第3話 世界水車の里の伝承
村長宅は玄関を入ってすぐ板敷きの居間になっており、机や調度品が並んでいる。奥には本棚の並ぶ一間が続いていた。
一同が腰かけて村長が奥へお茶を持ってくるように声をかける。それから、村長はネイロたちに向き直った。
「改めて私はこのシミズ村の村長、コタニです。何でも、この村の伝承を聞くためにこの村にいらしたとか」
「はい。俺はスバル、あとはネイロとメノウです」
「はあ。お若いのに感心ですなあ」
村長がネイロたちの顔を見渡して頷いていると、居間の扉が開いて中年女性がお茶を運んできた。村長と同じ年頃の女性で、村長の妻かもしれない。
「この村の特産である水車から運ばれる水と、その河の苔を乾燥させて入れたお茶です」
お茶は深い緑色で容器の底も見えないほどの濃度だ。ネイロが口をつけると、とろみのある舌触りと柔らかな甘みがあった。
「おいしーです!」
「それはよかったです」
村長は嬉しそうに目を細めると、自身も飲んでいたカップを置いて口を開く。
「聞きたい伝承というのは、やはり『世界水車』のことでしょうか」
「それが分からないんです。……ある人からこの村の伝承を聞け、と言われていて」
「この村には、幾つか伝承があるの?」
メノウの問いかけに村長は顎を引いた。
「一応は歴史のある村ですので。ま、このシミズ村と言えば『世界水車』ですからね。まずはその伝承からお話ししましょうか」
ネイロたちは顔を見合わせ、揃って首肯した。
このシミズ村を含むヤマガタ平原は、かつて不毛の地だった。
荒涼とした赤茶けた砂地が水平まで続き、乾燥した風が吹き渡る枯れた土地。草木も生えない荒れ地に住む人々は、僅かな湧き水と放牧で糊口をしのいでいた。
その貧しい人々の暮らしを見兼ねた神様は、五百年前に巨大な水車を天使に建造させた。その水車は遥か天空の水分を集めて地上に降らせ、大きな河川となってこの地を潤わせる。
水が溢れて肥沃になった土地は平原となり、この地に住まう人々の生活も豊かになった。人々は神の奇跡に感謝し、世界に水を運ぶ巨大な水車を『世界水車』と呼びならわして信仰の対象としたのだった。
「……というのが『世界水車』にまつわる伝承です」
村長が話し終える。
「もちろん、この『世界水車』がもたらす水量は膨大ですが、さすがに世界中の水源にはなりません。ですが、先人にはあの水車が世界中に水をもたらすように見えたのでしょうなあ。それで『世界水車』と名付けられたようです」
村長が口を噤むと、ネイロたちは三色の瞳を合わせて言葉を交わす。
「なあ、どうだった? 今の話」
「うーん、あれだけだとどこに行けば分からないね」
「この伝承じゃないのかもしれない」
小声を交わして三人は村長に向き直った。代表してネイロが頼みを口にする。
「他の伝承も聞かせてくれませんか?」
「他、ですか? いやあ、実は前村長の父が亡くなりまして。村の老人たちも亡くなって代替わりしていて、他の伝承を知る者は少なくてですね。私も勉強してはいるのですが」
村長は頭に手を当てながら、横目で本棚の並ぶ奥の一間を見やった。
「じゃあ、伝承を知っている人はいないの?」
「それだと参るんですよ!」
机に身を乗り出したメノウとスバルの圧力に押されるように村長が身を引く。特に一撃を食らっているメノウには警戒心が強いようだ。
「お、お待ちください。心当たりはあります。おーい!」
村長が奥の部屋へ声を出すと、扉から先ほどの中年女性が顔を出した。
「アシナガさんは、今日は村にいたかな」
「昨日まではその辺の調査に行っていましたから、今日はいると思いますよ」
「すまないが、ちょっと呼んできてくれないか」
はいはい、と女性は返答して玄関を出て行った。
「この村にはアシナガさんという人がいまして。昔は有名な探検家だったそうで、それはもう知識のある方です。彼なら何か知っているかもしれません」
「ありがとうございます!」
喜色を浮かべるネイロの横で、スバルが眉根を寄せていることにメノウが気付く。
「どうしたの、スバル君」
「いや、アシナガって名前をどこかで聞いた気がするんだ。でも、この辺に知り合いなんていないはずだしな」
「気のせいじゃないの」
メノウがそう言っても、スバルはしきりに首を捻っていた。
その後、村長が入り婿だとか、どうでもいい話を聞かされて時間を潰していると玄関に人影が現れる。一人は村長の妻、二歳年上でオタニという名前らしい、の他にもう一人の老人が後からついてきた。
小柄で穏やかな風貌だが、浅黒い肌と屈強な体格が元探検家だという過去に真実味を持たせている。白い髭が顎を覆っているのと対照的に頭髪は残っていない。
「お呼びかな。村長」
「ご足労頂きありがとうございます。こちらの旅人さんたちが村の伝承を聞きたいということですが、私ではお役に立てそうもなくて」
「これはお若い旅人さんたちですな」
アシナガは笑顔を浮かべてネイロたちに向き合って腰かけた。
「どのような伝承を聞きたいのです?」
「あの、ある場所に行きたくて、この村の伝承を聞けばそれが分かると言われていまして」
「漠然とし過ぎて分かりませんなあ。この村は歴史もありますので、細かい話になると四十ほどは伝説や伝承のたぐいはあります」
事情を細かく話すべきか迷って俯くネイロにスバルが耳打ちする。
「仕方ない。信じられるかはともかく、事情を話してみよう」
ネイロは目前に並ぶ村長とアシナガを見据える。ネイロの瞳に漲る決意に気付き、二人が戸惑ったように目線を交わした。
「実は、魔族に仲間がさらわれたんです。その魔族が、この村の伝承を聞けば仲間の居場所が分かると言い残して。それで……」
「言い忘れていたけどさ、俺たちは勇者一行なんだよ。魔王を倒すために旅をしているんだ」
「勇者! どうりで子どもの割にはいい拳をしていたと……」
「わたしは勇者じゃないわよ。勇者はこっちのネイちゃん」
村長に見つめられたメノウが釈然としない顔で呟く。
「しかし、急にあなたたちが勇者だと言われましてもねえ……」
村長の当惑はもっともだ。いきなり現れた子どもたちが勇者一行だと言われても信じる方が稀だろう。村長はアシナガに意見を求める。
「どうです。勇者というのは?」
「ふーむ。そっちのネイロさんの右手首にあるのは『星屑の祈り』です。フルフル平野のヤワタリ村の村長が家宝としている道具でした。そして、フルフル平野を占領していた魔族が少し前に勇者に倒されたと」
次にアシナガはメノウに目を移す。
「そしてメノウさんが手にしている本は、神族の兵器を召喚する『天罰の聖本』。クレナの盆地に伝わるそれは聖女にしか使えないと言います」
アシナガの博識にネイロたちが驚く。スバルは咳払いしながら、かつて勇者が愛用したという剣を掲げる。
「おお、その剣は、……知りませんな」
「あーそう」
スバルが剣を下げ、アシナガはネイロたちの身元を請け負うように力強く頷く。
「この方たちが勇者であると信じていいと思いますよ」
「いやあ、私は最初から信じていましたがね」
「おっさん……!」
メノウの一睨みを受け、村長が冷や汗を流して愛想笑いを返す。
アシナガは勇者であるネイロたちの言葉を信じ、ジダイの居場所に関係ありそうな伝承を考えていたらしい。
「勇者の仲間をさらった魔族が潜むような場所。一つ気になる言い伝えがあります。この村から『世界水車』を挟んだ向こうの岩山に、魔族が封じられていると」
「魔族ですか⁉」
「はい。位の高かったその魔族は、三百年前に神との戦いで魔王とともに封じられたそうです。神の力の強い場所である、この場所を選んで封じられたとのことで。何もない岩山なので、近寄る者はありません」
アシナガが語ったことを聞き、三人は目を輝かせる。
「きっと、そこにジダイさんがいるんだよ!」
「ああ! クライクライが言ったのは、このことだったんだ」
「さっそく行こう」
行き先が分かってネイロの士気が上がる。そこへ村長が声をかけた。
「その岩山に行くには大河を横断しなければなりませんが、その大河にかかる橋を渡るだけでも数時間はかかります。今からだと到着は夜になるので、今日は休んでいかれては?」
「いえ、ジダイさんが待っているので、早く行かないと」
村長の誘いを固辞するネイロだったが、アシナガがその言葉を押しとどめる。
「その場所に封じられたというのは、魔王に次ぐ実力の魔族と言われています。疲れたままでは危ないかもしれませんよ」
ネイロは、花の国での戦いでクライクライに翻弄されたことを思い出して唇を噛む。クライクライの狙いは、勇者の力を有するネイロだった。
自身の身代わりとなって連れ去られたジダイを一刻も早く助け出したい思いが、ネイロにはある。ただでさえ、事前にジダイからネイロは勇者として弱いと忠告されていたのだ。
「まあ、ネイロ。今日は休んでおこう。クライクライは強敵なんだしさ」
「ネイちゃん、心配しないで。次はわたしがクライクライを倒すから」
「う、うん。分かった」
スバルとメノウも、ネイロの心情を察して無理をさせたくないのだ。その気遣いを感じてはネイロも譲歩するしかなかった。
アシナガというおじいさんが物知りでよかった。ネイロたちが勇者だと信じてくれました。
このアシナガさんですが、三章で名前だけ出ていました。
スバルとジダイが偽の迷宮に入ったとき、メモを残してくれていた冒険者の名前です。『迷いの山』で遭難したことで旅を止め、故郷に帰ってきていたようです。
こういう人と人の繋がりがあると個人的にはうれしいです。




