幼女の実力(6)
週末。わたしとレオンは王立美術館に来ていた。
魔法を使えるようになるために必要な感性を養うための訓練の一環――という名目の美術館デートだ。
恥ずかしながら、わたしはデートは初めてなのです。正直、どうしたらいいのかわかりません。
最初こそそうやって緊張していたけど、レオンにエスコートをされながら王国所蔵の美術品の数々を眺めているうちに、次第にその緊張も解けていった。
ちょっとこの子、女の扱いに慣れ過ぎてません? わたし、ここで壺でも買わされるんでしょうか?
そんな疑惑の目を向けていると、レオンが一枚の絵画の前で立ち止まった。
「リーゼは聖女なのかもしれないな」
ポツリと呟いたレオンが見上げた絵画には、純白の衣を纏った一人の女性が描かれていた。
その女性は慈愛に満ちた表情で、戦禍に荒れ、飢饉と疫病が蔓延る荒廃した大地へと降りたとうとしている。
シーラン王国で最も有名な絵画の一つ――聖女降臨。その原画だ。
「はるか昔、この大地では争いが絶えなかった。そこへ一人の女が現れ、不毛の土地に恵みを、病人に慈しみを与え、人々を飢えと疫病から救った。そして聖女として崇められるようになったその女は、ついには戦争を鎮め、シーラン王国を建国した」
レオンが口にしたのは、この国の建国にまつわる御伽噺。
神の威信を借りるため、国の成り立ちを神話に頼ることはよくある話だ。
「この話自体はあくまで御伽噺だけど、聖女自体は実在したとされているんだ」
「え? そうなの?」
レオンは頷くと話を続ける。
「王家の家系図の一番上にその女性の名が刻まれている。まあ、その家系図自体がどこまで本当なのか怪しいところはあるけどな」
「へえ。そうなんだね」
「でもさ、もし聖女が実在したとして、一人で飢えと疫病から民を救って、戦争まで鎮めてしまうなんて、普通の人にできることじゃないだろ? だからさ、神学者の間では、聖女は神から特別な力が与えられてた――つまりはギフト持ちだったんじゃないかって説もあるんだ」
「もしかして、それでわたしが聖女かもしれないなんて言ったの? それは飛躍しすぎだよ」
喪女であり、幼女である。それがわたしですからね。
「まあ、それはそうかもしれないけど、ギフト持ちに神性を見出そうとする者がいることも確かなんだ。まあ、ほとんどは教会関係者で、何か危険があるってわけじゃないけど、リーゼがギフト持ちだという話はあまり広めない方がいいかもしれないな」
「そっか。ありがと。心配してくれて」
聖女降臨の展示室を後にしたわたしたちは、魔法陣魔法の元となったと言われる壁画などが展示されたコーナーへと移動した。
実はこのコーナーが今日の一番の目的地だったりする。デートだけど、一応、魔法の勉強を兼ねてますのでね。
「魔法の練習なんだけどさ、魔法自体の練習はしばらくやめにして、ギフトの扱いに慣れることに専念しないか?」
「それは構わないけど、なんで?」
「今後のためにもうまくコントールできるようになっておいた方がいいと思うんだ。リーゼの『増強』で魔法を使うと威力が高くなり過ぎるんだ。初級魔法なのに魔力をごっそり持っていかれてびっくりしたんだぜ?」
冗談めかしてレオンは笑うが、彼の言うとおりかもしれない。
先日は、レオンが使ったのが初級魔法だったこともあって、アースドラゴンと対峙したときのような魔力枯渇状態にはならなかったが、それでもすごい脱力感を感じた。
出力調整をできるようにならなければ、一回撃ち切りの捨て身の必殺技になってしまう。
「それにさ、ちょっと気になることもあって……」
灯りを出すための魔法陣の原型だろうとされている壁画に目をやりながら、イヴァンが少しだけ言い淀む。
「リーゼの御父上は魔法を使えるのか?」
「どうだろう? 聞いたことないからわかんないな。もしかして、魔法が使えるかどうかって血で決まるってこと?」
「いや、それは関係ない。魔法と血統が関係ないことは証明されているんだ。俺が気になってるのはもっと別のことで、リーゼに伝えるべきか迷ったんだけど……」
なおも逡巡するレオンの様子から察するに、それはきっとわたしにとってよくないことなのだろう。
でも大丈夫。わたしは、悪い情報こそできるだけ早く入手したくなる質だから。早ければ早いほど、対応や決断をするための時間を長くとれるからね。
「教えて、レオン。わたし、大丈夫だから」
わたしが笑顔を向けると、レオンがこちらに向き直って頷いた。
「過去から現在まで、王国が把握しているギフト持ちの数は約七十人。その中に、魔法が使えると記録されている者は一人もいないんだ」
「それじゃあ、もしかしたら、わたしは魔法は使えないってこと?」
「い、いや、そういうことを言っているわけじゃないんだ。あくまでこれまでの情報ではそうなっているってことであって、その情報も間違っている可能性もあるし、過去に例がないからってリーゼが魔法を使えないって決まっているわけでは――」
「ふふ、ごめんね。ちょっといじわるな聞き方しちゃったね。でも、ありがとう」
悲しげな顔を見せてしまったせいで、レオンが慌てふためいてしまった。
その様子は可愛いけど、ちょっと悪いことをしちゃったな。
「わたしは平気だよ。レオンが言ったとおり、他の人は他の人。諦める理由にはならないもんね」
とは言え、ぶっちゃけ魔法が使えるようになるかどうかなんて、今はもうどうでもいいのだ。
もともと魔法が使えるようになりたいと思った動機は、点数至上主義者であるわたしが魔法実技の試験で満点をとりたいと思っただけだし、今も魔法の練習を続けている理由は、レオンと一緒に過ごすための時間を作るためだったりする。
そりゃあ、せっかく魔法のある世界に転生したんだから、魔法を使ってみたいって気持ちもあるけど、どうやらわたしには『神の贈り物』とやらがあるらしいし、それでよしとしよう。と言うか、ギフトも広い意味では魔法の一種だと思うし、なんなら魔法の上位互換まである。
極上の美幼女に転生させてくれた上に、贈り物までくれるなんて、こちらの神様はずいぶんと気前がいいよね。
「あ、ギフトと言えば、お父様のことを聞いたってことは、もしかしてお父様もギフト持ちってことなの?」
「そう聞くってことは、やっぱり知らなかったんだな?」
「うん。お父様とはそういう話をしたことなかったから」
「そうか。俺がリーゼの力が何かわかったのは、父上に聞かされていたからなんだ。君の御父上の話をね。あの場ではリーゼの友人たちもいたし、あまり広めるような話でもないから、言い出せなかったけど」
そっか。お父様もギフト持ちだったんだね。
考えてみると、わたしはお父様のこと、イケメンで親バカだってこと以外何も知らないな。
「今度、御父上とゆっくり話をしてみるといい」
わたしの気持ちを察したのか、レオンがそう言ってくれた。
そんなレオンに微笑みを返したあと、わたしたちは連れ立って出口へと向かう。
レオンにはこの後公務がある。
子どもだとは言っても王族。学業だけではなく、公務や社交などなど、彼は多忙を極めるのだ。
レオンはそんな忙しい休日の合間を縫って、わたしのために付き合ってくれている。
「今日のデートももう終わりかあ」
「デ、デート!?」
ふとわたしが呟くと、レオンはあからさまな動揺を見せた。
「ちがうの?」
「こ、これはデートじゃなくてだな、魔法の習得のために必要な感性を養うためのものであって――」
ふふふ。慌てて言い訳をする姿がちょっと可愛い。
この前のデートのときもそうだった。レオンはわたしと二人のお出かけをデートだとは認めない。
その理由は、単にレオンが照れているだけってこともあるけど、実はわたしを思ってくれてのことだ。
この国では、女性であっても爵位を継承することができるし、市井では多くの女性が責任ある立場を得て活躍しているように、元の世界よりも女性の社会進出が進んでいる。
それでも古いしきたりを重んじる貴族社会では、時代遅れの因習が残っていたりもする。その一つが女性に対する純潔主義。貴族の女性には婚姻の契りを結ぶまで純潔であることが求められている。
そういう意味では、わたしは筋金入りの純潔だから大丈夫ではあるんだけど……って言ってて空しくなるな。まあ、そういうことがしたかったってわけでもないから別にいいんだけどね。
とにかく、そういうわけで、貴族の女性は当主が認めた相手以外とは交際をしないのだ。
ま、表向きはね。何だかんだ言っても、貴族の女性もこそこそデートを楽しんでいるし、それで何かお咎めがあるわけでもない。
わたしにとってもこれはデートだ。前世ではついぞすることのなかったデートを楽しんでいる。だから――
レオンにもこれはデートだって言わせたいな――ついそんな悪戯心に火が付いてしまった。
「じゃあ、魔法の練習は中止しちゃったから、もう誘ってくれないの?」
レオンの手をきゅっと握ったわたしが潤んだ瞳を向ければ、レオンの顔はもう真っ赤だ。
ふふふ。耐えられまい、少年よ。何せ、今生のわたしはものすごく可愛いからねえ。前世のわたしは絶対に否定するだろうけど、可愛いこそ正義なのだよ。
「あーあ、レオンとデートしたかったなあ……」
今度は俯いて少しだけ口を尖らせる。これで完璧。
固まってしまったレオンが口をぱくぱくさせているのが可愛いすぎる。
あ、やばい。この感じ、癖になりそう。でも、幼女から悪女にジョブチェンジしたらバッドエンドにまっしぐら。ここらが潮時かもね。
「なーんて、冗だ――」
しかし、笑って顔を上げようとしたわたしをとらえたのは、レオンの真剣な眼差しだった。
「わかった。デートをしよう。次は正式に申し込みをさせてもらう」
「う、うん。楽しみにしてるね?」
わたしの両手を握ったレオンのあまりの迫力に、わたしは思わず頷いた。
たぶんわたしは、今やほとんど形骸化している『貴族のしきたり』というものを甘くみていたのだと思う。
わたしのちょっとした悪戯心が、この後、家を巻き込んだちょっとした騒動につながってしまうのだが、このときのわたしにそれを知る由はなかった。
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