幼女の実力(3)
まさかの男気を発揮したイヴァン。
胸熱展開だな――この逼迫した状況でついそんなことを思ってしまった。
普段はただ威張っているだけのように見えて、ここぞというときには仲間のために体を張れる。
やっぱりわたしはまだまだイヴァンのことを見くびっていたのかもしれない。彼に多くの取り巻きたちがいる理由がちょっとわかった気がした。
でも――
『ここは俺に任せてお前たちは先に行け!』
これって完全に死亡フラグなんだよね……
「ダメだよ」
自己犠牲の精神は尊いけれど、それじゃあ指揮官は失格だ。指揮官は最後まで前線に立って、指揮を執り続けないといけない。
でもだからと言って、他の誰かを犠牲すればいいと思っているわけでもない。
わたしは全員に無事でいてほしいのだ。
それは理想論だし、それによって全員を危険に晒す可能性だってある。
わたしの方こそ指揮官失格なのかもしれない。
でも、わたしは、ぬくぬくとした安全の中で平和ボケして生きてきたからこそ、みんなが無事で笑っていられる未来を追い求めたいのだ。
「だから逃げよう。みんなで」
「馬鹿な! それができないから僕が――」
「わたしに考えがあるの」
さっき他のクラスの子がこちらに向かって逃げてきたのを見たときに、わかったことが一つある。
アースドラゴンの足は思ったよりも速くない。少なくとも子どもがなんとか走って逃げきれる程度には。
でも、クラスの中には足が速い子もいれば遅い子もいるし、ただでさえ足元が悪い森の中で、躓いて転んだりすればそれでおしまいだ。
魔物の足の遅さだけに賭けて、逃げ切りを図るのは楽天的を通り越して無謀だとも言える。
だからあと一歩、全員で逃げ切るためには、あと一歩、何かが必要だ。
そこで思い出したのが、モンスタスキー著魔物図鑑のアースドラゴンに関する記述だ。
生息地――バーン地方の砂漠地帯。
バーン地方とは、王国南部に位置する伯爵領で、常夏のジャングルと灼熱の砂漠が大部分を占める地域だ。
そう。アースドラゴンは高温の気候を好む魔物なのだ。
そんな魔物がどうして本来の生息地ではない王都近郊にいるのか、という疑問は今は置いておくとして、わたしたちの活路はここにあった。
アースドラゴンは寒さに弱いはずだ。
それは本来の生息地と、アースドラゴンが分類学上、竜種ではなく爬虫類に分類されていることを合わせて考えれば容易に想像がつく。
そもそも、危険な捕食者とされるアースドラゴンが、走って逃げる子どもに追いつけないこと自体にもヒントはあった。
演習林は広がった樹冠のせいで薄暗く、五月末にしては肌寒いぐらいの気温だ。爬虫類の活動に適した温度を下回っているせいで動きが鈍っていると考えれば合点がいく。
もしこのあたりの気温を急激に下げることができれば、アースドラゴンを活動停止状態にすることができるかもしれない。
そうでなくとも、動きを今よりさらに鈍らせることができれば、全員で逃げ切れる可能性は大きく跳ねあがる。
では、気温を下げるにはどうすればいいか。
本来はそれが一番のハードルになるはずだが、それはこの世界の魔法が解決してくれる。
氷魔法で冷気をばらまくことができれば、それで解決だ。ただ、氷魔法は水魔法と風魔法の属性混合を要するとても高度な魔法のため、残念ながら花組の中には使える子はいない。
でも、だからと言って、諦めるのはまだ早い。
足りない分は、科学の知識で補ってやればいいのだ。
「ナーシャ、水魔法で水滴をたくさん出してほしいの。できるだけ小さく、できるだけたくさん、霧みたいに」
「わかりましたわ。何か考えがありますのね?」
アースドラゴンを見据えたままそう言ったナーシャの背中にわたしは頷いた。
真空気化冷却というものがある。
液体が気体に状態変化する際に周囲の熱を吸収する気化熱を利用した冷却方法で、液体を真空状態に置くことで一気に気化させ、急速な冷却を達成する技術だ。
気化させるべき水滴はナーシャが用意してくれた。
あとはここに真空状態を加えれば、一気に温度を低下させられる。
「イレーネ、あなた、風魔法が使えるんでしょ?」
「そ、そうだけど?」
声をかけられるとは思っていなかったイレーネが振り返った。
「ナーシャが作った水滴のあたりを真空状態にしてほしいの」
「無理よ、そんな高度な魔法……それに、私は真空魔法の詠唱を覚えていないもの……」
「詠唱文はわたしが教えるわ。効果も完璧じゃなくていいの、半分でも、その半分でもいい。ほんの一瞬だけもいいの」
ナーシャが発生させた霧の影響で、あたりはすでにひんやりしてきている。
あとは、ほんの少しだけ、ほんの一瞬だけでも減圧効果を加えられれば、それで十分だ。
「わ、わかったわ……やってみるけど、期待はしないでちょうだい」
目を瞑ったイレーネが、わたしが教えた詠唱文をぶつぶつと唱え始める。
でも、緊張のためか、すぐにとちってしまい、なかなか上手くいかない。
恐ろしい魔物を目の前にして、初めての高位魔法を唱えさせられている。それも小学一年の女の子が。緊張するのは仕方がない。
「大丈夫。できるよ」
わたしはイレーネの背中にそっと手を当てた。
その瞬間――
周囲の温度が急激に下がり、真冬のような凍てつく風が吹き始めた。
地面には霜が降り、木の葉はぱきぱきと音を立てて凍り始めている。
やった! 上手くいった!
でも、喜ぶのはまだ早い。ここから逃げ果せて初めて成功だ。
「イヴァン、号令をお願い」
「全員退避! 一団となったまま僕に続け!」
剣を掲げたイヴァンが戦闘を走り、クラスメイトたちがそれに続いていく。
よし、わたしたちも――そう思ったところで、イレーネがその場にへたり込んでいることに気が付いた。
「ま、魔力が、切れて……」
こんな小さな女の子が高位魔法を完璧に行使してみせたのだ。魔力切れになるのも仕方がない。
わたしは肩を貸そうと、イレーネの横にしゃがんだのだが――
ぐにゃり。
急に視界が歪み、倒れ込みそうになる。
あれ? なんでわたしまで……さすがにこれは想定外だわ。
思いがけず動けなくなってしまったわたし。そして、悪いことというのは、得てして重なるようにやって来るものだ。
逃げ出したクラスメイトを見たアースドランゴンがわたしたちを獲物だと認識したのだ。
気温の低下のおかげで、アースドラゴンの動きはのろのろと遅い。しかし、こちらが動けない以上、どんなに遅くともやがて捕らえられるのは必然だ。
「リーゼ!」
わたしたちが追ってきていないことに気付いたナーシャとフレッドが叫び、引き返してくる。
だけどわたしは、そんな彼女たちに手の平を向けて、それを制した。
アースドラゴンはもはや動くことすら億劫といった感じだが、それでも捕食本能に突き動かされるままに、剥き出しの牙をわたしたちへと向けていた。
イレーネは頭を抱えて、震えながら蹲っている。
でも大丈夫だよ。
ちゃんと最後の保険を準備しているから。
学院の課題でやるのはちょっと反則かもしれないけど、緊急事態だから仕方がないよね?
「メイ、いるんでしょ?」
「はい。おそばに」
おはようからおやすみまで、そして、おやすみからおはようまで、いつもわたしのことを見守っている専属メイドが、どこからともなく現れる。
そして次の瞬間には、わたしたちは、遠巻きに心配しながら見ていたクラスメイトの中に転移していた。
突然姿を現したわたしたちに、クラスメイトは一瞬だけ驚いて、それからすぐに大歓声を上げた。
アースドラゴンはわたしたちがいなくなったことに気づくと、諦めたかのようにその場に座り込んで眠りについていた。
「ふう……助かった」
「もう! 心配したんですのよ!」
安堵のため息をついたわたしの胸に、ナーシャが飛び込んできた。
「はは……ごめんね」
「姫、お疲れでしょう? 椅子ですぞ!」
ナーシャの頭を撫でるわたしの横ではデイヴがいつものように四つん這いになっていて、その向こうでは「お嬢に牙を剥くとはけしからんのです。ちょっと殴ってきます」と腕をまくるフローラをフレッドが必死で抑えている。
「あはは」
そんな友達の姿を見て、わたしは思わず吹き出した。
心配もかけたし、ちょっと賭けな部分もあったけど、とにかくみんなが無事で本当によかった。
わたしは心からそう思ったのだった。
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