをヨーゼンへと向けた。


「貴方は先ほど、『聖女を誑かすような罪深き者には裁きが必要だ』と、そうおっしゃいましたわよね?」


 幼女らしく可愛らしく、それでいて聖女らしく威厳に満ちた声でそう言うと、それを合図にして、聖堂騎士たちが一歩前へ踏み出した。


「ま、待て、お前たち! 自分たちが何をしているのかわかっているのか! 私に何かあればアークヤーク公が黙っておらんぞ!」


 はい、ありがとうございます。黒幕のお名前、いただきました!


 必死で逃げ出そうとするヨーゼンだったが、腰が抜けてしまったのか動けない。

 そんなヨーゼンに聖堂騎士が一斉に剣を振り上げたところで、ついにヨーゼンは泡を吹いて気を失ってしまった。


 ふう。

 これにて一件落着。今のところはそれでいいよね。


 小さく溜め息をついてから振り返ると、そこにはわたしを迎えに来てくれた王子様がいた。

 身分なんかの話じゃなくて、正真正銘のわたしの王子様。

 その顔を見て、ずっと我慢していたものが堪えきれなくなって溢れてくる。

 わたしは瞳にたっぷりと涙をためて、彼の胸に飛び込んだ。


「うわん、レオン! こわかったよお!」


 そんなわたしを優しく抱きとめて、レオンは言う。


「お、おう……」


 あれ? なんか思ってた反応と違う。

 でも、いいや。

 一番助けに来てほしいと思ってた人が、一番に助けに来てくれた。わたしはそれが嬉しいから。

 わたしはレオンが大好きだから。




●後日談


 アークヤークの乱。

 後の歴史書にはそう記されている。


 死に至る感染症を人為的に蔓延させたこと、辺境伯令嬢を誘拐したこと、千二百余名にも上る命を代償に禁術を使用したこと、そして、王政転覆を図ったこと。

 これらの責により、主犯のアークヤーク公爵は爵位剥奪の上、斬首。

 アークヤーク家とそれに加担した複数の貴族家は取り潰しとなり、その領土は一時的に王家直轄として管理されることになった。


 実行犯のヨーゼン=ドラッメリア枢機卿も、同じく斬首。

 加えて、彼が所属した聖女教中央教会には、禁術の犠牲になった者たちへの四十日間の供養祈念の儀が言い渡された。


 犯行に加担した聖堂騎士十二座については終身刑が言い渡されたが、被害者に助力したこと、および被害者からの減刑の嘆願があったことが考慮され、最終的に十年の禁錮に服することになった。

 刑期を終えた彼らのその後の足取りは記されていないが、修道服を着た一団が聖女教の布教を行いながら、弱きを助け強きを挫く冒険譚が後の世に伝えられている。


 しかし、これらはすべて付記事項に過ぎない。


 この件を記した歴史書は多いが、その全てにおいて、アークヤークの乱はこう説明されている。


 聖女の再誕、その契機である――と。

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