第6話 勇者ネイロ(本気モード)対最強魔族クライクライ(完全体)の戦い
四人は岩山から離れると、その様子を見守る。ふと、何かを思い出したスバルが腰の皮袋からあるものを取り出す。
「これ花の国の王からジダイにだって。飲み込むと守護してくれるんだと。今のうちに渡しておくよ」
「おお、ありがとう」
ジダイは〈竜胆の夢〉を受け取ると、種子のようなそれを口に放って飲み込んだ。すぐにジダイは目を見開き、自分の両手を見下ろす。そのまま驚愕で彩った瞳をスバルに向けた。
「こ、これは……! まさか、こんなことが!」
「そんなに効くのか⁉」
「とんでもない不味さだ……。キレ、コク、ノドゴシ、全てが最悪。クソマズだ!」
「そんなことを意味ありげに報告すんな!」
スバルとジダイが不毛なやりとりをしている間に、岩山の頂点から暗黒の流動体が噴出してジダイたちの眼前に降り注ぐ。
黒き流動体は地面に降っても水溜まりのように広がらず、積もるように蓄積していく。円錐形のように堆くわだかまった暗黒は、今度は蠢きつつ凝縮していった。
「私は魔界で最も深き漆黒の陰翳。影を吸収し、より深さを増して他者を闇に染めていく」
天空にたなびく暗黒の極光が現れ、地平までを暗く染めていく〈闇降らしの紗幕〉だ。
「魔王様が封じられ神が眠りに就いた今では、この世界で至高の存在。私はすべての闇を従える者、クライクライである」
収束した暗黒は人型を象って安定する。人間の大人ほどの大きさで、その輪郭は絶えず流動しつつ黒い粒子を放っていた。頭部には顔がなく、ただの黒い人型の塊、としか言えない外見である。
「あれがクライクライの本来の姿か! みんな、侮るな!」
ジダイの声にネイロたちが臨戦態勢をとる。
「勇者よ。肉体を取り戻した私の前では、勇者とて無力。抵抗しなければ、魔王様の元で半永久的に生かして差し上げよう」
「そ、そんなの嫌!」
「それでは、四肢を切り取って無抵抗にしてから魔王様の元にお連れすることになる」
「それも嫌!」
ネイロは臆することなくクライクライに相対する。そこには常の弱気な少女の姿はなかった。
ネイロを守るようにジダイが前に立ち、スバルとメノウが横に並ぶ。自分を守ってくれる仲間の存在を実感したのか、ネイロは毅然と顔を上げてクライクライと向き合っていた。
「ネイロ、クライクライを倒すには勇者の力は不可欠だ。俺が気を引いている隙に最大の攻撃をしかけてくれ」
「いえ、ジダイさんは無理しないでください」
力強いネイロの言葉に、ジダイだけでなくスバルとメノウも意外そうに目を向ける。
「ネイロが弱いから、みんながネイロを守ってくれます。でも、ネイロが望んだのは、守られることじゃなくて守ることなんです。ネイロを守るために誰かに傷ついてほしくないんです」
薄氷色になったネイロの瞳に鮮烈な意思が宿っている。
「スバル君にもメノウちゃんにも無理はさせられないから。ここは私に任せてください!」
そう言って進み出たネイロの横顔は、紛うことなき勇者の表情をしていた。
「分かった。俺たちはネイロの援護だ。やるぞ!」
スバルは剣を掲げて応じ、メノウはネイロに熱い視線を注ぎながら頷いた。
「行きます!」
力強い一言がジダイたちに聞こえた瞬間、ネイロの全身は颶風と化してクライクライへと詰め寄っていた。
クライクライの眼前で急停止したネイロ。それに遅れて砂塵と烈風が追いつき、ネイロとクライクライの周囲で激しく逆巻く。風に頭髪をはためかせながら、ネイロが拳を突き出した。
少女の拳とはいえ、白銀の光に包まれた攻撃は容易く鋼鉄を穿つ威力を秘めている。その一撃を、クライクライは片手で受け止めていた。反動でクライクライの足元の地面に亀裂が生じたが、その肉体は微動もしない。
「勇者よ。君の力では私を傷つけることはできない」
「これなら⁉」
クライクライの手に握られたネイロの拳から光条が放射され、クライクライの上半身が眩い光に飲み込まれた。光が収まると、白煙を上げながらクライクライがよろめく。
ネイロの姿が消え、クライクライの四方で残像が帯となって走った。その超速の移動にクライクライは翻弄され、首をあちこちに巡らせている。
闇雲にクライクライが掌から黒き波動を放つも、それはネイロを捉えることはなかった。
「こっちだよ」
背後から聞こえたネイロの声に反応したクライクライは、振り向きざまに波動を打つ。その一撃も空を切ると、クライクライの側面にネイロが現れた。
「残念でした」
ネイロが疾走の勢いを乗せて肩から突撃。その衝撃で胴体を折り曲げたクライクライが後方に弾き飛ばされた。すかさずネイロが両掌から光を放出し、白銀の閃光が宙に浮かぶクライクライを直撃する。
空中で激しい爆光が閃き、煙の尾を引いて吹き飛ぶクライクライが大河に突っ込む。水飛沫が上がり、クライクライは緩やかな流れのなかに飲み込まれていた。
「凄いぞ、ネイロ! 倒したのか?」
「ううん。まだだと思う」
スバルの声にネイロが冷静に応じた直後、大河の水が盛り上がって白い瀑布のなかからクライクライが出現する。
「これまでとは違うようだ。まずは誉めておこう。ここからは私の本気を見せる番だ」
クライクライは走るのではなく、足を動かさずに地面の上を滑走するように移動する。さらにクライクライは三体に分裂し、三方からネイロに肉薄。
ネイロは接敵と同時に正面のクライクライへと光弾を放ち、右側から迫る一体を拳で迎撃。その二体は呆気なく砕け散り、残った左のクライクライが足を蹴り上げた。
腹部を急襲した蹴りを避けられず、ネイロの横腹に爪先が食い込む。白銀の光の防御を貫通した威力にネイロが息を詰まらせた。
動きの止まったネイロへクライクライが掌を突きつける。その掌に暗黒の粒子を振りまく光弾が生まれ、ネイロへと射出された。
両腕を交差させて防御するものの、漆黒の光弾はネイロの身体を押しながら突き進む。押し込まれるネイロは岩山に背を打ち付けても止まらず、岩を砕きつつ岩壁の奥に埋もれていった。
「ネイちゃん!」
メノウの悲痛な叫びに被さるように岩山の内部から爆発が起こり、岩肌に走った割れ目から黒煙が噴き出した。
硬直したメノウを勇気づけるように、ジダイがその背に手を添える。
「大丈夫だ。ネイロはあれくらいじゃやられない」
ジダイの言葉通り、黒煙をかき消した白銀の光が岩山から溢れ出す。崩れた岩盤を粉砕し、その破片の幕を割ってネイロが疾駆していた。
クライクライが両手を頭上に掲げる。その指先から暗黒が天を覆うように広がり、天幕のようなそれから先端の鋭利な触手がネイロに降り注いだ。ネイロは直角的な動きで、自身を狙って降ってくる触手を躱していく。
ネイロを外れて地に突き立った触手は塵となって消えていった。仕返しとばかりにネイロが腕を一振り。出現したおさかな爆弾が空中を泳ぐように飛来し、クライクライの周囲に着弾。
爆炎と土砂がクライクライの視野を奪う隙にネイロが間合いを詰める。砂埃が晴れたとき、その懐に踏み込んだネイロが右拳を打ち込み、クライクライも拳で迎え撃った。
互いの拳が激突した瞬間、衝撃が放射状に広がる。舞い上がった砂埃が、戦いを見守るジダイたちの肌を打ち据えた。
クライクライが浮遊して上空へと移動し、それを追ってネイロが跳躍。同じ高さに達すると両拳で追撃をかけ、クライクライが防御するたびに振動が大気を震わせた。
クライクライが宙を翔けて移動し、ネイロが追う。空中で高速移動する黒影と白銀の光が衝突するたびに衝撃が弾けるが、ジダイたちの肉眼では観測できないほどの速度だ。
「すげーな、ネイロ……」
「いつものネイちゃんじゃないみたい」
スバルとメノウが上空に視線を注ぎながら呟く。
「ネイロは、俺たちのために戦ってくれているんだ。魔族を傷つけるのも嫌いなネイロが、俺たちを守るために本気で戦っている」
その独語を聞いてスバルとメノウが見つめるのも気付かず、ジダイは戦いを見上げている。
気弱なネイロがありったけの勇気を振り絞って戦っている姿を目にし、ジダイの胸中に熱い思いが沸き立ってきた。
ジダイは両手足に霊力を集中させる。
「俺の生命に変えてもネイロは死なせない」
「何を言ってんだ? ネイロはいい勝負していると思うけどな」
「ああ。今はな。……だが、ネイロが霊力を発動できるのは短時間だ。ネイロもそれを分かっていて短期決戦をしかけているのに、クライクライを倒しきれていない」
「じゃあ、ネイちゃんは……?」
ジダイは沈黙したままだったが、それを無言の肯定と捉えたメノウが息を呑む。
空中で一際大きい衝突音が響くと、片方の人影が地上に落下する。地面に身体を打ちつけられ、うつ伏せになったのはネイロだった。
立ち上がろうと腕を立てた途中で力尽き、ネイロが地べたに横たわる。ゆっくりと着地したクライクライがネイロへと歩み寄った。
「させるかッ!」
ジダイが疾駆してクライクライに詰め寄った。
「おらあぁぁぁあ!」
クライクライを間合いに捉えたジダイが両拳を連打。下級魔族なら一撃で倒せる連撃を顔面に受けても、クライクライは揺るぎもしない。右上段蹴りが側頭部に直撃したが、クライクライは何事もなく佇んでいた。
「クソ……!」
「気は済んだかな」
クライクライの指先から放たれた波動で突き飛ばされ、ジダイが背を地に打ちつける。肺から呼気を押し出したとき、胸にクライクライの足が乗ってジダイは苦鳴を漏らした。
「そこまでだッ!」
敏捷な身ごなしでクライクライの側面にスバルが肉薄し、跳躍して剣を振りかぶった。
落下する慣性を乗せた切っ先がクライクライの頭部を捉え、頭頂から首までを真っ二つに斬り割いた。その効果とは裏腹にスバルの眉根は怪訝にひそめられる。
「何の手応えも無いぞ?」
両断されたクライクライの頭部が中央へと戻っていき、断面が接着されて傷口が消えていく。瞬く間に再生したクライクライを目にし、スバルが頬を引きつらせた。
「この後って、やっぱし……?」
クライクライが黒い光弾を放ち、危ういところでスバルが剣で受け止めて直撃は避けた。だが、爆発がその全身を飲み込み、吹き飛ばされたスバルは地面を転がって横たわる。
さらにクライクライはメノウへと向けた掌に光弾を生成。それが放たれる寸前、下から飛んできた青い光弾によって狙いが逸れ、身を屈めたメノウの頭上を暗黒の光が通過していった。
ジダイは拳を掲げながら口元を綻ばせる。
「そう簡単に思い通りにはさせるかよ」
「ほう。私には、簡単に思えるのだが」
胸を踏む足の圧力が増し、ジダイが呻き声を漏らす。肋骨と内臓が声なき悲鳴を上げ、耐えがたい圧迫感にジダイの目が眩んだ。
「止めて!」
苦しむジダイを目にし、自身が苦しめられているようにネイロが叫ぶ。
「君の四肢を断つには、この人間たちは邪魔なのでね。そうだ、この人間たちを生かすと言えば、君は魔王様の元に来るかな」
「それは……」
ようやくジダイはクライクライの目的を理解した。
「ネイロを魔族の管理下に置いて、勇者の存在を無力化させようとしていやがるのか!」
「その通りだ。殺してもすぐに次の勇者が現れるならば、いっそ勇者を魔王様の元で生かしておけばいい。君たちがネイロと呼ぶ人間は、勇者として弱く愚かでその資質に著しく欠けている。私の目的のためには、うってつけの存在だ」
ジダイが怒りに任せてクライクライの足を両手で握りしめるも、胸にかかる圧力が増して呼吸が詰まった。
「人間よ。無駄なことをするな」
「うるせえ! ネイロはな、魔族を傷つけても心を痛める子なんだ! そんな優しい子を苦しめるのは、たとえ神が許しても俺が許さねえ!!」
「どちらの許しも私には必要ないのでね」
肋骨の一本が致命的な音を立てて激痛がジダイの体内を駆け巡る。
「ぐあぁぁぁあ!」
勇者として覚悟を決めたネイロと、肉体を取り戻したクライクライの戦いです。
仲間を守るために戦うネイロは強いですね。そもそも戦い方が変わっているレベルです。
きっとジダイの戦い方とかを見て勉強していたんだと思います。それ以外考えられないですね。作者都合とかではないです。
クライクライはかなり強く書いているのですが、伝わるのでしょうか。
一撃で上級魔族のランガナタン(1章の敵)を倒せる勇者化ネイロが、仲間を守るために本気モードで戦っても勝てないくらい強い設定です。さすが最強の魔族。
魔王はクライクライよりも強いらしいので、やっぱり魔族は強いです。
ここからが勇者一行の実力が問われていきます。




