幼女の初恋(1)
「やあ、リーゼ。ここにいたのか」
わたしがお母様のドレッサーで自分の顔をまじまじと見つめていると、一人の男が部屋へ入ってきた。
お母様の私室に無断で立ち入るその男の名は、エレウス=リシュテンガルド。お母様の伴侶にして、今生のわたしの父、そしてシーラン王国の西方一帯を治める辺境伯だ。
「君にはまだ化粧は必要ないよ?」
わたしの前世の二十九年と今生の六年の中で見た男の中でダントツのぶっちぎりで一位に輝くほどのイケメンは、わたしを抱き上げると、ふわりと頭を撫でた。
あわわわわわ!
顔、近い! イケメンが近い!
わたしは基本喪女なので、男に対する免疫がない。
自分で言ってて空しくなるけど、普通の男であれば半径二メートル、イケメンであれば半径五メートルに入られるだけでキョドる自信がある。
「どうした? 顔が赤いな。熱でもあるのか?」
イケメンがわたしの金色の前髪を掻き揚げて、額を合わせてくる。
も、もうだめ。もう死んでもいいわ……
わたしが潤んだ瞳を向けると、イケメンは「熱はないみたいだな」と呟いて、微笑みを返してくれた。
すき。
好きって言いたい。
前世のわたしが推しに向けて何度となくキーボードに打ち込んだその言葉。
そして、ただの一度も実際に口に出したことのないその言葉を言ってみたい。
いいよね?
わたし、この人の娘なんだもん。
よし、言おう!
「すき」
きゃー! 言っちゃった!
イケメンに『好き』って言ってやったわ!
内心でお祭り騒ぎをしていると、イケメンはわたしのことを強く抱きしめた。
「パパもリーゼのことが大好きだよ」
大好きだよ、大好きだよ、大好きだよ――その言葉が頭の中でリフレインする。
ああ、なんて甘美な響きなのかしら。
もっと言ってほしい。もっと強く抱きしめてほしい。
わたしはイケメンの首に腕を回し、その耳元で恥じらいながら呟いた。
「わたし、大きくなったらパパと結婚する」
幼い女の子が言いがちな台詞。あっさりと黒歴史と化してしまう一時の気の迷い。
しかし、わたしの場合は本気度が違う。
わたしはこのイケメンと本気で結婚したい。
血のつながりがあるって?
まあ、この体にはね。でも、メンタル的には大丈夫。全然イケる。
「あらあら、リーゼ。パパが大好きなのはわかるけど、パパはママのものなんだから、とらないでね?」
しかし、わたしと今生のわたしの父であるイケメンとの甘い時間は、遅れてやって来た麗しの貴婦人によって邪魔をされた。
可愛いと綺麗は両立するか。
清純と色気は両立するか。
その命題に対する答えがそこにあった。
国を滅ぼしかねないほどの絶世の美女、マーガレット=リシュテンガルド。わたしの今生の母だ。
かつて、わたしにとっては美人は敵だった。
そもそも彼女らは、わたしが持っていないものを生まれながらに持っている。
いわばスタードダッシュガチャの勝ち組だ。
そして、富める者がさらに富むのが社会の基本システムであるのと同様に、彼女らは生まれ持った武器でもって、わたしが欲しいと願ったものを、容易く、悪意なく、根絶やしにするまで奪い去っていった。
わたしは美人、美女、美少女の類いが大嫌いだった。
中学二年生のときには、A4ノート一冊を、彼女らに対する恨み、妬み、嫉みで埋め尽くしたこともある。
はあ……思い出すとなんか空しい。
でも、そんな嫉妬も思春期を過ぎるころにはきれいさっぱりなくなっていた。
そもそも、同じ舞台で戦おうとしていたこと自体が間違いだったことをようやく理解したからだ。
それに、わたしは気付いたのだ。
美人はブスよりも優しい。わたしよりもいくらかまともなブスは、いちいちわたしにマウントをとってきたが、美人はわざわざそんなことはしない。
ブスの敵はブスなのであり、美人は敵ではなかったのだ。
愛の中で満たされて育ってきた美人は、そうすることが当然であるかのように、簡単に周囲に愛を振りまくことができる。
わたしの今生の母も、まさにそのタイプだった。
「メグ、リーゼの顔が少し赤くてな。心配していたところだったんだ」
「大丈夫ですよ、あなた」
わたしたちのところまで歩み寄ってきたお母様は、華やかな笑みを見せたあと、わたしの頬をぷにぷにと押した。
「あなたが素敵だから、この子も照れただけですよ」
そう言ったお母様が、お父様の肩に手を当てて爪先立ちで背伸びをすると、お父様はそれに応えるように、お母様に啄むような口づけを返した。
キ、キ、キッス!
フィクションの中だけに存在する破廉恥な行為だと思っていたのに、まさか目の前で見せつけられることになるとは……
わたしだって、イケメンお父様とキスしたい!
そう歯噛みをするものの、こうしてまじまじと二人を見ていると、美男と美女の接吻というのはなかなか絵になるものだなと感心もしてしまう。
なにせ、わたしが知る限りダントツのイケメンと疑いようもない世界一の美女なのだ。
二人の接吻はもはや芸術品であり、娘のわたしからしても正直推せる。
そして、そんな二人の血がわたしには流れている。
わたしは、イチャコラしている辺境伯夫妻から目を離し、もう一度、鏡に映った自分の姿を見つめた。
眉と鼻、そして金色の髪色はお父様似。
目と口、そしてふんわりとした髪質はお母様似。
お人形よりも可愛らしく、天使よりも天使らしい究極の幼女がわたしを見つめ返してきた。
もはやこれはチート。
今生では何者にも負ける気がしない。
「やっぱり勝ち確ね」
イケメンお父様の胸に顔を埋めながら、わたしはひとりほくそ笑んだ。
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