幼女の危機(6)
⚫︎『聖女の涙』の四日後、早朝――
リーゼ失踪から四度目の朝を迎え、通信司令室に詰める皆の顔にも焦りの色が濃くなっていた。
ここに至るまで、リーゼと犯人の足取りは全く掴めていない。犯行声明も身代金の要求もないため、手掛かりらしい手掛かりもないのだ。
頼みの綱である二人からの連絡がない今、打てる手はほぼないと言っていい状況だった。
エリアスも今は大人しくしているが、段々と苛立ちを隠しきれなくなってきている。
もしまた彼が怒りに身を任せるようなことがあれば、もはや止める術はないだろう。
この最悪の一歩手前という状況の中、リーゼ捜索の総指揮を務める王太子ノーシス=シーランは自嘲気味に笑った。
打つ手がないとは、可笑しなことを考えるものだ――と。
「エリアス、アークヤーク公爵領へ向かえ。公都フロヌスだ」
「リーゼが見つかったのか!?」
怒りと喜びが綯い交ぜになった表情で肩を掴んでくるエリアスに、しかし、ノーシスは首を横に振った。
「だが、リーゼ嬢は十中八九そこにいる」
もし間違っていれば、アークヤーク公との間には深刻な問題を抱えることになるだろう。その上、エリアスも手がつけられないほどに荒れ狂うことは間違いない。
それは王家の存続に関わり得る問題だ。
だが、そんなことは起こり得ない。
ノーシスは今回の事件の首魁がアークヤーク公だとほぼ断定していた。
持てる駒を全て使って、隈なく捜索したのだ。これだけ探していないのであれば、リーゼは王都とその周辺都市にはもういない。
いや、初めからいなかったのだ。
その結論にさえ至れば、答えは自然と見えてくる。
これは王家に対する挑戦だ。クーデターだと言っても差し支えはないだろう。
そして、今この国で王家に対して単独で事を構えることができる家は二つしかない。リシュテンガルド家とアークヤーク家だ。
このうち、リシュテンガルド家の姫が攫われているのだ。もはや敵が誰なのかなど、皆まで言う必要はないだろう。
「決断が遅くなってすまない」
本当は証拠が欲しかった。しかし、もうこれ以上は待っていられない。
「全ての責任は俺が取る。お前はただ思うままにリーゼ嬢を探してこい」
都市間通信機に連絡が入ったのは、ノーシスが覚悟を決めてエリアスを送り出そうとしたそのときだった。
その連絡は彼の息子であり、リーゼの恋人でもあるレオンハルトに渡した物からだった。
「で、でんかー!」
通信機から聞こえる声はレオンハルトからのものでなく、同行したリシュテンガルド家の侍女のものだった。
その声は涙に濡れていた。
「メイ! どうした!? 何があった!?」
「だんなさまぁ……おじょうさまが、おじょうさまがぁ……」
通信機を引ったくるよう奪ったエリアスが応答すると、メイはいよいよ堪えきれなくなって泣きじゃくった。
「おじょうさまが、見つかりましたぁ……おじょうさまは、ご無事ですぅ……」
その言葉を聞いたエリアスが、メイと同じく泣き崩れる。
そんなエリアスから通信機を奪い返し、ノーシスが報告の続きを促す。
「よくやってくれた。それで、今そこはどこなんだ? レオンはどうした?」
「レオン様はいま、敵のアジトをみはってますぅ……うぅ……」
「では、レオンに代わってくれないか?」
なおも泣き続けるメイでは話にならないと交代を促すが、しかしメイはそれに応じない。
「む、無理ですぅ……でんかは私をおいていっちゃいましたぁ……」
クソッ! これは一体どういう状況なんだ!
ままならない通信にノーシスは舌打ちをする。
そこへ涙をぬぐったエリアスが立ち上がり、鼻を啜って再び通信機を手に取った。
「メイ、よくやってくれた。そこは公都フロヌスだな?」
「はいぃ……」
やはりか。エリアスとノーシスは顔を見合わせて頷いた。
「わかった。僕が行く。一日だ。一日だけ待っていてくれ」
王都からアークヤーク公爵領の公都フロヌスまでは高速馬車でひと月以上かかる距離だ。それをたったの一日で走破するなど、いかにエリアスと言えども不可能だ。
それは誰しもが抱く感想だったが、歓喜と憤怒、その両方を湛えたエリアスの顔を見て、ノーシスはすぐにその考えを改めた。
今のエリアスであれば、あるいはそれも可能かもしれない。怒りによってリミッターの外れたエリアスは確かに強い。ただ、ノーシスに言わせれば、冷静に剣を振るうときの方がエリアスは強いのだ。
もし、エリアスが冷静さを保ちつつ怒りを力に変えることができたなら、もはや彼に不可能なことはないだろう。
「エリアス、これを持って行ってくれ」
「これは?」
ノーシスが差し出したのは、一通の書状。
「出頭命令書だ。アークヤーク公に渡してくれ」
「彼が素直に受け取るとは思えませんが?」
「そのときは首を刎ねていい」
悪戯っぽく言うノーシスだったが、そこには多分に彼の本音が含まれていることだろう。ノーシスもまた怒っているのだ。
それを察したエリアスは、苦笑いを浮かべてその書状を受け取った。
「では、行って参ります」
「ああ、リーゼ嬢を頼んだぞ」
「言われるまでもありませんよ」
剣だけを握ったエリアスが、笑顔を残して通信指令室を出て行った。
リーゼの居場所が明らかになり、そこへはこの国の最高戦力が向かった。今回の騒動の主犯もほぼ判明し、クーデターはその一歩手前で防がれた。
あとは、リーゼが無事に救出されることを待つばかり。これはもう勝ち確だと言っていいだろう。
エリアスの背中を見送ったノーシスは、椅子に深く腰を掛け、大きく溜め息をついた。
●メイからの通信、その少し前――
「お嬢様!」
公都フロヌスに潜入し、リーゼの捜索を開始して間もなく、メイが唐突に叫び声を上げた。
「見つかったのか!?」
「はい!」
大きな瞳から涙を溢れさせたメイが何度も首を縦に振った。
メイの探索範囲の端に、リーゼに付けたマーキングの反応を見つけたのだ。
「リーゼは無事なのか?」
「はい! 座標点は動いていますので!」
メイのマーキングは対象者の魔力を利用して座標情報を発信するため、もし対象者が死亡していた場合、その座標点を検知することはできない。
この数日、リーゼの反応を検知できずにいた間ずっと、メイはそのことが不安で仕方がなかった。
しかし、反応を検知することができた今、リーゼの生存が確認された。そしてリーゼを示す座標点は活発に動き回っている。リーゼは無事なのだ。
不安、そこからの解放、そして歓喜。振れ幅の大きな感情が、メイに滂沱の涙を流させていた。
「行けるか?」
目尻を拭ったレオンハルトがメイの肩に手を置いた。
リーゼの所在さえわかってしまえば、後は救出するだけ。リーゼの元まで転移し、そして、再び転移により脱出する――それだけで終わるはずだった。
「くっ……」
しかし、亜空間に潜った二人だったが、すぐにそこからはじき出されてしまった。
「空間魔法が阻害されています……」
国の重要施設などには空間魔法阻害の結界が設置されているという。
通常は部屋単位、大きくても建物単位で設置される結界だが、どうやらリーゼが匿われている場所は、その敷地を含め、広大な範囲で空間魔法が阻害されているようだった。
「対策はばっちりと言うわけか……やむを得ん。潜入しよう」
そうして訪れたのは、郊外にある森に囲まれた別荘地。
遠目に見えるひと際大きな邸宅が、リーゼの反応を示す場所だ。
「メイはここにいてくれ」
空間魔法を阻害する結界の外縁で立ち止まると、レオンハルトはそうメイに声をかけた。
この中に入れば空間魔法は使えない。そうなるとメイはただの侍女だ。その上メイはまだ泣きじゃくっている。そんな彼女を連れて行くのは危険だ。
「これで父上に状況を報告しておいてくれ。俺は少し様子を見てくる」
都市間連絡用の通信機をメイに渡すと、レオンハルトは森の木々に紛れていった。
メイは言いつけどおりに、すぐに王都へと連絡をした。それに対する返答は、彼女の主人であるエリアスがすぐに駆けつけるというものだった。
あと一日。あと一日待てば、この世界で最も頼りになる男が到着する。そうすれば全てが解決する。
リーゼの救出はもうすぐそこというところまで来ていた。
しかし、成功を掴みかけたときほど、慎重にならなければならないということを、誰もが肝に銘じておくべきだろう。落とし穴というものは、得てしてそういうときにこそ待っているものなのだから。
レオンハルトが向かったその先で、いよいよ最後の局面が動き出そうとしていた。
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