第3話 聖女と観光
しばらく街を歩いているとスバルが声を上げる。
「なあ、街を見るのもいいけどさ、どこか飯を食べられる場所は無いの?」
それまで物珍しそうに辺りを見回すネイロに逐一説明していたメノウが振り向く。
「ごめん。忘れてた。何が食べたい?」
「実はさー、昨日からロクなものを食べてないんだよな。ここの名物とかあるの?」
「カクレアを包む湖に流れ込む川から魚が入ってくるから、新鮮な魚……」
「魚か、いいなあ」
「いえ。新鮮な魚を食べて育った肉食爬虫類のガブタロウが名物かな」
「何その生き物、怖い。もっと普通の料理は無いのか」
「普通の料理だってあるよ。わたしが知っているお店を紹介してあげる」
「わー、楽しみー!」
手を叩いて喜ぶネイロを見やるメノウの口元が僅かに綻ぶ。ネイロだけでなく、メノウも同年代の少女に対して親近感があるらしい。
「だが、金が無いだろう」
ジダイの指摘を受け、ネイロとスバルがその身を硬直させる。
そもそもネイロたちは金銭の稼ぎ方を知らないため、いつも金欠状態だったようだ。二人がこれまで食いつないでこられたのは、善意や魔族を倒したお礼だったという。
「お金はいいの。わたしが一緒なら、タダだから」
「よっしゃ!」
「ここから近いから行きましょ」
背を見せるメノウに三人が続く。
横道に入って間もなく着いたのは、小ぢんまりとした飲食店だった。店内に入ると板張りの床に四つの円卓が配置された手狭な作りで、奥に調理場があった。
「あらー、メノウ様ですか」
調理場から出てきたのは、店主らしい六十代くらいの女性だった。白い前掛けを着用した銀髪の老婦人で、柔和な笑顔でメノウを出迎える。
「今日はお友達を連れているんですね。どうぞー」
他に客はおらずメノウは窓に近い壁際の席に腰を下ろす。ジダイたちも席に着いたとき、店主がお水と品書き(メニュー)を運んできた。
「メノウちゃんは何を頼むの?」
「わたしはいつも日替わり定食で済ますから」
「じゃあ、ネイロも同じのをー」
「よし、このガッツリ定食がいいな」
「俺は旬の魚定食で」
頷いた店主が調理場へと消えていく。
「でも、いいのかな。無料なんて」
「気にしないで。わたしのおかげでカクレアは平和なんだから、幾らでも融通が効くの」
「まあ、この街の活気を目にすれば分からんでもないな」
ジダイが窓外の様子を眺めつつ呟く。それから子どもたちの談笑の時間が流れ、料理が運ばれてきた。いい匂いにつられてメノウを除く三人が目を向ける。
店主が卓上に並べた皿が彩色豊かな浮島となって四人の視野に映った。空腹の三人は早速肉叉を手にして食べ始める。
「おいしー! このお肉も柔らかい!」
「うん! こっちの肉も美味いぞ」
日替わり定食は野菜と肉の牛乳煮込みと野菜の盛り合わせ、トル麦のパン。ガッツリ定食はステーキとパンにスープがついている。
「おばちゃん、この肉美味いっすね!」
「ええ。当店自慢のガブタロウの舌のステーキです」
「ガブタロウじゃねえか!」
スバルは怒鳴ったが手を止めることは無い。その隣でネイロが肉叉に刺した肉を掲げる。
「あの、このお肉は?」
「はい。ガブタロウの内股のお肉です」
「美味しいからいいですけど……」
ガブタロウは名物なのだから料理に使用されている蓋然性は高い。そう考えて魚と明記されている料理を選んだジダイは、どこ吹く風という顔で食事を進めていた。
食事を終えた一同が店を出る。
「これからどうするか決めているの?」
「いや、この街には通りがかっただけで、少し休んだら出ていくつもりだ」
「泊まる場所は?」
「それも決まっていないが」
メノウはネイロとスバルを見てから朱唇を開く。
「さっきも言ったけど、それならわたしの家に泊まればいいよ」
「それは嬉しいが、君の家に俺たちが泊まっても大丈夫か」
「うん。ウチ、広いから」
「それだけじゃなくて、俺たちのような旅の者を信用していいのか?」
「別にあなたたちに悪意があったとしても、簡単に殺せるから」
メノウの一言にジダイだけでなく、ネイロとスバルもその身を硬直させる。勇者に匹敵するとも称される聖女のメノウなら、その辺の腕自慢に襲われても返り討ちにできるだろう。
恐ろしいのは、本人を前にして無表情で言ってのけるメノウだった。
「でも、ネイロちゃんとスバル君は悪人じゃないって分かるから」
ネイロは嬉しそうにはにかみ、スバルも照れたように頬を掻いている。唯一、名前を呼ばれなかったジダイは不服そうに眉根を寄せた。
「じゃあ、ウチに案内する」
カクレアは広い街でもなく、歩いているとすぐに景色が変わる。商店の多い大通りに出て道を曲がると、人影は少なくなった。
唐突にメノウが足を止めたのは、一つだけ抜きん出て屋根の高い建物だった。外壁には白いレンガを使っているのが民家と異なっている。
空に向かって尖塔が三本突き立つ建物は教会のようでもあった。
「へー、すっごい建物だなー」
「綺麗だねー。ここは何?」
「ウチ」
「ウチ⁉」
スバルとネイロが声を合わせて目前の建物を見上げる。
正門の前には手槍を持つ二人の衛兵が並び、警備も厳重である。カクレアの守護神でもある聖女の居住区であれば当然だが、その物々しさにネイロとスバルは気後れしている。
「えーと、ここがメノウの家ということか?」
「うん。部屋なら空いているから」
メノウが黒い鉄製の正門に近づくと門番が恭しく頭を下げる。
「お帰りなさいませ」
「ただいま。こちらは旅の人たちで、今夜はここに泊まってもらいます」
「分かりました」
門番が開いた正門をメノウが通り、ジダイたちへも丁寧なお辞儀がされる。慣れない経験にネイロは会釈を返し、スバルは「どうもどうも、ご苦労ですなあ」と言いながら歩を進めた。
屋内は広間になっており、中央に伸びる通路に沿って両脇に数列の長椅子が配置されている。通路の奥には祭壇が設けられていて、神を模した像や絵画が飾られていた。
メノウは壁際の歩廊を通って祭壇の横にある扉を開ける。そこが教会で暮らす人々の居住区のようだ。
扉の先の通路には片側の壁に扉が並んでおり、反対の壁には等間隔で玻璃がはめ込まれて陽光が差し込んでいる。廊下を歩く中年の女性がメノウの姿を見つけ、声を張り上げた。
「メノウ様、お戻りでしたので?」
「うん。この人たちは旅の方。今夜、泊まってもらうことにしたから、準備をお願いね」
「あら、可愛い旅の方と……保護者の方ですね。かしこまりました」
そう言うと、女性は踵を返して奥の扉へと消えていく。
「わたしの部屋は尖塔にあるから、ネイロちゃんはそこで一緒に寝よ」
にやあ、と相好を崩したメノウが指さす先には階段がある。螺旋状に上方へ延びる階段の遥か先にメノウの部屋があるらしい。
妖しい光彩を帯びるメノウの双眸に少し臆した様子で、ネイロが曖昧な笑顔を浮かべる。男二人は取り残されたように疎外感を味わいながら立ち尽くしていた。
「あ、二人の部屋もちゃんとあるよ」
メノウが示すのは廊下の突き当たりの部屋。木製の扉には『物置』と書かれた木片が斜めになってかけられている。
「部屋が余っているんじゃなかったのかよ……!」
ジダイが怒りを押し殺した声を背に浴びつつ、メノウはネイロの手を引いて階段を昇って行った。
メノウは静かですが無口でもなく冗談も言えて、書いていて楽しい女の子ですね。
同じ年頃のネイロと仲良くなれてうれしそうな女の子らしい一面もあります。
聖女も苦労して生きていると思いますね。