幼女の実力(5)
「あのう……リーゼロッテ様、一つよろしいでしょうか?」
イヴァンとの話が一段落したところで、これまでほとんど会話に加わっていなかったイレーネがおずおずと手を挙げた。
「いいけど……なんで敬語なの? 今までそんなことなかったのに」
「イヴァン様が麾下に入られるというお話でしたので……」
「もう! ちゃんと話聞いてた? わたしとイヴァンは友達になったんだよ。だからイレーネも友達。一緒にアースドラゴンと戦った仲でしょ?」
「わかりまし……わかったわ。私もリーゼって呼んでいいのかしら?」
戸惑いながらもそう言ったイレーネに、わたしは笑顔を見せて話の続きを促した。
「今日ここに私がついてきたのは、あなたに聞きたいことがあったからなの。ちょうど今話に出たアースドラゴンと戦ったときのことなんだけど、あのとき私が使った魔法、覚えてる?」
「もちろんだよ。初めてなのに、真空魔法なんていう高位魔法を完璧に成功させちゃうなんて、イレーネにはきっと魔法の才能があるんだね」
詠唱文を知っていることと魔法が使えることは、当然だけど全く違う。
わたしは高位魔法を含めて一通りの魔法の詠唱文は知っているけど、今のところ魔法は全く使えない。
それなのに、詠唱文を知らなかったイレーネは、それを教えられてすぐに成功させてしまったのだから大したものだ。ちょっと妬ましくさえある。
「そうじゃないのよ。私にあんな魔法が使えるわけないの。わたしはまだ風を操るので精一杯なんだから」
風魔法は、その名のとおり風を操る魔法だが、その応用範囲は広い。
真空魔法や飛翔魔法なんかも風魔法の範疇に入る。それは風魔法の本質が気体操作、より厳密に言うと、気体を構成する分子の操作にあるからだとわたしは考えている。
やりようによっては、分子の運動を変化させることで、直接的に温度を上げたり下げたりすることも可能だろう。
「風魔法の使い手の中でも、真空魔法を使えるのはほんの一握りよ。高位魔法を使うためには知識もセンスも必要だけど、もっとそれ以前に多くの人が直面する問題があるの。それが何かわかる?」
魔法が使えないわたしにはすぐにはわからなかったが、ナーシャが代わりにその答えをもたらしてくれた。
「魔力量、ですわね?」
「そう。わたしの持ってる魔力量では、真空魔法を使うなんて到底無理なの。完璧じゃなくてもいいって言ってたから挑戦はしたけど、あんなにきれいに発動するなんておかしいのよ」
「じゃあ、なんで使えたのかな?」
「それをあなたに聞きに来たのよ」
「で、でも、わたし、何も知らないよ?」
イレーネは疑うような目でわたしを見ていたが、やがてわたしを信じてくれたのか、小さく息を吐いてから、すっかり冷めてしまった紅茶に口を付けた。
その瞬間――
「あ……が……」
喘ぎながら喉を押さえたイレーネが、痙攣したかのように体を震えさせた。
「ちょっ! フローラ、まさか本当に毒を!?」
「い、いえ! そんなはずは!」
慌てるわたしと動揺するフローラ。
そんなわたしたちの横で、ナーシャがすまし顔で紅茶を口に含んだ。
「質の悪い冗談はそれぐらいにしたらどうかしら?」
「質の悪い冗談へのお返しよ」
先ほどの苦悶の表情から一転、イレーネは何もなかったかのような涼しい顔で再び紅茶を口に運んでいた。
「もう! びっくりするからやめてよ~」
涙目で抗議をするわたしの横では、フローラが「クソが!」と悪態をついていた。
でもまあ、先に仕掛けたのフローラだから、今回はこっちが悪いよね。わたしはただの巻き込まれだけど。
「さて、冗談はこれぐらいにして、あのとき私が感じたことを話すわ」
アースドラゴンを前にして真空魔法の詠唱を成功させたとき、イレーネが感じたのは万能感だったという。
どんな魔法でも失敗するはずがない――そんな感覚。そしてその感覚を実現させるように、あり得ないような力があふれてきた、否、流れ込んできた。
「その感覚も、その力も、あなたから、リーゼがわたしの背中に添えた手から流れ込んできたの」
驚きの余り皆一様に絶句した。もちろん一番驚いたのはわたしだ。
「ど、どういうこと?」
「それは私が聞きたいわ」
そう言われましても……わたしには全く心当たりがないんですよね……
いや、全くないわけでもないか。あのあとは、なぜだか、わたしまですごく疲れてしまっていた。それはもう立てなくなるほどに。
もしイレーネの言うとおりなのだとしたら、その影響だったのかもしれない。
「だったら、試してみてはどうだろうか?」
わたしが固まっていると、イヴァンが立ち上がってそう言った。
「イレーネの言うことが本当なら、再現してみればいいんじゃないか?」
「それもそうですわね。考えてもわからないことなら、やってみるのが一番かもしれませんわね」
確かにナーシャの言うとおりだ。考えてもわからないんだったら、まずはやってみよう。
前世の研究生活ではそれでうまくいったことも何度もあるんだし。
「じゃあ、このままみんなで魔法訓練場に行こうよ。ちょうどわたしも魔法の練習するつもりだったしさ」
と言うわけで、やって来ました魔法訓練場。
そこにはすでに、わたしの練習パートナーであるレオンが待っていた。
「ごめん。今日も遅れちゃって」
いつか『練習』の二文字がとれる日が来るのかな、なんて思いながら声をかけると、レオンはいつもの笑みでわたしを迎えてくれた。
「それは構わないけど、どうしたんだ? 今日は大所帯だな」
レオンがクラスメイトたちに目を向けると、その中からナーシャが一歩前へと歩み出て、綺麗なカーテシーを披露した。
「ご無沙汰しております、殿下」
「ああ、久しぶりだな、アナスタシア殿。変わりはないか?」
にこやかに挨拶を交わし合う二人。どうやら二人は顔見知りだったみたいだ。
そんな二人の様子を見たイヴァンとイレーネが驚愕の顔を浮かべた。
「ま、まさか、リーゼが言っていたレオンというのは、レオンハルト殿下のことなのか?」
「そうだけど?」
わたしがそう答えた途端、イヴァンとイレーネはその場に跪いて臣下の礼をとった。
そうか。つい忘れがちになっちゃうけど、レオンは王族で偉い人だったんだった。
「頭を上げてくれ。この学院では俺はただのレオンハルトだ。そのような礼は必要ないよ」
苦笑いを浮かべたレオンが二人に歩み寄る。
「リーゼの友達なんだろ? 俺のことはレオンと呼んでくれ。アナスタシア殿も」
「でしたらレオン様も、わたくしのことはナーシャと呼んでくださいませ」
「ああ、そうさせてもらうよ、ナーシャ」
うう……ちょっとだけモヤっとするぜ。ちょっとレオンが愛称呼びしただけなのに。
わたしなんかが一丁前に嫉妬して何様なんだ――って、いかんいかん。つい昔の癖で自虐に走るところだった。
わたしのそんなネガティブなオーラを感じ取ったのか、レオンは少しだけ意地悪な笑みを浮かべたあと、わたしの頭をぽんぽんとやった。
頭ぽんぽん! 全人類の憧れの頭ぽんぽん! 神話上の出来事とまで言われた頭ぽんぽん!
嗚呼、幸せすぎて何もかもどうでもよくなってきたわ……
わたしが蕩けるような表情を見せると、レオンはそんなわたしの顔を覗き込んで、満足そうに頷いた。
なんだか今日のレオンはいつもより距離が近い気がする……
「それで、今日はどうしたんだ?」
「あ、そうだった! 実はね――」
我に返ったわたしは、みんなで車座になって座り、かくかくしかじか、ここに至るまでの経緯を説明した。
「なるほど。似たような話を聞いたことがある」
「ほんとに!?」
「ああ。父上から聞いた話だ。たぶんそれは『神の贈り物』と呼ばれるものだ」
神の贈り物――
それは魔法とは違う先天性の能力のことで、ギフトを持つ者は魔法を使える者よりもさらにずっと少ないらしい。
「ギフトについてはほとんど何もわかってなくてな、秘匿情報というわけではないが、公にもされていないんだ」
そこまで話したレオンは、わたしの手を引いて立ち上がった。
「ちょっと試してみたい。いいか?」
わたしが頷くと、レオンは遠くにある的に向けて、指先から小さな火の玉を放った。火炎球と呼ばれる初歩的な火魔法だ。
放たれた火の玉は、魔法抵抗の魔法陣が刻印された的の中心に当たると、弾けるように消えた。
威力も然ることながら、素晴らしいコントロールだった。ギャラリーからも拍手が起こる。
「普通に放てばこの程度の威力だ」
そう言いながらレオンが手を伸ばしてくるので、わたしはその手を握り返す。
「リーゼの力はおそらく『増強』と呼ばれるものだ。俺が魔法を発動するときに、自分も発動するつもりで魔力を流してみてくれ」
「うん。やってみる」
わたしが頷くと、レオンがそれに頷きを返した。
「いくぞ」
わたしは意識を集中させる。
つないだ手を通して、レオンに力を伝えるようなイメージ。
正直、これまでのわたしには『魔力』というものがどういうものなのかわかっていなかった。それを感じたこともなかったから。
でも、このときは違った。わたしの中にあった白い光が、レオンへとどんどん流れ込んでいくのを実感した。
そして流れ込んだ光は、レオンの中にあった光と混ざり合い、レオンの指先へと収束していく。
レオンが驚愕の表情を浮かべている。
わたしの額には冷や汗が流れる。
レオンの指先で、アースドラゴンを飲み込んでしまえそうなほどの炎が荒れ狂っていたからだ。
でもここで発動をやめることはできない。中途半端に発動させた魔法は制御を失ってしまい、最悪、術者に跳ね返ってくることもあり得る。
「やむを得ん……」
レオンの指先から放たれた巨大な火炎球は、轟々と燃え盛りながら的を飲み込むと、魔法抵抗の刻印もろとも的を燃やし尽くしてしまった。
「まじか……」
唖然とするレオンとわたし。
わたしたちだけではない。ナーシャもイヴァンもイレーネも、呆然としたまま消し炭となった的を眺めていた。
ただ一人、フローラだけがぱちぱちと呑気に拍手を送ってくれていた。
「これで全ての魔法使いはお姉さまの魔法の発射台になり果てますね。これで勝つる」
何に勝つつもりなのかは知らないけど、たぶん逆だ。
わたしが全ての魔法使いに燃料扱いされることになるんだと思うよ?
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