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幼女の危機(4)

●『聖女の涙』翌日、夕刻――


「とは言っても、どうしたものかなぁ……」


 あてがわれた部屋のベッドに寝ころんで、わたしは一人溜め息をついた。

 孤軍奮闘と言えば聞こえはいいが、実際のところは孤立無援だ。正直、どうやって解決すればいいのか、その糸口すら掴めていない。

 その上……


 ぐう、とわたしのお腹が可愛らしく鳴いた。

 昨日の朝、簡単な食事を摂って以来、丸一日以上何も食べていない。

 でも、だからと言って、ここで出される物を口にするのは抵抗がある。薬を盛られては敵わないからだ。


「はあ……このままじゃ先にわたしが参っちゃいそう……」


 お腹を抱えて独り言ちるわたし。そこへ部屋の外からノックの音が響いた。


「聖女様。お食事をお持ちいたしました」


 姿を現したのは、修道服を着た侍女。

 彼女が押すカートには、白パンとシチューのような物が載せられていた。


「い、いらないわ……」


 当然こう来るわよね。エサで釣るのは常套手段だもの。

 でも空腹なんかに屈していては、美幼女の名折れ――


 ぐう。

 再びわたしのお腹の虫が声を上げた。ちょっと待てと、そいつを寄越せと、主張している。

 頬を赤らめたわたしに、侍女がくすりと笑う。


「どうかお召し上がりください。誓って、毒も薬も入っておりません。聖女様のご指示があるのであれば、私が毒見をさせていただきますので」


 そう言いながら、侍女はテーブルの上に配膳を進めていく。

 シチューから立ち上る香りに、わたしの心が折れそうになる。


「あなた、お名前は?」


「サリィと申します」


 わたしが名を尋ねると、サリィは配膳の手を止めて頭を下げた。


「ねえ、サリィ。この料理に薬が盛られているとして、その毒見を申し出た侍女に仮に異変がなかったとして、わたしがそれを信用して食事をすることができると思う?」


 そもそも遅効性の薬であれば、毒見をしたところで何もわからない。即効性の薬であっても、毒見役が敵方の人間なのだとしたら、何も信用することはできない。薬に耐性を持つ者を送り込めば済む話だからだ。


「だからね、サリィ。正直に教えてほしいの。次にあなたが言った言葉を、わたしは絶対に信じるから」


 わたしはサリィをそばに呼んで、隣に座らせた。それから彼女の手を取って、その目を見詰める。

 美幼女に熱い眼差しを送られたせいか、サリィの頬は紅色に染まっている。


「この料理には、毒も薬も入っていないのね?」


「はい。誓って入っておりません」


 サリィは目を逸らさずにはっきりとそう答え、わたしはそれに笑顔を返した。


「ありがと。それじゃあ、頂くね」


 相手が嘘をついているかどうかは目を見ればわかる――よく言われることだけど、そんなことは迷信だ。

 わたしには相手の目を見たところで、嘘をついているかどうかなんてわからない。でも、嘘をつかせないことならわたしにもできる。

 こうして手を握って、目を見詰めてから問いかける。そうすれば、相手がわたしに嘘をつくことは絶対にない。これはすべてわたしが可愛いからこそ成せる技だ。

 決して空腹に負けたから、そういうことにしているというわけではないのだ。


「いただきます」


 日本流の食事の挨拶を済ませ、スプーンで掬ったシチューを口へと運ぶ。

 う、うまい!

 空腹は最高の調味料だとは言うけど、それを差し引いたとしても美味しい。辺境伯令嬢として普段から良いものを食べているわたしの舌を唸らせるとは大したものだ。

 本当は勢いよくがっつきたいところだけど、サリィの手前、そうすることもできず、わたしは上品に食事を進める。

 まあ、急に食べるとお腹がびっくりするから、それはそれでよかったのかもしれない。


「ねえ、サリィ?」


 千切った白パンをもぐもぐしてから飲み込んだあと、グラスに果実水を注いでくれているサリィに声をかけた。


「サリィもわたしのこと聖女だって思ってる?」


「はい。あのとき、私も聖堂におりましたので」


 なるほど。昔から野望を抱いていたらしいヨーゼンじゃなくても、あのときのあの光景を目にしたら、わたしを聖女だと思い込む人はいるというわけか。これはちょっとやらかしてしまったかもしれない。

 でも、今のこの状況に限って言えば、それは好都合だ。


「じゃあ、ヨーゼンのやろうとしていることは正しいと思う?」


「……はい。国も身分もなく、飢えも疫病も戦争もない、聖女様が統べる世界。それこそが理想の世界だと、私も思っております」


 少しだけ間が空いたわね。じゃあ、聞き方を変えてみましょうか。


「その世界を築く過程で、たくさんの人が傷ついたり、死んじゃったりするとしても、サリィはそれが正しいと思う?」


「…………」


 今度はサリィは答えを返さなかった。

 それが意味することはただ一つ。彼女自身がこれを正しいことだとは思っていないということだ。

 サリィはまだ引き返せるところにいる。おそらく彼女自身もそうしたいと思っているはずだ。でも、ヨーゼンに従う以外に選択肢はないから、全ての不都合に目を瞑って、ただ理想だけに目を向けている。

 だったら、わたしが選択肢を作ってあげればいい。そうすることが、彼女にとっても、そしてわたし自身にとっても救いになる。


「ねえ。サリィは、聖女であるわたしと、聖女の代弁者であろうとするヨーゼン。二人の意見が違うとき、あなたはどちらの言うことに従うの?」


「そ、それは……」


 彼女が聖女教の信徒である以上、そして聖女を強く崇拝し、わたしを聖女と認めている以上、この問いに対する答えは一つしかあり得ない。

 そしてこれは、聖女による治世を目指すヨーゼン自身が抱える矛盾でもある。


「……聖女様です」


 いくらかの逡巡を見せたあと、サリィははっきりとそう答えた。

 ここでヨーゼンだと答えれば、自らの信仰を否定することになるのだから当然だ。

 意地悪な質問をしたとは思うけど、後悔も反省もしていない。そして反省をしていない以上、わたしは懲りずに同じことを繰り返す。

 なぜなら、とんでもない可愛さとずば抜けた賢さを除けば、『聖女であること』それこそが今の私の手にある唯一の武器だからだ。


「だったら、わたしに協力して。サリィ」


 ごめんね。わたしは聖女ではないけど、聖女を騙ってあなたの信仰心を利用する。

 でも、そのかわり、あなたのことも救ってみせるから。そしていつか、あなたが望むような、飢えも疫病も戦争もない、そんな理想都市の姿をあなたに見せてあげるから。

 サリィの手を取ったわたしは、偽りの聖女として、そう心に誓ったのだった。

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