幼女の実力(2)
演習林の道なき道を行く。
まだ日は高いというのに、演習林は足を踏み入れるごとに薄暗さを増し、それに比例するようにわたしたちの不安も増していく。
花組の一団の先頭はイヴァン。その隣に並んでいるのはハーバー子爵家の令嬢であるイレーネだ。彼女はわたしたちのクラスにいる三人の魔法使いのうちの一人で、風魔法を得意としているらしい。
剣に心得があるイヴァンと風魔法使いのイレーネが前方を警戒し、その後方では、魔法や剣を使えない子や女の子を中心に置いて、周囲を剣を使える子たちが取り囲む。そして、殿をナーシャとフレッドが守るような隊列となっている。
わたしは、魔法も剣も扱えないけど、最後尾を行くナーシャの隣を歩いていた。
「どうしてこんな演習やるんだろうね?」
「西の帝国との関係がきな臭くなってきてるからじゃないかしら?」
「そうだろうね。ここ数年のクラスマッチでは、今回みたいな軍事演習じみた課題が多くなっているみたいだよ」
わたしの問いにナーシャが答え、フレッドがそれに補足をする。
「じゃあ、わたしたちもこんなふうに出陣する可能性があるってこと?」
「いや、攻めに出るというよりも、逃げるための演習、避難訓練みたいなものじゃないかな」
「なるほどー」
現代日本で生きてきたわたしにとって、戦争とは遠い昔の、あるいは、遠い場所での出来事だった。
でも、この世界は違う。戦争は身近で、敵国は西方辺境領のすぐお隣にあるのだ。
もし戦争が起これば、今の楽しい生活も、リシュテンガルド領の美しい街並みも、お父様とお母様の笑顔も、全部なくなってしまうのかもしれない。
そんなことを考えると、胃をぎゅっと握られたような痛みを感じる。
「この学院で一番戦争が身近なのはリーゼだものね」
わたしを気遣ったナーシャが、わたしの手をきゅっと握ってくれた。
そう言うナーシャも、実家であるノト侯爵領に魔物の繁殖地と呼ばれるツクフ大森林があるのだから、魔物の、特に魔物の氾濫の問題を抱えている。
容姿に恵まれないけど、戦争も魔物の脅威もない国に生まれるか、超絶美幼女だけど戦争と魔物の脅威がある国に生まれるか。
もしもう一度生まれ変われるとしたら、わたしはどちらを選ぶだろうか。
たぶん美幼女への転生は諦めるかもね。わたしは容姿に恵まれない喪女として生きてきたけど、最終的には何の不自由もなかったわけだし。そういう意味では、日本に生まれた時点でわたしの勝ちは確定していたのかもしれない。
でも、ここに転生したからには、戦争からも魔物からも目を背けることは許されない。いずれお父様から爵位を継いだときには、わたしが解決しなければならない問題になる。
まったく、可愛いだけではやってられないぜ……
そんな感じで、小学生らしからぬ世界情勢の話をしながら歩いていると、突然行軍の足が止まった。
「どうしたのかな……?」
先頭を歩いていたイヴァンが開いた右手を挙げて、周囲の様子を警戒していた。
「リーゼは中心に移動してちょうだい」
ナーシャも何かを感じ取ったのか、静かにそう言った。フレッドも剣の柄に手をやっている。
言われたとおりに隊の中心に移動したわたしは、緊張を顔に浮かべた他の子たちと身を寄せ合って縮こまった。
「きゃあー!」
遠くの方から子どもの叫び声が聞こえてきた。たぶんよそのクラスの子だ。
その叫び声はだんだんとわたしたちの方へと近づいてくる――大きな足音を引き連れて。
「魔物だ! 防御陣形をとれ!」
イヴァンが号令をかけるのと、魔物が姿を現したのはほぼ同時だった。
体高三メートルを超える二足歩行のトカゲが、血走った目でわたしたちを睥睨していた。
その魔物は、暴君として白亜紀後期の地球を支配した恐竜ティラノサウルスと言えばわかりやすいかもしれない。
わたしの愛読書であるモンスタスキー著魔物図鑑によれば、その名はアースドラゴン。レア度星四つで危険度星五つ。遭遇しても絶対に戦闘を回避すべき危険な魔物だ。
彼我の距離は二十メートルほど。
アースドラゴンは、一団となったわたしたちを警戒するかのように、じっとりとした目でわたしたちのことを観察している。
「うわあ!」
そのプレッシャーに耐えられなくなったのか、防御陣形に守られた生徒の一人が、悲鳴を上げて逃げ出そうとした。
「ダメ!」
そう叫んで伸ばしたわたしの手は届かない。
「姫がダメだと言ったら、ダメなのですぞ!」
しかし、デイヴ意外にも機敏な動きを見せ、その前に立ちはだかった。
まん丸としたデイヴにぶつかったその子は、バウンドしながら元の場所まで戻って来た。
グッジョブだ、デイヴ!
心の中でデイヴに賞賛を送りながら、わたしはほっと胸を撫で下ろす。
ここで絶対避けたいのはパニックに陥ること。一人が逃げ出したら収集がつかなくなってしまう。
「慌てちゃダメ。みんな、聞いて」
わたしはアースドラゴンに怯えるみんなに向けて言った。
「戦えないわたしたちがパニックになったらダメ。前に立ってくれている子たちの邪魔になっちゃう。恐いのはわかるけど、落ち着いて」
そう言ったわたしももちろん恐怖で震えていた。たぶん顔も引き攣っていたと思う。
それでも、わたしの前には、わたしたちを守るために立ちはだかってくれているクラスメイトがいる。
本当は一番年上のわたしが子どもたちを守らなくちゃいけないのに、守られているだけのわたしが恐がっているわけにはいかない。
「大丈夫。みんなで切り抜けよう」
根拠はないけど、わたしは笑顔で大丈夫だと言い切った。
想いや言葉が魔法になるのなら、これも魔法だ。
絶対に大丈夫――まずはそう信じるところから始めないといけない。
「すまん。助かった」
アースドラゴンに警戒を向けたままイヴァンが礼を言った。
恐慌状態に陥るのを一番避けたいと思っていたのは指揮官であるイヴァンだったはずだ。
「ううん、わたしはわたしにできることをやっただけ。そんなことより、この状況どうしよう?」
「絶対に交戦は避けないといけない。戦っても僕たちに勝てる相手じゃないからな。今はまだヤツもこちらを警戒してはいるが、それもいつまでもつかわからん……」
ではどうするか。
そのことについてもイヴァンには考えがあるようだった。
「囮をだそう。アースドラゴンを引き付けてここから引き離すんだ」
「で、でも、囮なんて……」
イヴァンの言っていることはたぶん正しい。
今はまだ、アースドラゴンは集団として一塊になっているわたしたちから距離を置いて警戒をしている。
でも、それもいつまでもつかわからない。諦めて去ってくれるのが一番いいが、それもおそらく見込み薄だ。
もしアースドラゴンがその気になって襲ってきたら、わたしたちは全滅を免れないだろう。
しかし、ここで囮を出して、アースドラゴンの注意をそちらに向けることができれば、大多数のクラスメイトは危機を脱することができる。
幸いにも、この試験の達成条件は、クラスメイトの八割がゴールにたどり着くこと。
安全と課題の達成条件、その両方を考えれば、指揮官として当然採るべき策だと言える。
でも、この案には重大な欠陥がある。
いや、欠陥なんて大袈裟に言わなくても、誰にでもわかる問題だ。
囮の安全が保証できない――もっと端的に言えば、クラスの誰かを捨て駒にするということだ。
多くの人を救うために、誰かに犠牲を強いる。
それは、上に立つ者が決断しないといけないことなのかもしれないけれど……
「囮はアースドラゴンから逃げ切るだけの実力を持っていないといけない。だから囮には――僕がなろう」
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