第4話 平野に矢を降らせる魔族ランガナタン
フルフル平野の中央、草原の真っただなか。二体の異形の影が佇立していた。
影のうち一体は、人間大の猫の人形としか形容できない外見をしている。二足で立つ姿は人間に似ているが、頭の上にはピンと立った耳があり、片方の耳は先が欠けている。
大きくて丸い両目に愛嬌があって、三本のヒゲが生えていた。体表は薄紫、その質感は綿に似ているのが人形っぽさを際立たせていた。
その猫人形が偉そうに身を反り返らせ、人差し指を相手に突きつけている。
「フム、フルフル平野を掌握して人間どもの交通を妨げるお前の働き、魔王様も高く評価されている。魔王様一の幹部である、このネコジタが魔王様に代わって誉めてつかわすぞ」
猫人形、ネコジタの言葉を浴びる相手は頭を下げる。
「……はあ、ありがたき所存」
「ランガナタン、これからも我ら魔族の一員として励むのだぞ!」
ランガナタンと呼ばれた魔族は応じない。その沈黙にはネコジタへの反感が込められているようでもあった。
ランガナタン。足が二本で胴体の上には頭がついており、見た目は人間に近い。だが、その姿が異形である由縁は、その腕が六本あることだった。
三本の左腕は手の部分が弓になっており、右手は人間と同じ五本指。体表は褐色で、頭部には大きな赤い単眼と、顔の端まで裂けた口がついていた。
赤い眼球に不服を含ませ、ネコジタを上目遣いに見やる。
ネコジタは返事がないのも気にしていない様子だ。平野を魔族が支配しているという事実に満足するように、腰に両手を当てて周囲を見渡していた。
「ったく、何が幹部だ。生まれて十年かそこらの分際で幹部面しやがって……」
「む、何か言ったか?」
「いえ」
小声で零した愚痴は聞こえなかったようで、ネコジタに適当な相槌を返す。
ランガナタンの記憶によれば、ネコジタは十年ほど前に魔王様の側近として現れ、付近の魔族との連絡役を行う存在だった。魔王様第一の幹部というのは自称だが、常に魔王様の近くにいるため機嫌を損ねるわけにはいかない。
不本意ながらも機嫌を取るしかない不快な相手であった。
「では、このネコジタはそろそろ戻らせてもらおうか」
「は。とっとと……いや、お気をつけ……」
そう言いかけてランガナタンが言葉を詰まらせる。
ランガナタンは魔力をフルフル平野全域に満たし、領域に立ち入った人間の気配を察知することができる。
先ほどから平野を歩いている三匹の人間には気づいていたが、その気配が近づいているのを感知したのだ。
「ネコジタ殿、こちらに人間が迫ってきています」
「フム、人間か。よし、そいつらを始末するところをこのネコジタも観察しよう。お前の戦いぶりも魔王様に報告してやる」
ランガナタンの単眼が映す草原の景色のなか、三匹の人間の姿が現れる。その人間の奇妙な姿を目にしたランガナタンが思わず呟いていた。
「鍋?」
フルフル平野の中央付近に辿り着き、異形の影を見出したジダイたちは足を止めた。
「鍋?」
魔族が零した一言を聞き、ジダイが被っていた鍋を指で押し上げた。
「放っておけ」
ジダイたちは村長から提供された鍋を被り、フルフル平野を歩くこと三時間。常に降り続ける矢をすべて回避することはできず、何発かは頭に直撃している。
だが鍋を被っているおかげで、物凄く頭が痛くて耳鳴りがするだけで済んでいた。ネイロは目を回してスバルに手を引かれながらも、何とか目的地まで辿り着いた。
表面がボコボコになった鍋を投げ捨て、ジダイが口を開く。
「お前らがこの平野に矢を降らせている元凶だな。だが、その矢も今日、降り止むことになる」
「ほう。人間が大きな口を聞くもんだな。ランガナタン、身の程を思い知らせてやるのだ!」
「分かりました。ネコジタ殿はお下がりください」
ネコジタの声に応じ、腕が六本ある単眼のランガナタンが進み出た。
「来たぞ。二人とも準備はいいか」
ジダイが腰の革帯に下げた籠手を両手に装着しつつ背後を振り返る。スバルは油断なく鍋を打ち捨てて剣を抜いているが、ネイロの目は焦点が定まらず頭を大きく揺らしている。
「ネイロ、しっかりしろ! 魔族が目の前だぞ!」
「う、うーん。スバル君、頑張る」
ふらつきながらも、ネイロは両手を組み合わせて祈るような姿勢をとる。
「頼んだぞ、ネイロ! いつも通り俺は時間稼ぎをするからな」
「スバル、何を言っているんだ?」
ジダイの怪訝な視線を横顔に突き刺されながらも、スバルは平然として剣を構えている。
「さ、ジダイ。魔族が来るぞ。油断するなよ」
「ち、分かってるよ」
釈然としないものの、ジダイが両拳を上げて戦闘態勢をとった。
「人間がこのランガナタンに勝てると思うか。その思い上がり、この矢が貫いてくれるぞ!」
「あまり俺を見くびるんじゃないぞ。お前のお仲間を何体も滅ぼしてきているんだからな」
「俺だって、勇者一行だ。町の人のためにお前を倒す!」
ジダイとスバルの気炎を浴びてもランガナタンは怯む様子は無い。
「人間風情が。身の程を知るがいい。……我が眷属よ、集まれ!」
ランガナタンが声を放つとともに右側の上の手を振ると、空中に浮かぶタコのような生物が現れる。黄色の体表に八本の足、四本の足には弓を持ち、残りの四本には矢を持っている。
二十体ほどのタコを従え、ランガナタンが自身も弓を引き絞った。
「な⁉ 仲間を呼ぶなんて卑怯だろ!」
「フルフル平野全域に矢を降らせた我に歯向かって、生きていられると思うな!」
ランガナタンとタコが一斉に矢を放ち、総数八十本以上の矢がジダイたちに殺到。
スバルがネイロの前に立ちはだかるが、剣でそれらを打ち落とせるはずもない。ジダイは咄嗟に踏み出して両掌を突き出す。
ジダイの掌から淡い光が広がり、半球状になってジダイたちを包み込む。霊力によって現れた半透明の障壁へと矢が次々と当たり、淡い光の表面に波紋を生みながら消えていく。
矢の襲撃が終わり、ジダイたちが無事な姿を現すとランガナタンが動揺も露わに口を開いた。
「我が矢を防ぐとは、霊力の使い手か。ただの人間ではないようだな」
ジダイたちへの認識を改めたランガナタンへと、スバルは意気揚々と剣先を突きつける。
「そう簡単に俺たちを傷つけられると思うな!」
「お前は何もしてないだろ」
指摘するジダイの声を振り切ってスバルが疾走。慌てたジダイを後方にし、スバルがランガナタンへと肉薄する。
ランガナタンが両手で弓を引くと同時に虚空から矢が現れた。魔力によって矢を生み出すことができるらしい。
疾駆するスバルへとランガナタンが矢を解き放った。三条の光芒が迫るが、スバルが華麗に三本の矢を剣で打ち落とす。
スバルの水際立った動きを前に、ランガナタンが大きな目を見開いた。右上の腕を一振りして背後のタコに指示を出す。
ランガナタンに合わせて二十体のタコが矢を放つ。スバルは機敏に光の奔流となった矢を回避しつつ、避けきれないものは剣で弾き落としていた。
外れて地面に着弾した矢は光を放って消え、縦横無尽に走るスバルの姿を七色に彩る。優れたスバルの身体能力を目にしたジダイが軽く口笛を吹き、支援のために走り寄った。
急停止したスバルが正面を見据える。襲いかかる二条の矢を視認すると後方宙返りで回避、着地しざまに剣を一閃して最後の矢を切り払った。
スバルの横にジダイが並ぶ。
「やるじゃんか」
「これくらいできないと、生き残れないからね。……それより、戦いが始まって四十秒。あと六十秒はネイロを守らないと」
「さっきから何を言っているんだ? ネイロを守るために魔族を倒さないといけないだろ」
「いや、ネイロを守って魔族を倒さないと」
「え?」
「え?」
会話の噛み合わない二人が顔を見合わせていると、ランガナタンが声を放つ。
「人間如きにしては強いのは認めてやる。だが、これは防ぎきれまい!」
ランガナタンの号令の下、タコが空へと射った光を帯びる矢が天へと昇っていく。ジダイとスバルは、数秒後に空から光る矢が降り始めると事態を理解する。
落下の勢いを乗せて加速する光の矢を目にし、さすがにスバルが動揺していた。
「うわ、あんなの避け切れないぞ⁉」
「俺の後ろにいろ! 防御は得意じゃないが……!」
ジダイは両掌を頭上に掲げる。その掌から再び淡い光が広がって二人を包み込んだ。
そこへ降り注ぐ矢が直撃。今度は矢がぶつかる際に衝撃が弾け、その度にジダイの全身に負荷がかかる。
「まずい!」
半球状の光にヒビが入り、ついに耐え切れなくなった障壁の一部が崩れ、薄い光の破片となって地に落ちていった。やがて流星と化した矢の急襲が止み、平野に静けさが戻る。全体に亀裂が入りながらも持ちこたえた障壁を消し、ジダイが荒い呼吸を吐いた。
防ぎ切れなかった衝撃が当たったのか、スバルはジダイの足元で気絶している。
「何とかなったな。おい、大丈夫か」
足で小突くと、スバルは目を開けて瞬時に立ち上がる。
「フ、どうにか耐えたな」
「言うほど耐えてたか?」
ランガナタンに黒い瞳の焦点を戻し、ジダイが両手を構え直す。
今回の敵はたくさんの手で矢を放ってくるランガナタンです。
タコの眷属を率いて多数の矢を射かけてくる魔族にジダイたちは勝てるでしょうか。
ここで登場するもう一体の魔族、ネコジタ。
魔族側のレギュラーメンバーとなってジダイたちと戦っていきますので、こいつも宜しくお願いします。