聖女の片鱗(3)
「とても胸が痛む光景です。私共教会の力不足に恥じ入るばかりです」
聖堂奥にある迎賓室への道すがら、ヨーゼンが自嘲気味に言った。
聖堂の中には急遽持ち込まれた簡易ベッドが所狭しと並べられていて、その上では治療を待つ人たちが苦しみの声を上げていた。
「教会の献身があればこそ、まだこの程度で済んでいるのだと思います」
「戦神とも鬼神とも畏れられるリシュテンガルド辺境伯閣下の姫君は大層お優しいのですね」
「父の子だからです」
世間では畏怖を持って崇敬されるお父様だが、家族思い、領民思いのとても優しい領主だ。
今、西方辺境領はどうなっているだろうか。あそこまで感染症が広がってなければいいんだけど。お父様とお母様が心配だ。
でも今は、遠くのことより目の前の問題の解決が先だ。
「それで、お話とはいったいどのようなことでしょう?」
迎賓室に着くなり、椅子に腰を掛ける間もなくヨーゼンが尋ねてきた。
時間が惜しいのはわたしだけではないということだ。
「治癒魔法でこの感染症を収めたいのです」
わたしの言葉に虚を突かれたのか、ヨーゼンは一度だけ首を傾げて、それからすぐに苦笑いを浮かべた。
「もちろん私共もそのつもりです。ですからこうして教会の全力を挙げて患者の治療に当たっているのです」
「ですが、それではおそらく間に合いません。このままでは王都の民の多くが亡くなるでしょう」
実際に教会は、特に治癒術師たちは、限界を超えてがんばってくれている。
しかし、現状から察するに、教会はすでに往診を取りやめて、教会に来ることができる者だけを治療対象に絞っている。それはすべての王都の民を救うことを諦めているということでもある。
別にそのことを批判するつもりはない。これは災害級の感染爆発だ。適切なトリアージが結果として多くの命を救うことは間違いがない。
それでも。
たとえそうだとしても、わたしは大好きな人たちに死んでほしくない。みんなに生きていてほしいのだ。
「ですから、範囲治癒魔法を使います。王都全体に」
「お、お待ちください! そんなことは不可能です!」
慌てたヨーゼンが話を遮る。でもそれも当然のことだ。
範囲治癒魔法は、治癒魔法の上位互換。通常、治癒魔法は術師が患者に直接触れることで治療効果を発揮するものだが、範囲治癒魔法は術師の周囲一定範囲にいるすべての者を同時に治療する。
しかし、その効果範囲は極めて狭い。術師の技量によっても前後するが、狭ければせいぜい半径数メートル、広くても十数メートルが限度だろう。
とても王都全域まで効果を及ぼすことはできない。
しかし――
「わたしは神の贈り物を持っています。その力は『増強』です。わたしが皆さんを支援します」
「ギ、ギフト……!」
神の贈り物――その言葉を聞いて、ヨーゼンの目の色が変わった。
ギフトのことはあまり公にするべきではないということはわかっている。でも、信用を得るためにはそれを秘密にしておくことはできない。
そして案の定、それは効果覿面だった。
「そ、それならば、あるいは……! リーゼロッテ様! 中央教会を代表してお願い申し上げます。是非その御力を我々の、いや、すべての信徒のためにお貸しください!」
そこからのヨーゼフの行動は素早かった。
私との話を終えて五分後には、聖堂の祭壇前に中央協会に所属する治癒術師二十名のすべてが集まっていた。
「リーゼロッテ様。治癒術師総勢二十名のうち、見習い二名を除く十八名が範囲治癒魔法を習得しています。ここからの指揮権をリーゼロッテ様に委ねますので、ご指示願います」
「見習いのお二方は範囲治癒魔法の詠唱文はご存知ですか?」
わたしが顔を向けると、見習い術師の二人はおずおずと頷いた。
「でしたらお二方も力をお貸しください」
行使しようとする魔法に適性があって、詠唱文さえ知っていれば大丈夫。わたしの力で発動まで持っていくことができる。
今は一人でも多くの発動媒体がほしいのだ。
「では、皆さん。輪になって手をつないでください」
わたしが両手を伸ばすと、そこを起点として、治癒術師二十名と幼女一人の大きな円陣が出来上がった。
「これから皆さんには、わたしが合図をしたあと一斉に範囲治癒魔法の詠唱をしてもらいます。でもその前に、一つだけ注意事項があります」
わたしは輪になった術師たちの一人ひとりに目線を送りながら言う。
「発動中、おそらくひどい倦怠感に襲われることでしょう。それは極度の魔力切れの症状です。場合によっては、立っていられなくなったり、意識を保つことで精一杯になることも考えられます。それでも、絶対につないだ手を離してはなりません」
本来、わたしの『増強』は、対象者に触れて魔力を流し込むことで、対象者の魔法を増強する。
でも今回は対象者が二十名もいる。全員に同時に触れることも、全員から同時に触れられることも難しい。
そこで、全員が輪になって手をつないだというわけだ。わたしの力でみんなの力を増幅しながらぐるぐると循環させる。そんなイメージだ。
「王都の人たちの命は、王国の未来は、みんなに懸かっている。だからお願い。みんなの力を貸して」
わたしの言葉に、全員が真剣な表情で頷いた。
よかった。みんな覚悟は充分みたいだ。
「それじゃあ、いくよ!」
腹の底から声を出して合図を送ると、それに合わせて一斉に詠唱が始まった。
さすがは一流の術師たち。一糸乱れぬ詠唱は見事としか言いようがない。そう思った瞬間――
ぐお!?
体中から根こそぎ力が奪われる感覚がしたかと思うと、次の瞬間には大きな力が流れ込んできてわたしの体を蹂躙する。
ちょっ! ごめん、待って! 一旦止めよ?
あっ! だめっ! いやっ! だめだって! 壊れちゃうっ! こわれちゃうよおっ!
しかし、わたしの魂の叫びを置き去りにして、詠唱はどんどん進んでいく。
皆、額に脂汗を浮かべている。それでも詠唱を止める者はいない。中には、立っていられなくなり片膝をつく者もいるが、それでもつないだ手は離さない。
皆、必死なのだ。王国のため、そして、愛する者たちのために。
だったらわたしも負けてはいられない。喘いでいる場合ではない。幼女の本気を見せるのは今しかない!
わたしは愛する人たちの顔を思い浮かべる。
叔母様、メイ、シーツ爺、ナーシャ、フレッド、フローラ、デイヴ、イヴァン、イレーネ、アンネ、クラスのみんな、それからセドリック先生――そして、レオン!
レオンは無事かな? 熱出したりしてないかな? 無事だとしても、きっと心配しているだろうな。みんなを、そして、わたしのことを心配してくれているんだろうな。
でも、大丈夫。みんなのことはわたしが助けてみせるから。みんなを助けて、わたしも無事に帰って来るから。
やがて、循環していた魔力が大きな光の渦を作り出す。
どんどん大きく膨れ上がっていくその渦は、すべてのものを飲み込んでしまいそうなほどに暴力的で、それでいて確かに癒しの力を孕んでいた。
「やった……父さんはやったぞ……」
詠唱を終えたとき、誰かが小さく呟いた。それは愛する者のために戦った誰か。
そんな誰かが二十人。その全員が、涙を浮かべた瞳をわたしへと向けた。
わたしはそんな彼らに微笑みを返し、そして、最後の気力を振り絞って叫んだ。
「行っけえぇぇぇえ!」
それを合図に、癒しの渦が光の奔流となって迸る――
その日、光の雨が降った、とある人は言った。
後の記録では『聖女の涙』と、そう記されている。
王国の危機を憂いた聖女の涙が王国を救ったのだと、そう伝えられている。
しかし、わたしがその光景を目にすることはなかった。
耐え難い眠気がわたしを深く暗い闇へと誘い、わたしはそれに抗うこともせず、あっさりと意識を手放した。
それでも、不思議と湧いてきた確信だけは覚えている。
これでみんなは大丈夫。これはもう勝ち確だ――と。
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