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幼女の危機(5)

●『聖女の涙』の二日後、夕刻――


 破滅の足跡が近づいてきていた。

 土煙の向こうに揺らめく影に、シーツは戦慄する。


「そこをどけ、シーツ」


 これから対峙する『敵』に対し、シーツが恐怖を覚えるのは、あるいはこれが初めてだったかもしれない。

 手の震えを自覚したシーツは、剣の柄を強く握った。剣を手にしてさえいれば、平常心でいられるからだ。


「落ち着いてください、旦那様」


「お前はどうして落ち着いていられんだ?」


 怒り以外の感情が見当たらない瞳がシーツを捉える。その視線には確かな殺意がこもっていた。


「今の旦那様を、王都にお入れするわけには参りません」


 シーツは詫びるように一度だけ瞑目し、彼の主であるエリアス=リシュテンガルド辺境伯に剣を向けた。


 エリアスは、リーゼのためであれば、それ以外の全てを犠牲にすることも厭わない。

 疑わしき場所があれば更地に変え、疑わしき者がいれば躊躇いなく殺すだろう。

 相手が貴族だろうが、王族であろうが関係はない。今のエリアスにとっては、誰であろうと、『リーゼ以外の何か』に過ぎない。


「止めてみせます」


 王国のために、エリアス自身のために、そしてリーゼのために、命を賭してエリアスを止めなければならない。

 悲壮な覚悟を滲ませるシーツだったが、その直後には、自らの覚悟が甘過ぎたことを知る。


 眼前でエリアスの姿が揺れたかと思うと、次の瞬間には自らの首筋に刃が迫り、痛みを自覚したときには鮮血が飛び散っていた。

 咄嗟に体を仰け反らせたことが功を奏し、致命傷だけはなんとか避けることはできたが、シーツでなければあっさりと首が跳ね飛んでいたことだろう。


 エリアスは本気だ。本気でシーツを殺しにきている。

 一方のシーツにはどこかまだ迷いがあった。


「賭けるだけでは足りない、ということですね……」


 シーツは自らの覚悟の甘さを恥じた。

 目の前の男は主人ではなく、敵。

 命は賭けるのではなく、捨てる。

 そう覚悟しなければ、この男の怒りは止められない。


 エリアスは神の贈り物(ギフト)である『増強リインフォース』の力で、身体能力の全てが向上している。その力は剣にまで及び、元より名剣と謳われるリシュテンガルド家の宝刀はさらに切れ味を増している。

 まさに戦神のごときエリアスが、怒りのままに静かに荒れ狂い、その凄まじいまでの殺気をシーツへと叩きつけていた。


 そんなエリアスと対峙して、シーツは剣を正眼に構え、目を瞑った。

 エリアスは怒りに我を忘れている――もしシーツに勝機があるとすれば、その一点だけ。シーツはそれに賭けることにした。


 目で追っていては間に合わない。見るのではなく感じるのだ。

 シーツは目を瞑り、そこへエリアスの剣が迫る。

 その剣は音を置き去りにする速度でシーツの首筋を正確に狙っていた。

 しかし、シーツはそれをすんでのところで受け止めた。


「殺気が丸見えですよ、旦那様」


 後は返す剣でエリアスを制圧するだけ。

 剣を受けきったことで生まれた間と剣聖の技量、この二つが揃えばそれはなる。

 シーツの勝利はすぐ目の前にある――そのはずだった。


「な!?」


 エリアスの力とシーツの技量に、剣が耐えられなかった。

 エリアスの剣がシーツの剣を砕く。そして勢いをそのままにシーツの首筋へと迫った。


 もうその剣を止めることも、避けることもできはしない。

 シーツは自らの死を悟り、笑った。


 お別れです、お坊ちゃま。

 どうか、この爺の命と引き換えに怒りをお鎮めくだされ……


 シーツの願い。

 それが、エリアスに、あるいは、天に届いたのかもしれない。

 刃がシーツの首に今にも届こうとしたとき、眩い光がエリアスを包み、彼はぴたりと剣を止めた。


「メグ……」


 空を見上げたエリアスが呟いたのは、彼の最愛の妻の名だった。

 その目からはすでに怒りの色は消えていた。


 そんなエリアスとともに空を見上げたシーツは確信する。これはマーガレットの力なのだ、と。

 シーツは彼女の力の全容を知らない。それでもそう思ったのは、天から降り注ぐこの慈愛に満ちた光の中に、確かにマーガレットを感じたからだ。


「シーツ……」


 見れば、エリアスはわなわなと肩を震わせていた。怒りの果てに我を忘れ、最も信頼を置く男をその手にかけようとしたその事実に愕然としているのだ。

 その姿が、かつて初めて彼を目にしたときの姿と重なり、シーツは深い笑みを作った。


 彼の力を最も恐れているのは彼なのだ。

 しかし、彼が彼の愛する者のためにその力を使う限り、彼はきっと大丈夫だ。彼を愛する者たちがきっと彼のことを救ってくれる。

 改めてそのことを確信したシーツは、姿勢を正し、帰ってきた自らの主に恭しく頭を下げた。


「お待ちしておりました、旦那様」




●『聖女の涙』の三日後、午前――


「すまないな、メイ。君一人の方が楽に転移できるのだろうが……」


「問題はございません、殿下。私にも役目を与えてくださり、感謝しておりますので」


 肩で息をするメイは、サムズアップをしながらレオンハルトに答えた。

 無礼な態度ではあるが、レオンハルトは気にしない。それがメイなのだ、とリーゼから聞いていたということもあるが、今はリーゼを共に探す仲間なのだ。


「それにしても殿下、どうしてこのようなところを?」


 二人は今、大陸の南西にあるアークヤーク公爵領を目指していた。

 二日二晩メイの連続転移で飛び続け、もう間もなく公都フロヌスにたどり着こうかというところまで来ている。


 アークヤーク公爵領は王国内で最も広大な面積を誇り、その首都フロヌスは、王都から最も遠い都市としても有名だ。

 そのせいもあってか、独自の文化経済圏を形成しており、半ば独立国家のような振る舞いを見せている。

 アークヤーク公爵は反リシュテンガルドの筆頭でもあり、リーゼ誘拐の動機も、それにより得られる利益もある。本来であれば、真っ先に疑いたくなる相手なのだが――


「いくらなんでも遠すぎます」


 メイの言うとおり、公都フロヌスは王都からあまりにも遠い。

 メイの転移魔法ですら丸二日をかけてもたどり着かないような距離なのだ。リーゼと容疑者十数名で転移をするなど、とても現実的だとは思えない。もちろん馬車での移動など論外だ。

 最も疑わしい相手は、絶対的な距離の壁により、真っ先に容疑者から外されていたはずだ。


軍団召喚(レギオン)という禁術があるんだ」


「禁術……ですか?」


 問い返すメイにレオンハルトは頷いた。


 転移魔法と召喚魔法、この二つは発動の過程で亜空間を利用するという点において同じ系統の魔法である。唯一の違いは、術者自らが亜空間に入ることができるかどうか、という点だけだ。

 軍団召喚(レギオン)とは、その名のとおり、戦場に軍団を召喚するために用いられた古代の魔法。人数や距離を問わず、たとえそれが一万の軍勢であったとしても、術者の意のままに召喚することができる。

 しかし、今は使われなくなって久しい。


「なぜでしょう? とても便利な魔法のように思いますが」


「例えば、王都から公都まで十数名を転移させるとして、どれだけの魔力が必要か、転移魔法使いの君ならわかるだろう?」


「ものすごく……たくさん」


 メイは計算が苦手だ。だが、たとえ自分が十人いたところで、とても可能なことではないということは直感的にわかる。


軍団召喚(レギオン)は、人の命を代償にするんだ」


 かつての戦場では、負傷兵や捕虜の命がその代償として使用されたという。

 非人道的――それこそがこの魔法を禁術たらしめる理由だった。


軍団召喚(レギオン)は、少なくとも召喚する者と同数の者の命が代償として必要だ。そしてその数は、距離に比例して大きくなる。仮に今回、軍団召喚(レギオン)が使用されたとすれば、差し出された命の数は……千は下らないなだろう」


「そ、そのような恐ろしい魔法が使われたと、殿下はお考えなのですか……?」


「俺だけではない。おそらく父上もその可能性を考えておられる」


 父に一喝された後、レオンハルトは煮えたぎるような怒りを飲み込んで、自らの役割について考えていた。

 まだ幼いとは言え、その実力は自他共に認めるところだ。それなのに、父は自分に何の役割も与えなかった。それはなぜか。

 ふと、隣を見ると、そこには自分と同じく役割を与えられなかったリシュテンガルド家の侍女がいた。優秀な転移魔法使いである彼女は、リーゼ捜索の役に立つ、いや、それどころか鍵となるというのに――


 父に視線を戻すと、父もまた自分を見ていることにレオンハルトは気がついた。

 そして理解したのだ。父の意図と自らの役割を。


 リーゼを見つけ、助け出す。それこそが自らの使命だ。

 レオンハルトははやる気持ちを抑えながら、遠くに霞む公都フロヌスを視界に捉えた。


「行こう、メイ! 敵は公都にあり!」

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