幼女と叔母(3)
慌てて振り返るわたしとアルベルト隊長。そんなわたしたちを一人の男が追い越していく。
「ひ、ひったくりよ!」
倒れ込んだ女が指差すのは、たった今わたしたちを追い越していった男。その手には女物のバッグが握られていた。
「くそッ!」
柔和な顔を厳しいものに変えて、アルベルト隊長が今にも駆け出そうとする。
「お待ちください」
しかし、その腕をシーツ爺が掴んで止めた。
「お嬢様のハンカチーフが優先です」
あくまでも上から。並々ならぬ気迫を乗せてシーツ爺が言う。
しかし、アルベルト隊長も負けてはいなかった。
「住民の生命と財産。これよりも優先するものはありません!」
「もしハンカチーフを探していただけないのなら、主家から正式に抗議をすると申し上げても?」
「お好きなように」
吐き捨てるようにそう言い残したアルベルト隊長は、今度こそ駆けていった。
その背中を見送って、わたしとシーツ爺は顔を見合わせた。
「ごめんね。嫌な役をやらせちゃって」
「滅相もございません。お嬢様の頼みとあらば、この爺、どんなことでも引き受けますとも。それに、これはヴァイオレット様のためでもございますしね」
今日ここへ来たのは、彼が叔母様に相応しいかどうかを見極めるためだ。
本当は叔母様が選んだ人ならどんな人だって構わない。だけど、せっかくならわたしも二人のことを応援したい。だから、正確に言うとこれは、わたしが彼を推せるかどうかを見極めるためのものだ。
もし彼が推せる男なのであれば、わたしは全力で推す。わたしは昔から推すことに関してだけは定評があるのだ。
「隊長殿はお嬢様のお眼鏡にかないましたか?」
「うん。合格。さっきの気迫にはぐっときたもん。一万ポイント」
そう言ったわたしの視線の先には、新しいわたしの推しがいる。
そしてその隣には、ひったくり犯の首根っこを掴まえたメイの姿があった。アルベルト隊長を引き留めた代わりにメイに犯人を追わせていたのだ。
「先ほどは失礼いたしました」
ついさっき啖呵を切ったばかりのアルベルト隊長が少し気不味そうな顔しながら、わたしの前で片膝をつく。
「どうぞ、こちらを」
そうして差し出したのは、白いシルクの生地に紫色の可愛らしい花を刺繍したハンカチだった。
「まあ! 見つけてくださったんですね!」
「捕えたひったくりが所持しておりました」
「ありがとうございます。これ、お気に入りなんです。このスミレの花が可愛らしくて。アルベルト様はスミレの花はお好きですか?」
わたしの問いにアルベルト隊長は不思議そうな顔をしたあと、それからややあって、何かに気づいたかのように目を見開いた。
さすがにわたしの正体にも、わたしの意図にも気づいたのかもしれない。
そんな彼の視線は、わたしのハンカチに浮かぶスミレの花に注がれている。
「はい……大好きです。この世界で一番に」
アルベルト隊長は少しだけ湿った声で、しかしはっきりと、そう答えた。
今、彼の脳裏に浮かんでいるのは果たして誰だろうか――って、そんなこと考えるまでもないよね。
「よかった。我が家ではいつもスミレの花が満開なんですよ。もしよろしければ今度見に来てくださいね。今日のお礼に招待いたしますから」
「大変光栄ではありますが、お礼などは不要でございます。あくまで職務として対応したまでですので」
「そうですか。では、お礼ではなく、同じスミレの花を愛する者同士、友人として招待いたしましょう。では、本日はこれで。ごきげんよう」
別れの挨拶を告げて、これで今日の仕事は終わったとばかりに、シーツ爺とメイ、それからひったくり犯を連れて立ち去ろうとする。
しかし、アルベルト隊長がそんなわたしたちを引き留めた。
「お、お待ちください」
「どうされましたか?」
「いえ、犯人をお連れになったままでしたので。その者はこちらで取り調べを行いますので、お引き渡しください」
もっともな理由だった。しかし、こちらとしてもこの男を引き渡すのは都合が悪い。
なぜならこのひったくり犯も、そして被害者である女性も、わたしが用意したサクラ、リシュテンガルド家の使用人なのだから。
だってそうでしょう? アルベルト隊長の人となりを見るために出向いたときに、都合よくひったくりなんて起こるはずがない。
わたし、前世で三十年近く生きてきたけど、ひったくりの現場に居合わせたことなんてないもの。
と言うわけで、ここはシーツ爺の出番だ。
「この者は上位貴族の所持品を略取しておりました。これは中央一番隊案件です」
王都警備隊中央一番隊。貴族に対する犯罪と貴族による犯罪を捜査する部隊だ。
今回の案件は中央一番隊案件とするには些か軽すぎるが、それでも貴族に対する犯罪には変わりはない。今回はこれで押し通すことにする。
「で、でしたら、引き渡しは我々で行います。同行されるのは危険です」
「ご心配には及びません。メイ」
シーツ爺が指示を出すと、メイはひったくり犯にちょこんと触れ、そのまま亜空間に放り込んでしまった。
あの中、気持ち悪いのよね……ごめんね、ひったくり犯さん。
「ひったくりの件もそちらで処理していただくとしましょう。御婦人、よろしければ私どもにご同行願えませんでしょうか? もちろん聴取が終わりましたら、ご自宅までお送りいたしますので」
ひったくりの被害にあった女性は、シーツ爺の言葉に首を縦に振って頷いた。
こうなってしまえば、アルベルト隊長は引き下がるしかない。
「承知いたしました。本件の解決に御助力いただき、感謝いたします。ただし――」
頭を下げたアルベルト隊長だったが、すぐに頭を上げると、強い意志のこもった視線をシーツ爺に向けた。
「その者が悪事を働いたことは事実です。その罪は償うべきでしょう。しかし、いや、だからこそ、その者が一方的に不利になるような取り調べとなることがないようにお願いしたい」
貴族絡みの案件は、特に相手方が平民の場合、貴族にとって都合のいい結末となることがしばしばあるらしい。悲しいけれど、それがこの世界の現実。
アルベルト隊長はそのことを懸念していたのだった。
つくづく真面目な男だなと思う。
正義感が強く、誠実で、弱き者を助ける気概を持つ。
わたしの正体に薄々気づいていてなお、これだけはっきりとした物言いができるのは、並大抵のことではない。
豪胆なのに繊細な叔母様を支えるパートナーとしてはぴったりかもしれない。
「ご安心ください、アルベルト様。そのようなことは断じてないとお約束します――リシュテンガルドの名に懸けて」
最後に正体を明かしたわたしは、今度こそその場を後にした。
驚かせてしまったことは申し訳ないとは思っているけど、反省はしていない。
でも、その代わりに約束するわ――わたしがあなたを全力で推してあげる。
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