私は悪役令嬢になりたいのですわ!
「私は悪役令嬢になりたいのですわ!」
斯くして私は宣言した。
言葉にしてみると、意外とすっきりしたもので、寧ろなぜこれを早く言わなかったのか不思議で仕方ない。
私の前に立つ彼――婚約者である第一王子、レナード・フォン・アルヴェールは、一瞬だけ驚いた顔を見せた後、眉を持ち上げてから眉間にシワを寄せる。
ああ、その表情。やっぱり素敵。
「悪役令嬢……か?」
深みのある、静かで落ち着いた低い声。まるで私の言葉を、魔法の呪文か何かのように噛みしめる口調。
さすがは次期国王たる風格。まさに正義の象徴と言うべき存在。
でも、だからこそ言いたい。私は――
「そうですわ。悪役令嬢です。華麗に嫉妬し、醜悪な言葉を吐き、目眩く陰謀を巡らせ、善良な貴族子女たちを泣かせる悪役令嬢。それこそが私の夢なのです!」
真剣そのものの瞳を彼に向ける。演技でも冗談でもなく、これは私の正直な気持ちだ。
けれど彼は、しばしの沈黙の後、口を開いた。
「……悪、とは何だ?」
心臓に刃物を突き立てられたような衝撃が走る。
“悪とは何か”――なんて、哲学のような問いかけだ。
でも、すぐに答えが浮かんだ。
私は悪役令嬢志望の端くれ、真剣さなら誰にも負けない。
「食い逃げです!」
「食い逃げ……?」
「はい! 魅惑のパティスリーでたらふくケーキを食べて、お金を払わず逃げることです!」
少し誇らしげに答えた私を見て、王子は呆れたような、けれど微妙に笑いを堪えている顔をした。
私は畳みかける。
「それから夜更かし! 明日大事なお茶会があっても、つい物語を読んで夜更かしをするのです!」
「ふむ……それも悪、か……?」
「そうですとも! 家の規則を守らないなんて悪役令嬢らしい振る舞いそのものですわ!」
さらに一呼吸置いて、私は指を一本立てて勝ち誇ったように言った。
「そして――歴史の授業で居眠りです!」
「……っ」
ついに、王子の口元が明確に緩んだ。
あの威厳のある冷たい表情が崩れ、かすかに肩まで揺れる。
「クク……ああ、それは確かに悪だな……悪というよりは、ただの怠惰にも見えるが……面白いな、アメリア」
笑った。彼が笑った。
この国一番の冷酷な王子と噂される彼が、この私の前で――笑った。
「ふふっ……でも、私は本気ですのよ?」
私の言葉を受けて、王子は一層楽しそうに微笑む。
「分かった。ならば、俺も覚悟しよう。アメリア、お前が悪役令嬢になるなら、俺はその“悪”の道連れになろう」
「……え?」
「たとえば、一緒にパティスリーでケーキを食べ尽くす。共に夜更かしして物語を読み明かす。そして、居眠りするお前を起こす教師を倒すのは……この俺の役目だな」
まさか、そんな返事が返ってくるとは思わなかった。
なんだか……夢が少し、甘い方向に傾きすぎている気がする。
でも――まぁ、悪役令嬢だって夢に浸るくらいは許されるだろう。
「それなら、あなたは悪役王子ですわね!」
「そうか……悪役王子、か。悪くない響きだな」
王子は笑顔のまま頷き、私は心の中でひそかに呟く。
――これって、悪役令嬢としては、少し失敗したかもしれない。
けれど――。
「ねぇ、レナード様……どのパティスリーに行きましょうか?」
「クク……お前、悪役令嬢より甘党令嬢になりつつあるな」
「……もう!甘党令嬢なんて、そんな恐ろしい称号聞いたことありませんわ!」
スイーツと夜更かしと歴史の授業での居眠り――そう、これは私たちの悪役としての輝かしい第一歩なのだ。
◆◆◆
「ご覧くださいませ、レナード様! この甘さの覇権を象徴するかのような店構えを!」
学園での授業が終わった後、私は王子を街のパティスリーに連れ出し、扉の前で堂々と宣言した。
木製の看板に描かれたケーキのイラスト、そこから漂う香ばしい甘い匂い。まさに「甘味の殿堂」に恥じない雰囲気。
一方、隣に立つ第一王子――レナード・フォン・アルヴェールは、至極冷静だ。
「覇権かどうかはともかく、確かに良い匂いだな。だが、アメリア。お前のその堂々とした態度は悪役令嬢というより、“ただの甘党”にしか見えないぞ」
「何を仰いますの! 甘党と悪役令嬢は同義語ですわ!」
私の反論を聞いた王子は、軽く首を振りながら店の扉を押し開けた。
中から溢れ出す甘い香りに、思わずため息が漏れる。
「素晴らしいですわ。この香りだけで三日は幸せに過ごせます!」
「そうか。だがアメリア、今は香りよりも前を見たほうがいいぞ」
「前、ですの?」
彼の指差す先を見て、私はその光景に釘付けになった。
そこには、小さな子供が一人立っていた。
片手には道で摘んできたような花を数本握り、もう片方の手には数枚の小銭。ショーケースの中の輝くケーキをじっと見つめているが、買う勇気がないのか、立ち尽くしている。
「……なるほど。これは見逃せませんわね!」
私は即座に判断した。
――これは、悪役令嬢として私が動くべき場面だ、と。
「坊や!」
勢いよく子供に声をかけると、彼は驚いた顔でこちらを見上げた。
「……え?」
「迷う必要はありませんわ! あなたが欲しいケーキを今すぐ選びなさい!」
「で、でも……僕、お金が足りなくて……」
「ふふっ、何を言いますの? お金など、悪役令嬢の前では些細な問題ですわ!」
私はそう言うと、ショーケースにずらりと並ぶケーキの中から、子供が見ていた一番大きくて立派な苺のケーキを指差す。
「これですわ、これ! このケーキをお包みなさい!――代金は悪役令嬢の私が払いますわ!」
店員が戸惑ったようにこちらを見るが、私の毅然とした態度に逆らえるはずもなく、素早くケーキを箱に詰め始める。
少年の目が丸くなる。王子も目を見開いていた。
「アメリア、これは……悪役の行動なのか?」
後ろから彼の低い声が聞こえたが、私は振り返ることなく答えた。
「当然ですわ! 悪役令嬢とは、ただ恐怖を与える存在ではありません。庶民に気まぐれな“恩恵”を与え、その圧倒的な力を見せつける――これこそが“悪の美学”です!」
「クク……確かにそれは、庶民からすれば異質な“悪”だな」
私はケーキの代金を払い、子供に差し出す。彼は信じられないというような目でこちらを見つめていた。
「……これ、僕がもらっていいの?」
「もちろんですわ!気にすることはありません。ただし、代わりに――次に誰かが困っていたら、君がその人を助けるのですわよ? それが“悪の連鎖”です!」
子供はきょとんとした表情を浮かべたが、やがて笑顔になり、頭を深く下げた。
「ありがとう、お姉ちゃん! 僕、必ず誰かを助けるよ!」
その笑顔を見送ると、私は優雅に王子の方へ振り返った。
「どうです、ご覧になりまして? これが私の悪役令嬢としての姿ですわ!」
彼はしばらく無言だったが、やがて小さく笑い出した。
「クク……確かに、お前の美学は他の誰とも違う。だが、それが悪役かどうかはともかく――悪くない行動だったな」
「ふふっ、それを認めてくださるなんて光栄ですわ!」
「ただし、次からは俺にも相談しろ。お前が“悪役令嬢”を名乗る限り、俺も共犯者としてついていくのだからな」
――ずるい。そんな風に言われたら、胸の中が甘く蕩けてしまいますわ。
だが、私はその気持ちを隠し、誇らしげに胸を張った。
「では次の作戦に参りましょう! 悪役の未来は私たちの手にかかっていますわ!」
「…ははっ、分かった。ならば付き合おう――“悪役”としてな」
――その言葉を背に、私たちは今日も悪役(?)令嬢と王子の道を進むのだ。
◆◆◆
「アメリア、前から言おうと思っていたが、お前の“悪役令嬢”像はかなり特殊だと思うぞ。普通、悪役令嬢といえば、婚約破棄や陰謀、虐めくらいは想像するものだ」
二人きりの勉強会での突然の指摘に、私は手を止める。
――婚約破棄、陰謀、虐め。
確かに、世間一般で言われる“悪役令嬢”の代名詞とも言える行動。
しかし、そんなものが果たして本当に“悪”と言えるのか?
「レナード様。それは私には無理そうですわ」
私は微笑んで彼の顔を見上げた。
「よく考えたら、陰謀や策略などに頭を使うなんて私には向いていませんし……食い逃げや虐めなんて、貴族令嬢のすることではありませんわ」
「……なるほどな」
王子は軽く頷き、腕を組んで私をじっと見つめる。
その瞳の奥には、まるで私の本音を探ろうとするような、優しくも鋭い光が宿っている。
――やはりこの人は恐ろしい。どんな時でも、私の心を見透かしてしまうのだから。
「……それに、そもそも――私はあなたと別れるつもりなんてありませんわ」
言葉にして初めて、自分でも少し驚いた。
だってこれは、正直すぎる本音だ。
「婚約破棄なんて冗談じゃありませんわ。私はあなたと一緒に“悪役令嬢”として生きたいだけですもの!」
そう言い切ると、彼は一瞬驚いたように目を見開き、次の瞬間、口元を緩めてふっと笑った。
「そうか……アメリア。それなら俺もお前と同じだ」
「――え?」
思わぬ言葉に、胸がドキリと跳ねる。
「俺も、お前と別れるつもりはない。むしろ、お前と一緒にいなければ、こんなに面白い人生は送れないからな」
「お、面白い……?」
「そうだ。婚約破棄だの陰謀だの、そんなくだらないことに興味はない。だが――お前と一緒に“悪役の道”を進むなら、どんな未来でも楽しめる気がする」
――ずるい。本当にずるい。
そんな言い方をされたら、私の胸の中の甘さが溢れてしまう。
「ふふっ……そうですの。レナード様、あなたもなかなかの悪役ですわね!」
「クク…俺が悪役かどうかは分からないが――アメリア、お前といるとそう名乗るのも悪くない気がしてきた」
彼の言葉に、私は笑いを堪えられなかった。
ああ、やっぱりこの人は最高の“共犯者”だ。
「では、決まりですわね。私たちはこれから――“悪の運命共同体”ですわ!」
「ああ、その通りだ。悪の美学に満ち溢れた王国でも、スイーツの誘惑でも――お前の計画には全て付き合ってやる」
彼の笑顔とともに交わしたその言葉は、まるで契約のような重みを持って胸に響いた。
――そう、私たちは共犯者だ。
悪役令嬢と悪役王子。甘さと悪意を抱きながら、共に未来へ進む仲間。
そして、この瞬間が、私たちの物語の新たな幕開けなのだ。
「では、次はどんな“悪”をしましょうか?」
「そうだな。まずは“庶民の甘さ”を調査するため、あの店でパフェを頼むか」
「いいですわね。甘さこそが、私たちの武器ですもの!」
二人で笑い合いながら歩き出す。
甘く、少しだけ悪戯めいた未来が、私たちを待っている。
――悪役令嬢の道が、こんなに楽しいものだったなんて知らなかったわ。