幼女と恋人(1)
長いようで短かった前期課程もあっという間に終わり、明日からは夏休みだ。
王都は王国の中心に位置するとは言っても、王国自体が北寄りにあるためか、夏は涼しくて過ごしやすい。茹だるような夏の暑さがないというだけで、転生してよかったと思える。
でも、その分、夏休みは少し短くて、三週間しかない。
「リーゼは夏休みは帰省しますの?」
いつもの帰り道。ナーシャは差していた日傘を傾けて、わたしに尋ねた。
わたしはそれに首を振って答える。
「ううん。だって、帰ったと思ったらすぐに戻って来なくちゃいけないんだもん」
うちの実家は遠い。往復で二十日かかるのだから、さすがに帰省するのは諦めた。
でも、冬休みには絶対に帰ってやる。冬休みはひと月半あるらしいからね。
「それは残念ですわね。わたくしも一緒に夏休みを過ごせればよかったのですけれど……」
「わたしのことは気にせず楽しんでおいでよ。せっかくの帰省なんだからさ」
ナーシャは明日から実家のあるノト侯爵領へと帰省する。片道で三日かからないのであれば帰省するにも現実的な距離だ。
とにかく遠いのがいかんのだよ。いや、遠いことよりも、交通手段が貧弱なのがいかんのだ。
王国は広いというのに、テイムした魔獣に曳かせた高速馬車が最速の移動手段とはけしからん。これでよくぞここまで経済発展したものだと感心するほどだ。
「汽車でも作ろうかなあ……」
「きしゃ?」
ため息混じりのわたしの呟きを、ナーシャに耳聡くとらえられてしまった。
どうやって誤魔化そうかとちょっとだけ悩んだけど、結局わたしは誤魔化すのをやめにした。
「馬車よりも早く走る鉄の箱って言えばいいのかな? それがあればもっと早く実家に帰れるなあと思って」
「魔法か何かなのかしら?」
「まあ、似たようなものかな。夏休み明けたら説明してあげるね」
前世のわたしのラノベ的知識によれば、異世界に転生や転移した主人公のとる対応は大きく二つ。
異世界の文化を汚染しないように元の世界の知識の開陳を自重するか、そんなことに構わず俺TUEEEをやるかのどちらかだ。
わたしはすでに顔面が相当強いので、元の世界の知識を使っていたずらに俺TUEEEをやるつもりはさらさらないけど、自分の快適な暮らしのためなら自重するつもりもない。
汽車か……ふと口を突いただけだったけど、作ってみるのも面白いかもしれないわね。原理ぐらいは知ってるわけだし。
異世界のリチャード=トレビシックに、わたしはなる! ドン!
「どうしましたの? 悪い顔をしてますわよ?」
「え? あ、いや、何でもないよ?」
「そう? それならいいのですけど」
そう言って足を止めたのはいつもの分かれ道。
ここをまっすぐ進めばナーシャの家が、右に折れればわたしの家がある。
「本当に一人で大丈夫ですの?」
そして、ここに着くと必ずナーシャはそう聞いてくれる。
登下校中、ナーシャには必ず二人以上の護衛が付いている。一方のわたしは一人ぼっちだ。少なくとも周囲にはそう見えている。
「はは……大丈夫。見えないところに護衛がいる……はずだから。たぶん」
「そう。それならいいのですけど……」
苦笑いを返すわたしに、ナーシャも苦笑いを浮かべる。これもいつもの光景だ。
「それでは、リーゼ、ごきげんよう。夏休み明けにまたお会いできるのを楽しみにしていますわ」
「うん! わたしも!」
わたしとナーシャはお互いにハグをした。
いまだにちょっと照れ臭いけど、これがいつものお別れの儀式だ。
前世を含めて、初めてできた大好きな友達。
彼女の背中が見えなくなるまで見送って、わたしは再び帰路に就いた。
そこから五分も歩けば、リシュテンガルドの王都別邸へとたどり着く。
「ただいま〜」
「おかえりなさいませ、お嬢様」
屋敷に入ると、応接間ではメイが午後のティータイムの準備をしていた。
どうやらお客様が見えるらしく、並べられているお茶菓子がいつもより豪華だ。でもそんなことより、ここで呑気にお茶の準備をしていたということは――
「わたしの護衛は?」
「ノト侯爵家の護衛が付いておりますので、大丈夫かと思いまして。使える物は有効活用いたしませんと」
「え? いや、まあ、それはそうなんだけど……いや、そうなの?」
なんか自信満々で言っているからつい騙されそうになったけど、絶対そんなことないよね?
仕事を人に押し付けて、サボってるだけじゃん。それに、ナーシャと別れたあとは、わたし五分ぐらいは一人なんだよ?
「ふふ、冗談です。ご安心ください、お嬢様。私の多元同時存在が常にお嬢様を見守っておりますので」
「あーうん。そっかそっか。ありがと」
空間魔法、特に亜空間を使用した転移魔法などの使い手は、自身の存在が曖昧になる者も多いと聞く。
残念ながら、メイの症状はもう末期だ。クビにしよう。
「ところで、今日はお客様がいらっしゃるの?」
「ああ、それでしたら――」
わたしの問いにメイが答えかけたところで、反対側の扉がガチャリと音を立てて開いた。
「こら、メイ。サプライズだと言ったじゃないか」
「お父様!」
思いがけない来客に、わたしは満面の笑みを浮かべて駆け出した。
たぶんふつうの貴族の家だったら、「はしたない」とかって叱られるかもしれないけど、お父様はそんなことは気にしない。
笑みを浮かべて両手を広げると、飛び込んでくるわたしを優しく抱きとめてくれた。
「リーゼ、会いたかったよ」
「わたしも! 夏休みは会えないと思ってたから嬉しい!」
「ちょっと王都に用事があったからね。それにリーゼからもらった手紙のこともあるしさ」
お父様の言う王都の用事というのは、きっとわたしに会いに来ることだろう。
わたしが出した手紙を呼んで、飛んできて来てくれたんだと思う。優しい。すき。
「あら、その様子だとサプライズは成功したみたいね」
お父様のすべすべのほっぺに頬ずりをしていたところへ、叔母様が入ってきた。
「おかえり、リーゼ。お兄様がいらしてよかったわね。さ、お茶にしましょ」
叔母様の言葉に泣く泣くお父様から離れ、わたしたちがそれぞれに席に着くと、メイが紅茶を淹れてくれた。
悔しいけれどメイの淹れた紅茶は美味しい。ドヤ顔さえしてなければ素直に褒めてあげられるのに。
「お義姉様は今回も来られませんでしたの?」
「残念ながらね。メグもリーゼに会いたがっていたよ」
領主の配偶者は、領主不在時にはその名代を努めなければならない。夫婦揃って領地を離れる場合は、中央から執政官を派遣してもらう必要があるのだが、それも辺境の地とあっては簡単なことではない。だから二人揃って領地を離れることはなかなか難しい。
いくら護衛をつけるとは言っても、お父様がお母様に一人で王都までの旅をさせるはずがないので、お母様に会いたければ、わたしが実家に帰るしかないのだ。
それは頭ではわかっているけど、やっぱり会えないのは寂しい。精神年齢は高いくせに、このあたりのメンタルはしっかりと子どもなのだ。
しょんぼりしていたわたしに向けるお父様の目は優しい。
お父様は手招きをしてわたしを呼ぶと、わたしを抱き上げて膝の上に乗せた。
これぞ幼女の特権。無料でイケメンの膝の上に座れることこそ幼女の特権なのだ。
王都での生活や授業のこと、新しくできた友達のこと、いろいろな話をしたあと、お父様は懐からおもむろに一通の手紙を取り出した。
それは、わたしがお父様に宛てたものだった。
「それにしても驚いたよ」
封筒から便箋を取り出しながら、お父様がわたしに微笑みかける。
「とてもよくまとまった文章だった。過不足なく要点だけが簡潔にまとめられていた。文末に『お父様大好き』の一言がなければ、文官からの報告書と見間違うところだったよ」
「驚くのはそこ?」
わたしが首を傾げると、お父様は笑みをさらに深くする。
「もちろんそこだよ。賢い子だとは思っていたけど、リーゼはパパの想像のもっと先を行っているみたいだね」
良い研究者は良い報告書を書くものなのですよ。それが仕事でしたからね。って、そんなことより――
「リーゼもギフトを賜ったんだね。おめでとう――と言っていいかは微妙なところだけどね。リーゼも知ってのとおりパパもギフト持ちなんだ」
そう言って苦笑いを浮かべたお父様は、ギフトについての説明をしてくれた。
お父様のギフトもわたしと同じ『増強』で、ちょうど今のわたしと同じ年齢で発現したらしい。
リインフォースは魔法の威力を高めるものだと思っていたけど、実はそうではないらしく、筋力や瞬発力、敏捷性、果ては武器の切れ味などなど様々なものを増強できるチートとも呼べるような最上級のバフなのだそうだ。
そしてそのバフは、他人だけではなく、自分にも向けることができるらしい。
「お兄様は、一騎当千の武人としても、千軍万馬を率いる将としても、王国では並ぶものがいないほど優秀だったの。そしてそれは今もそうよ」
「そういうふうに好意的に表現してくれる人ももちろんいるけどね、中にはそうじゃない人たちもいるんだ。特に軍人の間では、パパは『決戦兵器』だと認識されている。それがどういうことか、わかるかな?」
パパの問いは、初等部一年生に投げかけるようなものではない。
これは、わたしがパパに試されている――ううん、期待されているからこその問いなのだろう。
「――命を狙われることがあるってこと?」
わたしの答えにお父様は満足気に頷いた。ただその顔はひどく悲しそうでもあった。
「やっぱりリーゼは賢いな。リーゼの言うとおりだよ」
大きすぎる力は畏怖と軋轢を生む。
その大きすぎる力がただ一人の手に握られているとすればなおさらだ。
「昔からパパを利用しようとする者は多かった。利用できないのであれば亡き者にしようとする者も同じくらいね」
そう言ったお父様が、膝に乗せたわたしを後ろからぎゅっと抱きしめた。
「本当は君には、そんな力を持ってほしくはなかったな……」
その声は少し湿っていたけど、それも束の間、お父様は膝に乗せていたわたしを立ち上がらせて、その前に膝立ちになると、わたしに真剣な眼差しを向けた。
「リーゼのことはパパとママが守る。ヴィオラも君の味方だし、シーツもメイもいる。だからリーゼは恐がらなくていい。何も気にせず、楽しく学院生活を過ごしてほしい。いいね?」
「はい。お父様」
お父様の身に起きた話は、これからわたしに起こり得る話でもある。
恐くないと言ったら嘘になる。でも、恐怖心よりも安心感の方がずっとずっと大きかった。
わたしを大切に思ってくれる人たちがいる。わたしを守ってくれる人たちがいる。その
ことがわたしの心を満たしてくれていた。
これまでは、一人で生きていくためにずっと力を蓄え続ける人生だった。でも、そんなわたしにも今やたくさんの味方がいる。これはもう勝ち確としか言いようがない。
見てなさい。わたしはただでやられてやるようなヤワな女じゃないのよ。
わたしは薄く微笑むと、いるのかどうかもわからない敵に向けて、心の中で宣戦布告をした。
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