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幼女と恋人(2)

「リシュテンガルド辺境伯閣下に謹んでご挨拶申し上げます」


 お父様の元に密使が訪れたのは、夏休みが始まって数日経ってのことだった。


 密使の男が恭しく首を垂れると、お父様はそれに大仰に頷いてみせた。

 なぜだか同席を求められたわたしは、お父様の傍らで、そんなお父様の凛々しい姿に熱い眼差しを向けていた。

 何を隠そう、わたしは仕事中のお父様を見るのは初めてなのだ。もう、何と言うか、カッコよすぎて、気を抜いたら鼻血が出そう。すき。


「さる方から閣下にこちらを、と」


 密使の男は、お父様を前にしても名乗ることすらしなかった。それどころか、辺境伯と謁見するというのに帯剣までしている。

 そんな無礼とも言える男が差し出した一通の手紙。

 お父様はそれを見て、小さく溜め息をついた。


 ちらりと盗み見たその手紙には見慣れた封蝋。

 それは王家からの手紙だった。


 手紙を開いたお父様は、その文面に目を落として、もう一度、今度は大きな溜め息をついた。


「明日、リーゼと二人で登城する旨、お伝えしてくれ」


「ありがとうございます、閣下。我が主もお喜びになりましょう」


 深々と頭を下げた密使は、これで役目は果たしたとばかりに満面の笑みで退室していった。

 それを見届けたわたしは、またまた溜め息をついているお父様の袖を引いた。


「お父様、どうしたの?」


「ノーシス様――王太子殿下から昼餐会のお誘いだよ」


 そう言ったお父様はわたしに手紙を見せてくれた。


『明日、久しぶりに昼飯でも一緒に食おうじゃないか。できればリーゼロッテ嬢も一緒に』


 その手紙にはたったそれだけが書かれていた。

 ずいぶん砕けた感じだなとは思うけど、特に内容に問題があるようには感じない。それなのにお父様はどこか困り顔だ。


「さっきの使者は帯剣していただろう? あれは王家の剣、彼は王家からの正式な使者なんだ」


「お昼ご飯のお誘いに正式な使者を立てたってこと?」


「そう。その上、彼は自分のことをわざわざ『密使』だと言ったんだ。おそらく彼は『王の影』に所属する者だろうね。この手紙の差出人と僕たちを除いて、彼がこの屋敷に来たことを知る者は誰もいないんじゃないかな」


 たかが昼食会にもかかわらず、正式な使者を立て、かつ、そのことを秘匿しようとしているということか。

 確かにこれは何か臭うわね。


「よからぬことじゃなければいいんだけどね……」


 お父様ったら……そういうのをフラグって言うんだよ!


⚫︎


「やあやあ、よく来てくれた、お二人さん!」


 王太子一家のプライベートガーデン。そこへ入ったわたしたちを気軽な言葉で出迎えたのは、いつか見たイケオジ。将来のこの国の王、王太子殿下その人だ。


 彼の後ろに控えるのは、濃紺のドレスを艶然と着こなしたとんでもない美女。その隣でレオンが少し気まずそうに立っているところを見るに、彼女がレオンの母、王太子妃殿下なのだろう。

 お母様が赤、叔母様が黄色とするならば、王太子妃殿下は青色の美人。ちょっと何言っているのか自分でもわからないけど、同格かつ比べることのできない美人たちだということだ。

 異世界三大美人の二枠はお母様と叔母様で、残る一枠は保留中だったけど、今日その最後の枠は確定してしまった。本当はその枠にはわたしが収まるつもりだったけど、彼女を見てしまったら、納得するしかないというものだ。


「殿下、本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」


 お父様が王太子殿下に恭しく礼をし、わたしもその隣で小さくカーテシーを決めた。

 それを終えると、今度はお父様が王太子妃殿下の前に跪き、その指に触れるか触れないかぐらいの口づけをした。

 次はいよいよわたしの番だ。王太子妃殿下とは初対面と言うこともあって、名乗りのご挨拶をしなければならない。

 実はわたしは大人の貴族に自分から挨拶をしたことはほとんどない。しかも相手は王族だ。正直ちょっと緊張している。


「リシュテンガルド辺境伯領のリーゼロッテと申します。王太子妃殿下にお目に掛かれて光栄でございましゅ」


 よし、噛まずに言えた。

 え? 噛んでんじゃんって? いいや、噛んでないね、まったく。

 心の中で誰にともなくそんな言い訳をしていると、ふわりと花のような優しい香りがわたしを包んだ。


「で、殿下……?」


 気付くとわたしは、王太子妃殿下に抱きしめられていた。


「御母上と離れた生活は寂しいでしょう? 私のことは王都の母だと思って接してくれていいのよ? 私のことはルメリアって呼んでちょうだいね」


 ああ、なんだろうこの感覚……なんかムラムラしちゃう。

 美貌と香りと柔らかさの破壊力がすごい。幼女のわたしでこれなんだから、殿方からすれば堪らんでしょうな。


「母上、それぐらいにしてください。リーゼが困っている」


「あら、ごめんなさい。あんまり可愛いものだからつい」


 レオンが苦言を呈すると、ルメリア殿下は悪戯っぽい笑みを浮かべて、私の耳元に口を寄せた。


「本当の娘になってくれてもいいのよ?」


 そうやって囁くルメリア殿下の視線の先では、レオンが不思議そうに首を傾げていた。

 つられてレオンの顔を見たわたしは真っ赤になってしまった。


「ふふ、冗談……ってわけでもないのよ? さ、ご挨拶はこれぐらいにしてお食事にしましょう」


 ルメリア殿下の言葉を合図に昼餐会が始まった。

 とは言っても、運ばれてくるものは、宮廷料理のような気取ったものではなく、サンドイッチやフルーツの盛り合わせなど、庶民的な料理の数々。もちろん味はとてつもなく美味しいのだけれど、皇太子一家の飾らない人柄が感じられるような気がした。


 お父様と王太子殿下はワインを酌み交わしながら談笑をしているし、ルメリア様はわたしやレオンのために手ずから料理を取り分けたりしてくれている。そんな和やかな雰囲気の中で昼餐会は進んでいく。


 このまま何事もなければいいんだけどな――なんて考え自体がフラグなんだろうけど、別にわたしがフラグを立てたのがいけなかったわけではないと思う。

 だってそれは、最初から決められていたことで、この昼餐会の目的そのものだったのだろうから。


 食後のデザートと紅茶が運ばれてきたタイミングで、王太子殿下がまるで料理の感想を述べるかのような気軽な口調で言った。


「リーゼロッテ嬢に正式に婚約を申し込みたいのだが、どうだろう?」


「父上!」


 その言葉に真っ先に反応したのは、意外にもお父様ではなく、レオンだった。


「突然そのようなことを言われては――」


「なんだ? お前が言い出したことじゃないか?」


「わ、私はただ! ただ……リーゼロッテ殿にデ、デートを申し込みたいと、そうお伝えしただけです」


「それと婚約の申し込みと何が違うんだ?」


 顔を赤らめて言い募っていたレオンは、そこで絶句した。もちろんわたしも。

 まさかデートの申し込みイコール婚約になるなんて、一足飛びもどころか短絡的に過ぎる。

 いや、もしかしたらこれが貴族の習わし、あるいは王家のルールなのだろうか……


「ははは! もしかして殿下はいまだルメリア様のに策略に嵌ったままなのですか?」


「まあ、エレウス様ったら、策略だなんて人聞が悪いわ」


 しかし、唖然とするわたしたちをよそに、お父様とルメリア殿下は可笑しそうに声を上げて笑った。

 二人の顔には、王太子殿下への憐れみの色すら浮かんでいる。


「お父様、どういうことなの?」


「ああ、ノーシス殿下とルメリア殿下の馴れ初めの話さ」


 わたしがお父様の袖を引くと、お父様は笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を指で拭った。


 学院生時代のルメリア殿下はあまりにもモテた。それはもううんざりするほどモテたそうだ。二児の母となった今でさえこの美しさなのだから、それも当然だ。

 言い寄る有象無象に辟易していたルメリア殿下は、そこで一つの策を打った。


 その策というのが、今や形骸化して久しい、はるか昔の貴族のしきたり――貴族女性の純潔主義を利用したものだった。

 ルメリア殿下は、『将来夫となる者としか交際はしない。それが貴族の習わしだ』とそう言い放ったのだ。


 多くの者はそれが体のいい断りの台詞だということはわかっていた。両殿下が学院生のときにはすでに、そんな風習は廃れ切っていたからだ。

 仮にその言葉を間に受けた男がいたとしても、公爵令嬢であったルメリア殿下においそれとデートを、つまりは婚約を申し込むことができる者などいなかった。

 ただ一人を除いては。


「まさか本当に婚約を申し込んでくる殿方がいらっしゃるとは思いませんでしたけどね。しかもそれが王子様だなんて」


 ほほほ、と楽しそうに笑うルメリア殿下。その一方で、王家の男二人は気まずそうな顔をして沈黙している。

 たぶん、と言うか間違いなく、レオンもノーシス殿下も、『貴族のしきたり』を間に受けていたのだろう。


「レオンハルト殿下」


 柔和な笑みを浮かべたお父様がレオンに声をかけた。


「もし殿下が当家の娘にデートの申し出をされたいとおっしゃるのであれば、家など介さず直接彼女にお伝えされるとよろしいでしょう。我が娘がその申し出を受けるというのであれば、私は父として、同じく娘を持つ多くの男親と同じく、涙を飲んでそれに目を瞑りましょう。しかし――」


 お父様は、今度は鋭い視線を王太子殿下へと向けた。


「それと婚約の話は別ですよ、ノーシス殿下。以前もお伝えしましたが、リーゼの結婚相手を親である私たちが決めるつもりは毛頭ありません。そこに政治的な思惑が絡むのであればなおのことです」


「し、しかしだな……」


 ノーシス殿下は叱られた子どものように小さくなって何やらぶつぶつ言っている。

 独断専行で先走ってしまいバツが悪いのだろう。

 そんな夫に助け舟を出すように、彼の妻であるルメリア殿下がお父様に笑顔を向ける。


「エレウス様がおっしゃると説得力が違いますわね。でも、当人同士がよいのであれば、相手が王家の者でもエレウス様は構わないということでよろしいのですよね?」


「……おっしゃるとおりです」


 気圧されたようにお父様が頷くと、ルメリア殿下は艶然とした笑みを浮かべてわたしにウインクをした。


「では、あとは若い二人にお任せしましょう。それでよろしいわね、あなた?」


 なおもブツブツと言っていた王太子殿下は、ルメリア殿下の言葉にカクカクと首を縦に降った。

 なんだかせっかくのイケおじも形無しだ。


 しかし、困ったことになったのは今度はわたしの方だ。

 わたしのことなんかそっちのけで進んでいた話が、突然自分の元に戻ってきたのだ。


 ちらりとレオンに目を向けると、こちらを見ていた彼と目が合って、互いに気まずくなって顔を伏せた。

 未熟なストロベリーのような甘酸っぱいこの感じ。悪くないわね。でも、親が見ている前でこういう雰囲気になるのはやっぱりちょっと気恥ずかしい。


 でも、そういうところでしっかりと格好をつけるのが、レオンという男の子だ。

 立ち上がったレオンが歩み寄り、わたしの前で跪くと、優しくわたしの手をとった。


「リシュテンガルドの姫に交際を申し込みたい。リーゼ、俺は君が好きだ」


「……はい」


 それは人生で初めて受けた愛の告白だった。

 ずっと諦め続けていたもの。絶対に手に入らないと思っていたもの。

 嬉しくて、嬉しすぎて、言葉が何も出てこなくなり、代わりに瞳から涙がこぼれた。


 二人でのお出かけをデートだと言ってほしい――そんな些細な願いから始まったちょっとした騒動は、最高のフィナーレを迎えた。


 喪女だったわたしが好きな男の子から初めて告白された日。そして、喪女だったわたしが生まれて初めて告白をした日。

 わたしは今日という日をきっといつまでも覚えている。たとえ死んでも覚えている。


「わたしも、レオンが好きだよ」

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