幼女と叔母(1)
明けて翌日――
夏休みの宿題を終えて、メイが淹れてくれた紅茶を楽しんでいたところへ、お父様の執務室から言い争うような声が聞こえてきた。
お父様の執務室には、つい先ほど、叔母様が入っていったばかりだった。
「どうしたのかな?」
わたしが尋ねてもメイは首を傾げるばかり。まあ、メイが知ってるわけないか。
てくてくと執務室の前まで向かったわたしは、そっと扉に張り付いて中の様子に聞き耳を立てる。あまりお行儀のいいことではないけど、気になるものはしょうがない。
わたしは娘であり姪っ子なわけだから、最悪バレても何とかなる。わたしはね。でも、あんたはダメなんじゃないかな?
「メイは何してるの?」
「有事に備えて待機しております」
わたしと同じように聞き耳を立てるメイに白けた目を向けるが、彼女は堂々とそう言い放った。
主人の部屋での会話を盗み聞きするなんて、使用人にあるまじき行為だとは思うんだけど、こうも堂々とされると返す言葉を失ってしまう。
まあ、メイがその気になれば、亜空間に隠れて中の様子を盗み見ることさえできるんだから、この程度のことをいちいち咎めていても無駄な気はするけど……
「……縁談は…………認めるわけには……」
「私はもう……これ以上……」
部屋の中の会話は途切れ途切れで、はっきりとはわからないけれど、どうやら叔母様の縁談の話をしているようだった。
叔母様にどこからか縁談が来ていて、お父様がそれを認めないと主張し、叔母様がそれに食い下がっている。おそらくはそんな展開。
「お兄様だって反対を押し切って結婚したのでしょう? 私も自分のフィアンセは自分で決めます!」
業を煮やした叔母様の悲痛な叫びが聞こえた。
それからすぐに足音が扉に近づいてくる。
「や、やばい! どうしよう……」
こんな修羅場を盗み聞きしていたのがバレたら、さすがのわたしもしこたま叱られちゃうかもしれない。
しかし、焦っている間にも足音はどんどん近づいて来て、ガチャリと音を立てて扉が開かれた。
その瞬間、ぐにゃりと視界が歪み、明るいとも暗いとも言えないふわふわとした空間に囚われるのを感じた。
この感覚は、アースドラゴンの大顎から助け出されたときと同じ。メイの亜空間だ。
「あ、ありがと、メイ」
「お安い御用です、お嬢様。このために私がおりますので」
そのためにいるのかは知らんけど、ってか、違うと思うけど、とにかく今回は助かった。
それにしても、助けてもらっておいて愚痴を言うのは申し訳ないけど、この空間、ふわふわぐにゃぐにゃしていて正直気持ちが悪い。酔いそう。
「メイはここにいてよく平気だね?」
「慣れれば大したことございませんよ。私など一日の大半をこの中で過ごしておりますので」
あーうん。もっとちゃんと仕事しよ?
眩暈と吐き気を堪えながらしばらく待ち、やがて叔母様の姿が見えなくなると、わたしはようやく亜空間から解放された。
メイはそのまま亜空間の中に留まることにしたようだった。事の成り行きをこっそり見守る――と言うか、盗み見ることにしたのだろう。
「お父様?」
開け放たれたままの扉をノックしてから部屋の中を覗き込むと、ソファに深く腰掛けたお父様が天井を見上げながら大きく息を吐いていた。
「リーゼか。どうしたんだい?」
「うーん、それはわたしが聞きたいって言うか、叔母様と言い争う声が聞こえたから……」
「そうか、さっきの話を聞いていたんだね。心配かけて悪かったね。ここにお座り」
苦笑いを浮かべたお父様が、お父様の正面のソファを勧めてくれた。
わたしがそこにちょこんと座るのを確認すると、お父様は誰もいないはずの扉の向こうへと声をかける。
「メイ、お茶をお願いできるかい?」
「畏まりました、旦那様」
さすがはお父様。メイがそこに待機していることに気付いていたようだ。
メイもメイで、悪びれた様子もなく姿を現すと、テキパキと紅茶と茶菓子を準備して、それからすぐに再び姿を消した。
いや、姿消す必要、ある?
「叔母様の縁談、お父様は反対なの?」
紅茶で軽く喉を潤したあと、わたしは単刀直入に聞いた。
お父様はしばらく考え込んでいたけど、それでもはっきりと頷いた。その顔は憂いに満ちていた。
「どうして? わたしは叔母様には幸せになってほしい。叔母様が望んでいるなら、どうして認めてあげないの?」
「幸せになってほしいからだよ」
「どういうこと?」
「ヴィオラはね、責任を感じているんだ。罪を背負っていると思い込んでいると言ってもいい。ヴィオラはパパとママの結婚に最後まで反対していたからね」
昨夜言っていたとおり、叔母様は、お父様と中央の有力貴族の令嬢との結婚を望んでいた。
リシュテンガルド辺境伯は爵位の上では侯爵の下に位置するが、その武力、財力を含めた権勢は三公爵家に勝るとも劣らないとされている。
それでも叔母様が中央で実権を握る有力貴族との繋がりを望んだのは、西方辺境領とお父様を守るためだった。
「リシュテンガルドは常に帝国の脅威を隣に置いているからね。いくら我が軍が強大だとしても、中央からの支援もなく単独で帝国と事を構えることはできない」
「でも、西方辺境領が破られれば王国だって無事じゃいられないでしょ? だったら支援するのは当たり前なんじゃない?」
わたしが反論を試みるが、お父様はゆっくりと首を横に振った。
「リーゼにも覚えておいてほしい。権力というのは理屈で成り立つものではないんだ。皆がそれぞれ違う天秤で利益の大きさを計っているからね」
西方辺境領にリシュテンガルド家が在ることで得られる利益とないことで得られる利益。それは各貴族の立場や、領地の立地などで違ってくる。
単純に国のことを考えるならばリシュテンガルド家は不可欠なものであることは否定することのできない事実なのだが、自己の利益を追求する上で、リシュテンガルド家が邪魔だと考える貴族も少なからずいるということだ。
「それに当時はパパ自身の存在自体が危険視されている時期でもあったんだ。まあ、それ自体は今も変わってはないけどね」
お父様自身の武力とリシュテンガルド家が持つ権勢。それを面白く思わない貴族は多く、下手を打てば孤立してしまいかねない――当時の情勢はそんな危険をはらんでいたらしい。
だからこそ叔母様は、リシュテンガルド家と、そして何よりお父様を守るために、中央とのパイプを強化すべきだと主張した。
「でもね、いざ結婚してしまえば、ヴィオラはメグに本当によくしてくれた。身寄りも後ろ盾もないメグの一番の友になってくれたんだ。パパはね、ヴィオラに感謝こそすれ、恨みなんて欠片も抱いてはいないんだよ……」
「でも、叔母様自身はそうじゃない」
問うでもないわたしの呟きに、お父様の瞳が一瞬だけ揺れた。
「ヴィオラは僕たちの結婚に最後まで反対したことをずっと後悔しているんだ。そしてその後悔は、君が生まれてより深いものになった」
そうだろうな、と思った。
叔母様はお母様のことを否定した。それはやがて生まれ来るわたしを否定したことでもある。
あの優しい叔母様だったら、そういうふうに自分を責めているだろうことは容易に想像がついた。
「もしかして叔母様の縁談って……」
かつて叔母様がお父様に期待した役割。今度は彼女自身がその役目を担おうとしているということか。
その推測はお父様によってあっさりと肯定された。
「エイディーン公爵の第三子、フロイツ殿がヴィオラの縁談の相手だ。もちろんフロイツ殿がダメだと言っているわけではないんだ。彼には何度か会ったことがあるが、好感の持てる青年だ。だけどね、これはヴィオラにとっての罪滅ぼしなんだよ。そんな婚姻を当主として認めるわけにはいかないんだ」
お父様は力強くそう言い切った。
当主として判断するのならば、この縁談は悪い話ではない。それでもお父様は当主としてこの縁談は認めないと言ったのだ。
自分が自由に結婚相手を決めたことに負い目を感じているというわけではないと思う。お父様の根底にあるのは、家だとかコネだとか、そんなしがらみを排除した、貴族らしからぬ自由な恋愛観だ。
そして、そんなお父様がここまで断言するということは――
「叔母様には、別に好きな人がいるの?」
わたしの問いにお父様ははっきりと頷いた。
てことは、叔母様は好きな人がいるのに、その想いに蓋をして、家のために、そして、罪滅ぼしのために、違う男の元に嫁ごうとしているってわけだ。
でも、そんなことは許せない。
悲恋だとか、貴族の常識だとか、そんなふうに片付けていい話じゃない。
後悔は先に立たず、そして役にも立たないのだ。
わたしが言ってもまったく説得力はないけど、人生は一度きり。生まれ変わって美幼女になることなんてそうそうあることではないのだ。
「ねえ、お父様。この話、わたしに任せてくれない?」
叔母様には絶対に幸せになってほしい。
そのためには、ひと肌脱ぐどころか、全裸になったって構わない――あくまで覚悟的な意味で。
攻略対象は叔母様。絶世の美女でありながら、自ら罪を背負い、家のために身を捧げようとしているお姫様。
その攻略難易度は特Aレベル。でも、攻略ルートは絶対に存在しているはずだ。
なぜだか一時期ギャルゲーにのめり込んだわたしの真の実力を見せるときがついにやって来たのだった。
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