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幼女の失敗(4)

「何をしている!」


 大きな怒声とともにこちらへと歩み寄って来る一人の少年がいる。

 見たこともないような憤怒の表情を浮かべたその少年は、驚き、動揺するわたしには目もくれず、フレッドとわたしの間に割り込むと、そのままフレッドの胸ぐらを掴んだ。


「レオン! やめて!」


 わたしはレオンの腕に縋りつくが、彼の耳にわたしの声は届いておらず、彼の目にはわたしの姿は映っていなかった。

 すべてを焼き尽くしそうなほどの怒りの炎を浮かべたその目は、ただフレッドだけに向けられていた。


 いくら経験のないわたしにだってわかる。

 それは嫉妬の炎だった。


「貴様は確か……」


「フ、フレッドでございます……」


 レオンの問いとも呼べぬ呟きに、フレッドが答えを返す。


「フレッド=チェスターか」


 敢えて家名まで言ったレオンは、掴んでいた胸ぐらを投げ捨てるようにして、フレッドを押し倒した。


「きゃあ!」


 その光景に周囲からは悲鳴が上がった。

 しかし、それすらレオンの耳には届いていない。


「よくも! 下級貴族の分際でよくも――」


「レオン!」


 レオンのその言葉を聞いたとき、わたしはほぼ反射的に声を張り上げていた。

 絶対にレオンに届くように、お腹の底から、心の奥から声を出して、彼の名を叫んだ。


 ごめんね、レオン。全部わたしが悪い。

 初めてできた友達とみんなでわいわいやるのが楽しくて、間違ってしまった。

 二人でタオルで拭きっこ、それも男の子と女の子が。それは誰がどう見たって親密すぎる。

 レオンが嫉妬するのも当然だ。わたしだったら、レオンが他の女の子の頭をぽんぽんやってるのを見るだけで発狂しかねないというのに。


 だからこれは全部全部わたしが悪い。

 浮かれてたとか、恋愛初心者だとか、そんな言い訳は通じない。

 レオンの気持ちをちゃんと考えられなかったわたしが悪い。


 でも――


「それは言っちゃダメ」


 王族であるレオンがその言葉を言うのはダメだよ。

 身分で差別をするようなことを、王族であるあなたが言うのは絶対にダメだ。


「フレッドに謝って」


 本当に謝らなくちゃいけないのはわたし。

 わたしはレオンを傷つけた。もしかしたら、これでレオンからはもう嫌われちゃうかもしれない。

 でも、レオンがみんなから、王族が民や臣下から嫌われるよりはずっとずっとマシだ。


 知らずにわたしの瞳からは涙がこぼれ落ちてきていた。

 レオンに申し訳なくて、レオンから嫌われるのが恐くて――


 流れる静寂。その間を縫って、大きく深呼吸をする音が聞こえた。


「……フレッド。今の言葉を取り消させてほしい。そして非礼を詫びたい。本当にすまなかった」


「め、滅相もございません、殿下……」


「俺はこの学院では殿下では……いや、先に身分の話を持ち出したのは俺だったな……」


 眉尻を下げたレオンがわたしからタオルを取り上げると、フレッドの頭をくしゃくしゃと拭いた。


「……二人とも、風邪ひくなよ」


 それだけ言い残したレオンは、結局一度もわたしと目を合わせることなく、この場から去って行ってしまった。


「ごめん、みんな……」


 せっかくのお祝いムードは霧散し、その場に残されたのは気まずい沈黙だけだった。



 翌日の放課後。

 魔法練習場に足を運んだわたしは、ひとり、じんわりと涙を浮かべていた。

 いつも先に来て待ってくれているレオンの姿がそこにはない。


 やっぱり嫌われちゃったんだ……


 油断をすると声を上げて泣きだしそうになってしまう。

 唇を噛んで我慢をしても、あふれる涙は止められない。

 頬から滑り落ちた涙が土の上に染みを作っていくのを、わたしは滲む視界にぼんやりと映して、ただひとり佇むことしかできずにいた。


 どのぐらいの間そうしていただろうか。

 結局レオンは姿を現さないまま、太陽は西の空を赤く染め上げながら、帰り支度を始めようとしていた。


「レオンに謝らなくちゃ……」


 わたしはレオンにひどいことをした。

 嫌われたとか、許してもらえないかもしれないとか、そんなことは二の次で、わたしはまずそのことをレオンに謝らなくちゃいけない。


 涙を拭いたわたしは、それでも俯いたまま踵を返し、とぼとぼと歩き出す。

 まだ校舎にいるかな?

 もしもう帰ってたら謝るのは明日になっちゃうな。こんなことならもっと早くにレオンのところに行って謝っておくんだった――


 ドン!


「きゃっ! ご、ごめんなさい」


 ぼんやりと俯いて歩いていたせいで、真正面から人にぶつかってしまった。

 慌てて謝りながら顔を上げると――そこには気不味そうに頬を掻くレオンが立っていた。


「……悪い。遅くなった」


「レオン!」


 彼の顔を見るなり、気付けばわたしはそのまま彼の胸に飛び込んでいた。

 必死に我慢していた涙と想いが一気に溢れ出してくる。まさに蟻の一穴天下の破れ――って、ごめん、違うよね? 自分でももう何を言っているのかわからない。


「ごめん……ごめんね、レオン……」


 嗚咽混じりになんとか言葉を吐き出すわたしを受け止めて、レオンはまるで幼子にそうするかのようにわたしの背中を優しく撫でてくれる。

 いや、幼子ではあるんだけど、今はそんなことはどうでもいい。大切なのは今こうしてレオンがわたしを受け止めてくれているってこと。それ以外にない。


「謝らなくちゃいけないのは俺の方だ。ごめん。リーゼ」


 レオンはわたしの肩に手を置くと、顔を見合わせてから謝罪の言葉を口にした。


「嬉しかったんだ。リーゼと正式に交際できるようになって。それで浮かれてた。勘違いもしてしまった。リーゼは俺のものだって。リーゼは誰のものでもないのにな……」


 そう言って自嘲するレオンに、私は首を思いっ切り横に振った。


「わたしはレオンのものだよ」


 わたしたちのような王族と高位貴族がそれぞれの当主公認の下で交際をするということは、つまりそういうことだ。

 でも、本当はそんなことなんて全然関係ない。

 わたしはずっと誰かのものになりたかった。こんなふうに抱きしめられて『俺のものだ』って言ってほしかった。

 脳みそお花畑だと言われても、ずっと憧れていた。そしてそれは、いつしか諦めていた夢でもあった。

 それをレオンが叶えてくれたのに、わたしはレオンにひどいことをしてしまった。


「わたしはレオンのものがいい」


「リーゼ……」


 レオンがぎゅっとわたしを抱きしめる。

 ちょっとだけ苦しくて、それなのに嬉しい。


「ごめんね、レオン。わたし、レオンの気持ち全然わかってなくてごめん」


 こんなに好きでいてくれてるってわかってなくてごめん。

 嫉妬なんかさせちゃってごめん。

 わたしにもっと経験があれば、レオンにこんな思いをさせずに済んだのにね。

 でも全部初めてだから。失敗して、間違って、レオンを傷つけてしまったけど、それでも初めての道をレオンと一緒に歩けることがわたしは嬉しいよ。


「いいんだ。だからもう泣かないでくれ。それに俺はリーゼに感謝してるんだ」


「感謝?」


 顔を上げたわたしに、レオンは優しく微笑んで頷いた。


「リーゼは俺のことを守ってくれたじゃないか」


 ちょっと座ろうかと言ったレオンがわたしの手を引いてベンチへと向かう。

 葉を散らし始めた桜の木の下のベンチ。自分の左隣にハンカチを敷いて、そこにわたしを座らせると、レオンはそのすぐ隣に腰を掛けた。

 今さらだけど、いつもよりも距離がずっと近い。


「どんな理由があったとしても、あのときの俺の言葉は許されるものじゃなかった。俺が口にしていい言葉じゃなかったんだ。リーゼはそれを咎めてくれた。そればかりか、謝罪の機会も作ってくれた。本当に感謝しているんだ」


 ありがとう――そう言ったレオンの顔は真剣そのものだった。彼自身があの言動を悔いているのがよくわかる。

 でもレオンにそんな言葉を言わせてしまったのはわたしだ。そう思うと、やっぱり胸が苦しくなる。


「俺ってさ、王子なんだよ。知ってた?」


 わたしが気落ちしたのを察したレオンが、今度はおどけるようにそう言った。


「……知ってるよ?」


「はは、そうだな。でもさ、普段のリーゼはそんなことまったく考えてない。そうだろ?」


「まあ、うん」


 わたしは王子様だからって理由でレオンのことを好きなわけじゃないからね。


「俺はそれが嬉しいんだよ。そう言えば、初めて会ったときもそうだったな。俺のことを王子と知りながらの、あのめっちゃ冷たい態度。正直ビビったもん」


「いや、ごめんて」


「そうそう、その感じ。俺はさ、リーゼがそういうふうに『普通』に接してくれるのが嬉しいんだ」


 愉快そうに笑ったレオン。でも、その笑顔には九歳の男の子には似つかわしくない哀愁のようなものを含んでいた。

 友達と馬鹿をやって笑い合って、悪戯をしては先生に怒られて、家に帰れば母親に甘える――そんな九歳の男の子の『普通』を、彼は望むことすら許されない。

 持って生まれたものは仕方がない。そう割り切って、諦めて、やがては手すら伸ばそうとしなくなる。

 わたしとレオンは全然違うけど、似た者同士だったのかもしれない。


「普段は普通に接してくれるのに、いざというときは俺の立場を考えてくれる。リーゼがどれだけ俺のことを大切に思ってくれているか、よくわかったよ。だから改めて思ったんだ。やっぱりリーゼのことが……」


 言い淀むその態度に、レオンが何を言ってくれようとしているのか、さすがのわたしにもすぐにわかった。

 でも、わかったからこそ、その言葉をちゃんと聞かせてほしくて、わたしはレオンの顔を覗き込んだ。


「す?」


「……好きだ」


 そっぽを向いたレオンが、照れ臭そうに頬を掻く。

 その姿のなんといじらしいことか。

 ああ、これはもう、勝ち確です。


 恋愛というゲームにおいては、惚れた方が負けというのがセオリーだ。

 でも、恋愛初心者のわたしに言わせればそれは全然違うね。完全に間違っている。

 恋愛は惚れた方こそ勝ちなのだ。

 だってそうでしょ? 人を好きだって気持ちは何より尊いもの。人を好きでいられることはとても幸せなことだもの。

 推しを推しに推してきたわたしが言うのだから間違いない。


 だから、この恋はわたしの勝ちだ。

 だってわたしは、レオンのことが大好きだもの。


「ごめんね」


 わたしはずっと愛に飢えてきたから、ちょっとだけ重い女になっちゃうかも。

 そんなことを考えながら、ベンチに手をついて、少しだけ腰を浮かせて背筋を伸ばす。

 そして――


 ちゅ。


「な――!」


 驚いたレオンが、つい今しがたわたしの唇が触れた頬に手をやった。


「ごめんねの、ちゅう」


 気付けば下校時刻をとっくに過ぎて、お日様も西方辺境領のもっと向こう側へと沈み始めていた。

 そんなお日様が残した最後の夕焼けは、レオンの頬に広がっていた。

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