幼女の巣立ち(4)
「まあ、リーゼ! 大きくなったわね!」
王都にあるリシュテンガルド辺境伯家の別邸。
そこに着くなり、その家の女主人がわたしに飛びついてきた。
「お、叔母様、わたし旅をしてきたばかりだから、くっつくと叔母様のドレスが汚れてしまいます」
「何をそんなこと気にしてるのよ。久しぶりのリーゼなんだからたっぷり吸いたいわ。んーちゅ!」
わたしのほっぺにちゅっちゅを繰り返すその人は、お父様の妹、ヴァイオレット=リシュテンガルド。
お父様とよく似ていて、整った目鼻立ちのつよつよの顔面を持つ、わたしが思う異世界三大美女の一人だ。
お母様がクレオパトラなら、叔母様は楊貴妃。要は全然違うタイプの美人って話。
ちなみに三大美女の最後の一人は保留中。わたしが大人になった暁にはその座に収まりたいと思っている。
「お兄様もおかえりなさい」
「相変わらずだね、ヴィオラも。元気そうでなによりだよ」
わたしを抱き上げた叔母様がいかにもついでといった感じで、お父様に挨拶をすると、お父様は苦笑いを浮かべた。
「しばらく厄介になるよ」
「もともとここはお兄様のお家ですもの。お好きになさって結構よ。さ、リーゼは私と一緒にお風呂に入りましょうね」
お父様を冷たくあしらった叔母様は、わたしを連れて屋敷の奥へと向かっていく。
叔母様の腕の中から振り返ると、お父様はどこか困ったように笑っていた。
⚫︎
「領地からここまで大変だったでしょ?」
天然大理石を切り出した広い浴槽で体をゆったりと伸ばしながら叔母様が言った。
わたしも叔母様に倣って体を伸ばしながら答える。
「初めての旅だったからちょっと大変だったけど、叔母様に会ったら疲れなんて吹き飛んじゃった」
「まあ、この子ったら! 嬉しいこと言ってくれちゃって!」
叔母様が感極まった様子でわたしに抱きついてくる。
たわわに実った二つの果実がわたしのほっぺをぷにゅりと包む。
ぐへへ。計算どおり。
絶世の美女とこうして合法的にお風呂でスキンシップをとれるのも幼女だからこその特権なのだ。
叔母様とは言っても、彼女はまだ二十二歳。
この世界の貴族の女性としては行き遅れと呼ばれる歳であっても、肌はピチピチのツルツルだ。
わたしが二十二歳のときなんて、卒業研究のために毎日朝から晩まで研究室に入り浸りで、肌もボロボロ、髪もボサボサって――思い出すのはやめよう。ちょっと死にたくなる。
「ところで叔母様?」
「何かしら、リーゼ?」
「お父様とケンカしてるの?」
今日のお父様に対する叔母様の態度はいやに冷たい感じがした。
二年ほど前に叔母様が西方辺境領のお屋敷に来たとき、まだわたしがはっきりと自我を取り戻す前の記憶では、もっと仲が良かったように思うのだけれど。
「ごめんなさい、リーゼ。心配かけちゃったわね」
叔母様は深く溜め息をついたあと、可愛らしい笑みをわたしに向けた。
「ケンカしてるわけじゃないの。わたしはあなたのお父様のことは大好きよ。ただ……」
「ただ?」
「ちょっとだけ意見のすれ違いがあるだけ。でもそれは領地経営のことだから、あなたは心配しなくてもいいわ」
そうは言っても、叔母様は王都のお屋敷の管理を任されているだけで、実際の領地経営には全く関わっていないはずだ。
それなのに領地経営での意見のすれ違いって、一体どういうことなんだろう?
考え込んでしまったわたしを見て、叔母様はくすりと笑った。
「リーゼがもう少し大きくなって、女同士の話ができるようになったら話してあげようかな?」
「わたしはもうちゃんとレディだよ?」
女を捨てていた期間が三十年弱ほどありましたが、今のわたしはちゃんとレディとして生きているつもりです。
「あら、そうだったわね、ごめんなさい。リーゼももう初等部に入学するのだもの。立派な淑女ね」
膨らませたわたしの頬にそっとキスをして、叔母様は立ち上がった。
「さ、そろそろ上がりましょう。このあと、お食事も用意しているの。リーゼもお腹空いたでしょ?」
この話はもう終わり。
叔母様は言外にそう言って浴室を出て行った。
お風呂を終えたわたしを待っていたのは、とても美味しそうな料理の数々だった。
ここ王都は西方辺境領と気候や風土が違うためか、普段は目にしないような珍しい食材を使用した料理もたくさんある。
じゅるり。
思わず溢れそうになる涎をこっそりと拭う。
しかしそれは、叔母様にしっかりと見られていたようだ。
叔母様にくすりと笑われ、わたしは赤面してしまった。
自分のことをレディだと言っておきながらこのていたらくではまだまだね。
「やあ、リーゼ。旅の疲れは落とせたかい?」
「お父様!」
広間に入ってきたお父様は、別棟のお風呂で湯浴みを済ませてきたようで、わたしが駆け寄るとふわりと石鹸のいい匂いがした。
まだ乾き切っていない少し濡れた髪が色っぽい。
お父様の後ろにはシーツ爺とメイ。
ふとテーブルに目を移すと、そこには五組のカトラリーがセッティングされていた。
という事は――
「二人も一緒にご飯食べるの?」
わたしが笑顔を浮かべると、シーツ爺は少し申し訳なさそうに笑った。
通常、使用人が主人と一緒に食卓を囲むことはない。
旅の道中ではそうも言っていられないこともあって、一緒に食事をすることもあったため、今回の旅の締めくくりとして、二人を労う意味も込めて、お父様が取り計らってくれたのかもしれない。
ちなみに、メイは特に気にした様子もなく普通に笑っていた。
まあ、そういうところがメイのいいところでもあるんだけど。
「では、皆の無事の到着とリーゼの初等部入学を祝して乾杯をしましょう」
全員が席についたところで、叔母様がグラスを掲げた。
本来はこういった挨拶は当主であるお父様がするところなんだけど、ここは叔母様が管理しているお屋敷だし、今回はわたしたちはゲストなので、自然と叔母様が乾杯の音頭をとることになった。
みんなで乾杯をしたあとは、楽しい食事の時間のはじまり。
見た目だけでなく、味わいも珍しい王都の料理はとても美味しかったし、大人たちはみんな陽気にお酒を飲んでいて、とても楽しそうだった。
この国の成人は十五歳からなので、わたしがお酒を飲めるようになるのは当分先だけど、こんなふうに楽しくお酒が飲めるなら、早く大人になりたいなと思う。
これまで酒と言えば、疲れと寂しさを誤魔化すためだけの道具みたいなものだったので。
食事中、お父様と叔母様が気になって、ときどきちらちらと二人の様子を見ていたけど、そんなわたしの心配をよそに、お父様と叔母様は和やかに談笑していた。
それを見たわたしはほっと胸を撫で下ろす。
みんな仲良くっていうのが実現不可能な理想論だということはわかってはいるけれど、せめて身近な人たちぐらいは仲良くしていてほしいと思うのは我儘ではないはずだ。
ギスギスした雰囲気の中にいるのは嫌ですからね。
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