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幼女と叔母(4)

 ドアベルが鳴る。

 エントランスホールで待機していたわたしは、訪れたお客様を自ら出迎えた。


「お待ちしていました。ようこそお出でくださいました。さあ、どうぞこちらへ」


 土気色の顔をした訪問客に挨拶をする暇も与えず、内密に、かつ、可及的速やかに応接間へと案内する。

 そこではあらかじめ待機していたメイがすでにお茶の準備を始めていて、訪問客が入室するとすぐに、ソファを案内してから紅茶を差し出した。


「あ、あの……」


 この日のゲスト、アルベルト=レイドン准男爵は、ガチガチに緊張していた。


『我が家のスミレをご覧いただきたいので、ぜひ遊びにいらしてください』


 彼が受け取ったわたしからの招待状。

 彼自身、まさか本当に招待されるとは思っていなかったかもしれない。そして、いざ招待状を受け取ってしまえば、それに応じないという選択肢は彼にはない。

 なにせこれは、子どもからのお手紙ではなく、次期辺境伯であるリーゼロッテ=リシュテンガルド辺境伯令嬢からの招待状であり、その封蝋にはリシュテンガルド家の印が押された正式なものだ。


 アルベルト隊長にはこれが死刑宣告書のように感じられただろう。アルベルト隊長は死刑台に向かうような気持ちで今日ここを訪れたのかもしれない。

 なぜなら彼には、叔母様と隠れて交際していたという負い目がある。しかも、そこには圧倒的な身分差があり、通常であれば、それは決して許されるようなものではないからだ。

 彼にとっては、ここは断罪の場だった。


「間もなくお父様もいらっしゃいますので、少々お待ちくださいね」


 わたしが可愛らしい笑顔を見せても、アルベルト隊長は返事すらできずに、ソファに座ったまま膝を小刻みに震わせていた。


 程なくして、メイが内側からドアを開き、この家の当主を迎え入れた。

 すぐさま立ち上がり、直立不動で待つアルベルト隊長。

 そんな彼を一瞥することもなくソファに座ったお父様は、「掛けたまえ」と一言告げる。その声はひどく不機嫌だ。


 あれれ?

 事前の打ち合わせではもっとフレンドリーに接するはずだったんだけど……

 もしかしたらこれはアレだ。叔母様を掻っ攫いに来た男への嫉妬ってやつ。これでいてお父様、重度のシスコンだから。


「リ、リシュテンガルド辺境伯閣下にお会いでき、誠に光栄にございます。わ、私は、王都警備隊十二番隊の隊長を努めております、ア、アルベルト=レイドンと申します。ほ、本日は、お招きいただき――」


「君を招いたのは僕じゃないよ。とにかく掛けたまえ」


 挨拶を遮ったお父様は、アルベルト隊長と目を合わせることもなく、紅茶が注がれたカップへと手を伸ばす。

 明らかに歓迎されていない――それを実感したアルベルト隊長は、顔面を蒼白にしながら力なくソファに腰を下ろした。


 もう! お父様ったら!

 わたしはお父様の隣に座ると、眉間に皺を寄せたままのお父様の顔を睨みつける。

 このままじゃ、せっかくの作戦が台無しだよ?


「い、いや、すまなかった、アルベルト殿。エレウス=リシュテンガルドだ」


 わたしの怒気に触れてようやく正気に戻ったお父様がアルベルト隊長へと右手を差し出し、握手を交わす。

 ふう、これでなんとか軌道修正だ。


「先日は娘が世話になったようだね。礼を言うよ」


「とんでもないことでございます。私はただ職務を遂行したまでですので」


「そうは言うが、遺失物の捜索は警備隊の職務の範囲外だろう? 我が家の者が無理を言ったようで悪かった」


 目礼で謝意を示したお父様がわたしの頭にふわりと手を置いた。


「ほら、リーゼももう一度しっかりとお礼をお伝えしなさい」


「はい、お父様」


 お父様の指示で立ち上がったわたしは、ソファの横にちょこんと立ち、子どもらしくペコリと頭を下げた。


「アルベルト様、先日は大変お世話になり、ありがとうございました」


 それからアルベルト隊長に笑顔を見せたあと、今度はお父様へと顔を向けて、わざとらしくその腕に縋る。


「ねえ、お父様? アルベルト様に何かお礼を差し上げたいのですけど」


「それもそうだな。あのハンカチはとても大切な物だったのだろう? だったら、それに見合うものじゃなければいけないな」


 そうして思案するフリをするお父様。まあ、打ち合わせどおりだ。


「よし、ではこうしよう。アルベルト殿、この屋敷にあるもので、貴殿の望むものがあれば、どんなものでも貴殿に進呈しよう。もちろん、私の可愛いリーゼを除いてね」


 さて、わたしとお父様の意図は伝わったかしら。

 お父様は、叔母様を娶っても構わないと暗に伝えているのだけれど、アルベルト隊長はそのメッセージをちゃんと受け取ってくれたかしら。


 アルベルト隊長に目を遣ると、一度は普通に戻っていたはずの彼の顔色が今は再び蒼白になっている。

 これはまずいわね……もしかしたらこちらの真意が伝わっていない?

 いいえ、これは違うわね。アルベルト隊長はちゃんと聡明な人だ。お父様の言葉の中に、そういう意図がある可能性は考慮しただろう。

 でも、聡明だからこそ、そうじゃない可能性の方がはるかに大きいと思い込んでしまっているのだろう。だから、お父様の言葉に安易に飛び付くことはしなかった。いや、できずにいるのだ。


「そのお言葉だけで充分でございます、閣下」


 案の定、アルベルト隊長はそう言ったきり、俯いてしまった。


 アルベルト隊長は、垂らされた蜘蛛の糸を掴めなかった。

 辺境伯の妹君と、貴族とは言え一代貴族である准男爵。身分違いは甚だしく、この国の常識に照らせば、二人が結ばれることはあり得ない。それにもかかわらず、二人は当主に隠れて交際をしていた。

 場合によっては、物理的に首が跳ぶことにだってなりかねない。

 アルベルト隊長は、その恐怖に打ち勝てなかったのだ。


 でも、ヘタレだと評するのは些か乱暴だ。

 命を賭して愛を貫く――それは確かに理想的で、憧れだってあるけど、実際にそれを求めるのは酷というものだ。

 このあたり達観してますからね、わたしは。伊達に三十年弱、喪女をやっていたわけではないの。


 だから、もう一度チャンスを作ってあげたい。

 ここで諦めたら、もう二度と彼にはチャンスは巡って来ないのだから。



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