幼女の失敗(3)
「それじゃあ出航しよう!」
フレッドに手を引かれて、わたしも船に乗り込んだ。
今回の試験航行の乗組員は、操舵経験のあるフレッドと、問題が発生したときの分析担当としてのわたしだ。
足元がぐらりと揺れる船上で、フレッドに支えられながらみんなに手を振ったわたしは、水兵さんよろしく敬礼をすると、ボイラー下部に設置された火の魔石に手を翳した。
魔石が赤く光り、ボイラー内の水を加熱していく。
こぽこぽと水が沸騰する音にしばらく耳を澄ませていると、やがて船体がゆらりと揺れた。
「そろそろかも」
操舵桿を握るフレッドに合図を出すと、それとほぼ同時に船が大きく前進した。
「うわあ!」
バランスを崩したわたしがフレッドにしがみ付き、そのせいで船が大きく左に旋回する。
その間も船はどんどん前進していて、焦るわたしたちをよそに、陸の上から見守っているクラスメイトたちは、ポンポン船の成功に大いに沸いていた。
「ご、ごめーん」
「もう大丈夫だよ。でも念のために座ってしっかり掴まってて」
船を制御下に置いたフレッドが振り返る。その顔は笑顔だ。
「上手くいったね」
「うん。みんなのおかげだよ」
正直、ここまで上手くいくとは思っていなかった。これだけ素晴らしい出来であれば、学年別優勝どころか、総合優勝だって夢じゃないかもしれない。
でも、例えそうじゃなくても、この船はたぶんわたしの一生の思い出になるだろう。
クラスのみんなで一つの物を作り上げる――それはわたしにとって初めての経験で、涙が出そうなぐらい素敵な時間だった。
でも、本当は、前世のわたしにもこういう時間を持つ機会はあったはずなんだけどね……
文化祭、クラスマッチ、運動会などなど。学生時代には、みんなで一つのことをやり遂げる機会はいくらでもあった。ただわたしが、自分自身をはみ出し者だと決めつけてみんなの輪に入っていかなかっただけ。
だけど、そんな後悔はもうしたくないから、今生はすべてに手を伸ばそうと決めている。
欲しくても手に入らなかったもの、最初から諦めていたもの、もちろん、当時のわたしが手にしていたものも含めて、美しくて、素晴らしくて、素敵なもの、そのすべてに手を伸ばそう。
この船はわたしのそんな思いの象徴だ。
そんな船に乗って、広いビオトープをゆっくりと遊覧する。
陸の上にはクラスメイトだけではなくギャラリーも続々と集まってきているみたいで、歓声を上げながらこちらに向かって手を振ってくれている。
「そろそろ戻ろっか」
試験航行はこれで充分だ。余裕の合格点。あとは発表当日に雨が降らないようてるてる坊主を作ることぐらいしかやることはない。
そう思っていた。この次の瞬間までは。
「オッケー。じゃあ、岸に向かうけど、これってどうやって止まるの?」
素朴なフレッドの疑問。
「あら、フレッド。いい質問ね。その答えは今度みんなで一緒に考えましょ?」
どうやら推進力を得ることに焦点を当てすぎていて、減速や停止方法のことがすっかり頭から抜けていたみたいだ。
でも、まあ、それも発表当日までには何とかできる問題だ。アンネとフローラ、そしてナーシャにはあと少しだけがんばってもらうことにしよう。
差し当たって、今は何事もなかったかのように無事に接岸することが重要だ。
せっかく盛り上がってるみんなに水を差したくないからね。
わたしが魔石に供給する魔力の微調整を繰り返し、フレッドが繊細なハンドル捌きで船を操る。そんな見事なコンビネーションで最初に出発したところからやや離れたところに船を着けると、クラスのみんなが一斉に駆け寄って来た。
「お姉様!」
「やりましたわね!」
「やった! やったぞ」
みんな、異口同音に喜びの声を上げている。そんな姿が嬉しくて、わたしはすっくと立ちあがった。
そして、たぶん、と言うか絶対に、それがいけなかった。
「きゃ!」
まるで可愛い女の子のような声を上げて、わたしは大きくバランスを崩した。
「リーゼ!」
慌てて差し伸べてくれたフレッドの手を、わたしは反射的に掴む。
でも、やはりと言うか何と言うか、それはただ被害を拡大させただけに過ぎなかった。
ドボン!
高い水飛沫を上げながら、フレッドを道連れにして、わたしは池へと転落した。
驚いたカエルがぴょこんと跳ねて、フレッドの鼻の頭に飛び乗る。それにさらに驚いたフレッドが後ろに倒れ込んでもう一度水飛沫を上げた。
「ぷ……ふふ……あはは!」
わたしが笑い声を上げると、フレッドもそれにつられて笑い、やがてその笑い声は周りの子たちへと広がった。
「ごめんね、フレッド」
楽しく、和やかな雰囲気の中、わたしはフレッドに手を差し伸べる。
フレッドがその手を掴んで立ち上がると、申し訳なさそうに笑った。
「こちらこそごめん、支えきれなくて」
「そうですわよ。リーゼは綿毛のように軽いんだから、しっかりと支えないとダメですわよ」
ナーシャが手厳しい一言を言いながら、タオルを渡してくれる。
こんなこともあろうかと予め準備してくれていたみたいだ。さすがだ。
「えい!」
岸に上がったわたしは、受け取ったタオルをフレッドの頭に被せると、その赤毛をくしゃくしゃと混ぜっ返した。
「リ、リーゼ……?」
「お詫びにわたしが拭いてあげるよ」
「だ、大丈夫だよ。自分で拭けるから……」
「いいから、いいから。遠慮しないで」
きっとこういうのも青春の一ページ。
あとから思い出したとき、みんなで笑い合えるような、そんな素敵な思い出になるに違いない。
わたしは純粋にそう思っていた。
だからわたしは気付かなかった。
みんなと過ごすのが楽し過ぎて、前世で得られなかったものを手にできたことが嬉し過ぎて、わたしは浮かれていた。
あるいは、喪女としてしか生きてこなかったせいで、女としての経験が皆無だったのがいけなかったのかもしれない。
ううん。きっとどれもただの言い訳だ。
わたしの彼に対する想いが、優しさが足りていなかっただけ。
このすぐあと、わたしはそのことを強く後悔した。
評価、ブクマなどをいただけると嬉しいです!




