第2話 勇者の末裔の追憶 序
ジダイは回想から現在へと意識を戻す。
魔族に連れ去られたネイロとメノウに危害が加えられる前に助けなければならない。そのためにジダイとスバルは、魔族が口にしたこの『人喰いの迷宮』に突入したのだ。
だが迷宮は広大で複雑な作りをしており、内部は魔族で溢れている。ネイロたちを探すどころか、魔族から逃げるだけで精いっぱいの体たらくだった。
「ジダイ、こっちだ!」
スバルがジダイの手を引いて水晶の陰に身を隠す。二人を追ってきたゲコ剣士は、それに気づかず奥へ
と走り抜けていった。
一息吐いたジダイとスバルは、水晶の陰に身を隠しながら囁き合う。
「参ったな。迷宮と言われるだけあって内部は複雑だし、魔族ばかりだ。ネイロとメノウを探すのは難しいぞ」
「だけどさ、魔族は二人を食べるつもりなんだろ。急いで探さないと」
スバルの双眸には常とは異なり、真剣な光が宿っている。
「手がかりと言えば、それくらいだが」
「ま、あんまり役には立たないけどなー」
スバルは手にした紙片をヒラヒラと振る。その紙片は水晶のそばで見つけたもので、恐らくは先にこの迷宮に踏み込んだ人物が残したものらしい。
「えーと、『この迷宮には入り口はあっても出口は無い。私も迷って七十八日間になるが、まだ出られないでいる。なかは魔族で溢れ、いつ死ぬかも分からない。今から道標をつけることにした。これで帰れるといいのだが』、か」
「その道標が分かると話が早いんだがな」
先人の書置きも情報が少なく、ジダイの役に立ちそうには無い。
「この紙も役に立たないだろうし」
「何だ、それは?」
「あー、いや、ここに落ちていたんだよ」
「おい、それは続きじゃないのか……!」
ジダイの指摘でスバルは紙片を見直す。
「おっと、『この迷宮にはポポロンとププロンと名乗る主がいる。彼らはときどきこの迷宮にやってくる。彼らの後をついていけば、外に出られるかもしれない』だってさ」
「あいつらがこの迷宮の主か。それなら出口を知っていてもおかしくはないな」
「続きが書いてある。『今、あの魔族たちが近くを歩いている。うまく尾行して出口を目指す。もし、私の書置きを目にする者がいれば、小石を目印にしてほしい』か」
「小石?」
ジダイが周囲を見渡すと、壁際に矢印の形に並べられた小石を見つける。
「あれか。よし、それを書いた奴を信用してみよう」
目印の方向に歩き出したジダイにスバルも続いた。
魔族と鉢合わせにならないように、様子を窺っては水晶の陰に隠れつつ二人は頬を進める。普段は剽軽なスバルが軽口の一つも叩かないのは意外だった。
通路が分岐する地点で立ち止まると小石の目印を探しては、その方向に進んでいく。しばらく静寂が二人を包んでいたが、ふとスバルが口を開いた。
「だけど、ネイロとメノウを探さないといけないのに、出口に向かってもいいのか?」
「まあ、そうだが。逃げるために出口を確認しておくことも必要だろう」
あまり納得していないようだが、反論も思いつかないのかスバルは黙り込んだままだ。
「そこまで静かなお前も珍しいな。いつもなら軽口ばかりだが。ネイロが心配か?」
「そりゃ心配に決まっているだろ。それに、何が楽しくて一回りも年上の男に冗談言わなきゃいけないってんだ」
ジダイは年少の仲間を見下ろす。
「ってことは、いつもはネイロのために、あんなふざけた態度をとっているのか」
言質を取られたスバルは、照れくさそうに唇を尖らせた。
「ネイロには黙っていてくれよな」
ジダイは肩を竦める。まだ小さくても男女のことだ。スバルなりにネイロの気を惹きたいのかもしれない。
「なあ、俺がネイロの気を惹こうとして態度を変えていると思ったろ」
「あ、バレたか?」
「そんなチンケな理由じゃないんだよ」
「じゃあ、どんな理由なんだ」
スバルは、隣に並ぶジダイを見上げる。その双眸には、自身の秘密を打ち明けるに足る人物か値踏みするような感情の揺らめきがあった。
「ネイロは俺の勇者なんだ。自分が生きている意味が分からなかった俺に、生きる意味を教えてくれたんだ」
スバルはジダイから目を逸らすと、前方へと視線を移す。その目に映るのは眼前の光景ではなく、自身の過去のようでもある。
「俺の先祖は、三百年前に神と一緒に魔王を封じた勇者だった。俺は勇者の末裔なんだ」
古来より、神族と魔族は協力し合って平界を平和に存続させてきた。
その関係が崩れたのが五百年前。魔王の配下であった七体の高位魔族が反旗を翻し、魔王を滅ぼした。魔王の肉体を取り込んで強大な力を得た高位魔族たちは神族と先端を開く。
その神族と協力し、魔王たちを封印した人類の代表である勇者。その末裔がスバルの家系だというのだった。
「そうは言っても、勇者は血筋じゃないから、力は受け継がれなかったんだけどさ」
スバルが話すように勇者の能力は血統によらず、偶然先天的に得るものであり、子孫に遺伝するわけではない。
勇者はその一代だけではあったが、傑出した人物を輩出した家系として、スバルの一族は村のなかでも尊敬の対象となった。
周囲の尊崇の目に恥じぬようスバルの一族は幼少の頃から剣技を磨き、その血筋に相応しい実力を代々身に着けていた。
だが、その血筋が次第に重荷となっていく。魔族の被害が広がるたび、新たな勇者が世に出るたび、スバルの一族は期待外れの一族として白い目で見られるようになっていった。
「当然だと思うよ。長年の間デカい面しておいて、霊力も使えない、大事なときに役にも立たない一族なんて、バカにされても仕方ないさ。俺が勇者の末裔だっていう証だって、三百年前の勇者が使っていたと伝わる、この剣しかないんだ」
尊敬がいつしか軽蔑の視線に変わったのを知りながら、スバルの一族は剣技を怠ることは無かった。むしろ、それしか自分たちが勇者の血族であるという証が無いのかもしれなかった。
スバルも例外ではなく、父親から厳しい修練を受けていた。スバルにとって、それは先祖代々続いてきたことであり、自然と受け入れるしかなかった。
「俺には勇者の素質は無いのに、かび臭い風習に付き合わされているって気持ちがあったんだ。だから、昔から俺は自分が生きていることに意味がるのかって思ってた」
十三歳の少年にしては自身に重い問いかけを投げかけていたスバルは、思い溜息を吐いた。
「そんなときに、ネイロと出会ったんだ」
ある日、用事があって村外れを歩いていたスバルは、少女の叫び声を聞いた。スバルと同年代に見える少女が一人、三体のクロマルに追われて泣きながら逃げているところだった。
慌てて駆け寄ったスバルへと、少女が声をかけてきた。
「危ないから近寄らないでください!」
自分が逃げ惑いながら他人を心配する少女を滑稽に感じつつ、スバルは剣を抜いてすれ違う。
爪を振るって襲い掛かるクロマルを瞬く間に斬り伏せ、スバルは少女を振り返った。
「大丈夫かい?」
少女はしばしの間スバルを凝然と見つめていたが、危機が去ったと気付いて安堵のためか腰を地面に落とした。
「魔族は倒したから、もう安全だよ」
スバルの声を聞いて少女は緊張が切れたのか、不意に大声で泣き出した。
この物語の仕掛けの一つである、スバルが三百年前の勇者の末裔というお話です。
勇者の力は受け継がれるわけではないので、その子孫といっても能力は凡人でしかありませんでした。
勇者の子孫、という肩書きだけを受け継いだスバルは自身の生き方に悩んでいたのかもしれません。
そんなスバルにネイロとの出会いがどのような意味をもたらしたのでしょうか。




