幼女の失敗(2)
天才とはどの世界にも存在するものだ。
放課後にクラスのみんなでポンポン船作りに取り組み始めて三日目、わたしはそのことを強く実感した。
「ひ、人が乗れるようにすると言いましても、た、単純に大きくすればいいと言うわけではありませんよね……? あ、あの、すみません! 余計な口出しをしてしまって……」
最初はボソボソと、次に大きな声で謝ったかと思ったら、最後は消え入るような声で俯いた少女。
彼女の名はアンネ。なんとわたしの同郷――とは言っても、もちろん日本からの転生者というわけではなく、西方辺境領出身の羊飼いの娘だ。
「どうしてそう思うの?」
「そ、その……単純にボイラーと噴出管を大きくしても、それに比例して推進力が大きくなるわけではないというか……」
アンネは手始めの練習台としてみんなで作ったポンポン船の模型をいじりながら、申し訳なさそうに答える。
「そ、それに、ボイラーを大きくして蒸気圧を大きくすればするほど……ボ、ボイラーと噴出管の壁が耐えられなくなるような気がして……いえ、ただそんな気がしただけで、私なんかがほんとすみません……」
「すごい! 謝ることなんてないよ、アンネ!」
たぶんこの子は紛れもない天才だ。
羊飼いの娘がその頭脳だけでこの学院への入学を勝ち取ったのだから、賢いことは間違いないんだけど、それにしてもこの子の才能は群を抜いている。
わたしが思う天才というのは、直感で九割方の正解にたどり着くタイプの人間のことだ。
感性で理解したあとに理屈がついてくるため、理解が早くて、深くて太い。
前世でもそういうタイプは何人かいたし、彼ら彼女らを羨ましく思ったこともある。
とは言え、それでもわたしが彼ら彼女らに負けているわけではなかった。少なくともテストの一番はいつもわたし。
わたしは天才ではないけど秀才でしたからね。
秀才とは日々の反復練習で作られるもの。そうして得られる理解は、時間こそかかるはするが、天才以上に深くて太いのだ。
それはさておき、今集中すべきは、目の前にいるダイヤの原石だ。きちんと育てれば、この子はこの世界の科学シーンを一新してくれるかもしれない。
「ねえ、アンネ。ちょっとあっちで一緒にお話しましょ?」
しかし、わたしがアンネの手を取ると、その手を目掛けてもう一つの手が伸びてきた。フローラだ。
「おい、お姉様の手を離せ。クソが」
そのあまりにも黒い迫力にアンネはビクリと肩を震わせて、すぐさま手を引っ込めてしまった。
「ちょっと、フローラ! 怖がらせちゃダメでしょ! それにクラスメイトを『クソ』なんて言っちゃダメだよ!」
「お言葉ですがお姉様。お姉様以外の人間は皆等しくクソですよ」
「そうだとしても! いや、そんなことないから! わたしを巻き込むのやめて?」
こいつといるとわたしまで不敬罪で首が飛びかねない。
「とにかくクラスメイトを『クソ』って呼ぶの禁止!」
「わかりました。では、『う◯こ』と」
「う◯こも禁止!」
「あ、あのう……」
わたしとフローラが言い争っていると、アンネがおずおずと一歩前に踏み出してきた。
「リ、リーゼロッテ様ほどの高貴なお方が、『クソ』や『う◯こ』などのような、き、汚い言葉を口にされるのはお控えになった方がよろしいかと……」
「そ、そだね……」
こりゃ一本取られたわ――って、この子、怖がってたわりにこんなこと言えるなんて、意外とメンタルつよつよなのね。
ん? 待てよ。
わたしはふと、アンネとフローラの顔を交互に見比べた。
決して容姿の比較をしているわけではない。顔面偏差値Fランの喪女だったわたしがそんなことをするはずもない。
一つのアイデアを思いついたのだ。あるいはそれは、壮大な計画の第一歩だと言っていいかもしれない。
科学に並々ならぬセンスを見せるアンネと、優れた魔法陣魔法使いのフローラ。
わたしの究極の目標であり、この世界が行き着くべきユートピア――自然科学と魔法の融合。
この二人ならそれが可能なんじゃないか。
でもこの二人はタイプは違えど、ともに陰の属性。
同じ属性同士であれば仲良くできるのではないかと思いがちだけど、こういうのは得てして反発し合ってしまうものだ。
陽の属性を持ち、この二人の間に立ってコントロールできるような、そんな人物さえいてくれたらいいんだけど――って、そんなの一人しかいないよね。
「お願いね、ナーシャ?」
目が合ったナーシャににこやかな笑みを向けた。
ナーシャも可愛い笑顔で微笑み返してくれたけど、このときのナーシャはまだわかっていない。これからストレスフルな毎日が待っていることを。
それから二か月弱――
設計をアンネ、フローラ、そしてナーシャの三人が担い、部品の調達をデイヴが、組み立てをイヴァンを筆頭とした男子陣が担当することで、二人乗りポンポン船の製造は驚くべき進捗を見せていた。
女子たちが細かい部品の組み立てのほか、せっかくならと造形にも凝ってくれたおかげで、貴族に売りに出してもおかしくないほどの美しい船が完成しようとしていた。
製造総指揮はわたしだったけど、最初に理論の説明をしたほかは、ところどころでちょっとしたアドバイスをしただけで、ほとんどクラスのみんなが独力で作り上げたと言ってもいい。
国のトップレベルの子たちが集まっているとは言え、この世界の小学生の能力の高さには本当に驚かされるばかりだ。
「き、緊張しますわね……」
学院のビオトープに浮かべたポンポン船を前にして、おそらくこのふた月一番苦労したであろうナーシャが固唾を飲んだ。
その横に並ぶアンネもフローラも、クラスのみんなが緊張と期待が入り混じった表情で完成した船を眺めている。
細部にわたって綺麗な装飾を施されたその船は、二人乗りのレジャーボートぐらいの大きさで、船首には簡単な操舵桿を取り付けている。
船体には軽く水に強い木材を使用し、船底にゴムを塗ることで浸水防止を図っている。
そして船尾にはこの船の動力機関であるボイラーが三つ。
人を二人乗せて進むための推進力を得るためには、単純に蒸気の力を大きくする必要があり、そのための方法は、ボイラーを大きくするか、ボイラーの数を増やすかのどちらかだ。
しかし、大型化には強度や重さの問題が、そして増設には設置スペースとやはりこちらも重さの問題が付きまとう。
しかし、アンネとフローラが、科学の知識と魔法陣魔法でこの問題を解決してくれた。魔法陣魔法の刻印で強度を増した金属を使って、大きさ、重量、そして得られる蒸気圧の最適なバランスを導き出したのだ。
もっとも、そこに至るまでは幾度とない試行錯誤と侃々諤々の討論を乗り越えてきた。
というわけで、今回のMVPはナーシャに授けたいと思う。
え? アンネとフローラの二人じゃないのかって?
まあ、この二人をまとめるのって本当に大変そうだったから……たぶんクラスの誰からも異論はないと思う。
「それでは最後の仕上げだ」
イヴァンがみんなに声をかけると、クラスメイトたちが揃ってわたしに視線を向けた。
「仕上げ……?」
とは言っても、ポンポン船はすでに完成している。
あとは乗組員を乗せて、燃料代わりの火の魔石に魔力を注げばいつでも出航可能なんだけど……
「これだけ立派な船だから、やっぱり名前が必要だと思うんだ。だから名付けを君にやってほしいんだよ、リーゼ」
「わたしが付けていいの?」
イヴァンに問うと、クラスのみんなが頷いた。
結局わたしはほとんど何もしていないというのに、名付けという最も名誉な役割をみんながわたしに譲ってくれた。
それはとても嬉しいことだけど、同時にものすごく責任重大なことでもある。
「じゃあ、タイタニックなんてどうかな?」
「却下ですわ。なぜだか知らないけど、嫌な予感がしますわ」
わたしの提案はナーシャにバッサリと斬り捨てられてしまった。
ギリシャ神話に登場するタイタンの怪力を形容したその名は、蒸気の力で走るこの船にピッタリだと思ったんだけど……
「じゃあ、怪力丸」
「ダメだ。センスがまるで感じられない」
今度はイヴァンに却下された。
わたしに任せるって言ったのにひどい。
「だったらここはストレートに、スチームパワーシップなんて――」
わたしはそこまで言いかけてから口を噤んだ。みんなが白けた目をわたしに向けていたからだ。
ナーシャはがっくりと肩を落としているし、イレーネは顔を伏せて必死に笑いを噛み殺している。フローラですら残念なものを見るような目でこちらを見ているし、唯一、デイヴだけが「スチームパワーシップ! これは捗りますな!」とうんうん頷いている。
何が捗るのかは知らないけど、デイヴが捗る時点でこの名前はダメなんだろう。
「リーゼ、この国では船の名前には女性の名前を付ける習わしがあるんだよ」
そう教えてくれたのは苦笑いを浮かべたフレッドだ。
そんなルールがあるなら最初に教えておいてほしかった。でも、ありがとう。
そういうことなら選択肢は一つしかない。
この船は、自然科学というこの世界にとっての新大陸を目指した船だ。
そして、かつて新大陸を目指したコロンブスが、ついにアメリカ大陸へとたどり着いたときの船と言えば――
「サンタマリア号!」
ようやくクラスのみんなに認められたその名は、奇しくもこの国を建国した聖女――マリアの名を冠していた。
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