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聖女の片鱗(2)

「メイ、いる?」


「はい、お嬢様。ここに……」


 空間の歪みとともに姿を現したメイは、しかし、ぐったりと頭を垂れて肩で息をしていた。


「どうしたの!?」


 なんて聞くまでもなく、感染症にやられている。額に手を当てると、やはりすごい熱だ。

 メイにも手伝ってもらいたかったんだけど、どうやらそんなことを言っている場合ではなさそうだ。


「メイ。今すぐ屋敷に戻って横になって。わたしもすぐに帰るから」


「で、でしたら、お嬢様も一緒に……」


 高熱のせいで小刻みに震えるメイの手がわたしに触れると、ぐにゃりと視界が歪み、次の瞬間には、周りの景色はリシュテンガルド王都別邸の玄関ホールに変わっていた。


「誰か! 手伝って!」


 今の転移で力を使い果たし、気を失ってしまったメイの頭を抱えながら、屋敷の奥へ向かって叫ぶ。

 しかし、誰かが駆けつけるどころか、返事すらない。嫌な予感に全身の肌が泡立つ。


「ごめんね、メイ」


 わたし一人の力でメイをベッドまで運ぶのは無理だ。

 リビングへと走り、クッションと膝掛けを掴むと、メイの元へと駆け戻る。可哀そうだけど、ここで寝かせておくしかない。

 そうしてメイを玄関ホールに残したまま、わたしは屋敷の中を駆け回る。

 使用人室、厨房、至るところで、使用人たちが倒れ伏し、浅く小さな呼吸を繰り返している。剣聖と称されるほどの武人であるシーツ爺ですら意識を失っていた。


「叔母様!」


 ノックもせずに叔母様の私室に飛び込んで、ベッドに横たわる叔母様に声をかける。

 今朝は熱のせいで真っ赤だった顔が、今や蒼白になっている。呼吸もひどく弱々しい。


「叔母様! 嫌だよ! 叔母様!」


 このままだと叔母様が死んじゃう――

 堪えきれなくなって叔母様の胸に縋って泣きじゃくっていると、そんなわたしの頭を細い指がそっと撫でた。


「よかった……リーゼは、無事なのね……」


「叔母様! 叔母様!」


「リーゼ……王宮に行きなさい。あなたはレオンハルト殿下のフィアンセなんだから、きっと入れてもらえるわ……」


 わたしの髪を撫でた指が、今度はわたしの頬をなぞる。


「あなただけでも、どうか無事で……リーゼ……」


 そして、頬から指が滑り落ち、叔母様はそのまま意識を失った。


「叔母様……」


 もう時間がない。

 このままだと、叔母様もシーツ爺もメイも、ナーシャもクラスメイトたちも、みんなみんな死んでしまう。


 今は泣いている場合じゃなかった。

 ずびっと鼻を啜ったわたしは立ち上がって、叔母様の額にキスを落とした。


「待ってて、叔母様。すぐにわたしが助けてあげるから」


 精一杯の笑みを作ってそう言って、わたしは叔母様の部屋を飛び出した。


⚫︎


 走って、走って、走りに走ってたどり着いたのは、聖女教王都中央教会。

 この国の国教である聖女教の総本山であり、王都の教会の中で最も多くの治癒術師を擁している。

 そこには、治療を求める人たちが長蛇の列を作っていた。


「ちょっと君、待ちたまえ」


 治療待ちの人々の列を無視して聖堂へ入ろうとしたところで、暴動の抑止のために配置されていた聖堂騎士に見咎められてしまった。


「その列が見えないのか。治療を求めるなら列に並びなさい」


「治療を求めて参ったのではありません。教皇猊下にお話があります」


 わたしは聖堂騎士の制止を無視して一歩前へと足を踏み出す。しかし、聖堂騎士はそれを許さない。

 彼はわたしの腕を掴むと声を荒げる。


「待て! この非常事態に、教皇様はどこの者とも知れない子どもなんぞとお会いにはならん!」


「放しなさい」


 しかしわたしは、それに怯むことなく、冷たく、そして殊更に偉そうに言った。


「わたしはリシュテンガルド辺境伯が第一の姫、次期辺境伯のリーゼロッテ=リシュテンガルド。気安く触れることは許しません」


「な……そ、それは大変失礼をいたしました……」


 リシュテンガルドの名を聞いた聖堂騎士は、すぐさま手を離し、跪いて謝罪の言葉を口にした。

 本当はいたずらに身分をひけらかしたり、家名で人に言うことを聞かせたりなんかしたくないけど、今はそんなことは言っていられない。


「教皇猊下はどちらですか?」


「も、申し訳ありません。たとえ次期辺境伯閣下であられるとしても、今は教皇様は外部の方とはお会いになりません……」


「わかりました。では自分で探します」


 これ以上無駄に時間を浪費するわけにはいかない。

 そう思って歩を進めたのだが――


「お、お待ちください!」


 聖堂騎士はわたしの前に回り込み、大きく両腕を広げた。


「お通しするわけには参りません」


 形式上わたしのことを敬ってはいても、彼は聖堂騎士。王国の階級制度からは完全に独立した教会の所属だ。

 彼は彼の主である教皇の命に忠実に従う必要がある。

 頭ではそうわかっていても、どうしても焦りが生まれてしまう。わたしには、そして、みんなにはもう時間がないのだ。


 しかし、だからと言って強行突破は絶対に無理。これ以上の身分でのごり押しも無駄。

 とりあえずここは一度退散して、どこかの裏口からこっそり入り込むしかないか。ネズミの侵入を許すほど警備が甘いとは思えないけど……

 

「お通ししなさい」


 思案に暮れていたところに、聖堂の中からそんな声がかかった。それはわたしにとってはまさに大海の木片、地獄に仏のようなものだった。

 姿を現したのは、朱色の祭服をまとった痩せぎすの男。

 白髪交じりのその男はわたしの前まで歩み寄ると、疲れの滲んだ顔に笑みを浮かべた。


「お目にかかれて光栄でございます、リーゼロッテ=リシュテンガルド様。私は枢機卿の任を預かっておりますヨーゼン=ドラッメリアと申します」


「ご丁寧にありがとうございます、ヨーゼン=ドラッメリア枢機卿猊下。ご挨拶早々、大変不躾で申し訳ないのですが、教皇猊下にお会いすることはできませんでしょうか? とても大切な用件なのです」


「この状況で、とても大切な用件と言えば、この流行り病のことですね?」


 ヨーゼンの問いにわたしは静かに頷いた。


「でしたら今すぐご案内いたしましょう――と申し上げたいところなのですが……」


 ヨーゼンは少し困ったように笑ってから話を続ける。


「あいにく教皇様は疫病払いのために聖女に祈りを捧げておられるところでして、その者の言うとおり、今はどなたにもお会いすることができません。ですが、神事以外の全てのことは私に任されておりますので、私でよろしければお話をお伺いいたしましょう」


「やった! ありがとうございます!」


 おっと、つい子ども口調が出てしまった。

 でも、これで第一関門は突破だ。

 教会の中で決定権を持つ者に会う。それが最初にして最大の関門だった。

 あとはわたしのプランを説明して、教会の協力を取り付けるだけだ。でも、きっとそれは上手くいくはずだ。


「では、こちらへ」


 わたしははやる気持ちを抑えながら、前を行くヨーゼンの背中を追いかけた。

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