断罪されていた筈が気付いたら力こそパワーな聖女とパーティを組んでいた
「アリエル・アドラステア! 貴様の悪行の数々、もはや見逃せるものではない! この時をもって、貴様との婚約は破棄とする!」
魔法大学の卒業式で、高らかと宣言したのは、私の婚約者である王太子だ。
その横には、ふわふわの金髪を結い上げた『聖女』サマがいる。
――何故こんなことになってしまったのだろう。私は、どこで間違ってしまったのだろうか。
思い返してもわからない。私は全てを捨ててここに立ったのに。どうして。
私、アリエル・アドラステアが生まれたのは、代々王家に仕える騎士の家柄だった。
男家系だったらしいアドラステア家に初めて唯一生まれた女の子。それが私。
四人の兄と膨大な自然に囲まれ育った私が興味を持ったのは、剣だった。
初めは兄たちの鍛錬に混ぜてほしかっただけだったのだが、気が付けば剣そのものにぬめり込んでしまった。
本来であれば女の身で剣を持つなどありえないことだが、兄も家長である父も、一人娘である私には甘かった。尚且つ、私の剣の才能は凄まじかったらしい。
兄たちと一緒に訓練を受け、八つになるころには兄たちでは相手にならないほどの腕になった。
すると、初めは甘やかしてくれた兄も父も、女だてらで剣をふるうなんて、と怪訝そうにすることが増えた。訓練には参加させてもらえず、一人で剣をふるう日々。
それでもよかった。剣技を磨くこと、それが楽しくて仕方なくて、幼い私はいずれ父や兄のような騎士になることを夢見ていた。
十三になった頃。私が一人で鍛錬していると、兄たちの教官役の男が近づいてきた。
アドラステア家の一人娘が女の身でありながら剣を振り回しているという話を知っていたのだろう。いきなり現れた男は、私に向かって訓練用の木剣を振り上げた。
初めて大の男に剣で殴り掛かられるという経験をした私は、初撃を避けきれず、軽く吹っ飛ばされてしまった。男は私の訓練用の剣を折ると、「女が剣に触れるな。剣が汚れる」と言い、私のことを蹴り、殴った。
意味がわからなかった。だって、どうしてこんな理不尽な暴力を受けなければならないのか。戸惑いと恐怖でいっぱいになった。
腹を踏まれ、痛みに藻掻く私の視界に、男の後ろで嗤う兄たちの姿が見え――そこから記憶が途切れる。
気が付けば、目の前には「いてぇ……くそいてぇよお……!!」と藻掻く男がいた。男の足は脹脛から変な向きに曲がっており、目には折れた私の訓練用木剣が刺さっていた。
ぜえぜえと息をする度肺が痛い。
私の手は血に塗れていて、私がやったことは明白だった。
その日、私は父に呼び出され、女の身で剣を振るのは本来許されることではないこと。女では決して騎士になれないこと。目指すことすら騎士に対する侮辱であると教えられた。
もう二度と剣は握らせないと言われ、部屋を追い出された私を待っていたのは、怒り心頭の兄たち。彼らは、敬愛する教官を傷つけた私を許せないらしく、「化け物め」と罵り私の頬を叩いていった。優しい兄たちは、もうどこにもいなかった。
そして、母は、私に縁談を持ってきた。
相手はこの国の王太子。私に断れる筈もなく、剣の道は閉ざされたと思っていたのだが。
――御前試合。
国王陛下の前で行われる魔法あり武器ありのトーナメント試合。試合に勝てば、身分に関係なく騎士となれる上に、優勝賞金もある。
だが私の場合、優勝賞金はどうでもよかった。試合規則には性別の規定はない。もし私が参加して優勝すれば、私は晴れて騎士となれる。
騎士となれば、王太子の婚約者には不適正とされて、私は剣の道を歩める。
当然家族には内緒だ。膨らみかけていた胸をさらしで潰し、一番下の兄の訓練服を頂戴する。夜中のうちにこっそり馬を走らせ、会場に向かった。
結果からすれば、私が御前試合に出ることはなかった。
私の行動を訝しんだ兄が、私の後を追いかけていたのだ。おかげですぐ捕まり、私は家に連れ戻された。
兄たちに取り押さえられながら、私は父に訴えた。
お願いだから私から剣を取り上げないでください、私の生きがいなのです、何でもしますから剣だけは。
そう泣いて縋る私の手を、母は優しく握る。
期待を孕んだ目で見つめてくる私は、母の目にどう映っていたのだろう。
母は、私の両手に呪いをかけた。
その呪いは、『握力を極めて弱くする』呪いだった。
どこぞの深窓の令嬢よろしく、私はカトラリーより重たい物は持てないほど、手の筋力がなくなってしまった。
絶望する私を母は抱きしめて、「これからはちゃんとした女の子として生きていきましょうね」と言った。
父は笑って、「国母となるべく勤めろ」と言った。
兄たちは「これでやっと妹が帰ってきたな」と笑いあっていた。
もう二度と持ち上げられない剣と、家族の笑み。
私に残っているのは家族しかなかった。
それからの私は、家族の言う通り淑女たらんとした。
十五になると、王太子との婚約も確定した。
魔法使いが皆入ることになる魔法学園にも入り、同世代女性のリーダーとして努力した。
本来なら剣に向けるべきだった熱意を、別のもので発散していたのだろう。
私はやりすぎなくらい完璧な淑女を目指した。だって、そうしないと、捨てた筈の剣の道が泣くような、そんな気がしていたのだ。
同学年の男たちが杖を剣に変形させ、打ち合いをしているのを見るたびに、手が震えた。
周りの友人たちが、誰を応援したいかで盛り上がる中、私だけはそれぞれの身体の動かし方、弱点を見ていた。
私ならああ打ち込む、こう打ち込む。そんな妄想をしながら訓練をじっと見て――剣を握れもしない手を見て諦める。
女の身で、剣技を磨こうなど、身に余る考えだったのだ。
今の私は王太子の婚約者。将来の王妃。女性としてこれ以上ないほどの幸せを掴んでいる。
せめて王妃として恥ずかしくない女性になろう。誰もが求める女性になろう。
――そう思って努力してきたというのに。
卒業式のパーティで、こんな衆目に晒された状態になっているのだろう。
「何故……そのような……」
驚きすぎて、ちゃんとした言葉にならない。
そんな私を見て王太子がにやりと笑う。
「何故? 何故だと? 貴様、国賓ともいえる聖女に与えた数々の害、忘れたとでも言うつもりか?」
「アリエル嬢、貴女はここにいる聖女レイ・メティスに悪事を働いた。そうですね」
王太子の代わりに口を開いたのは、宰相の孫だ。
婚約者そっちのけで『聖女』と接していたうちの一人である。
「転入早々に冷たい言葉を投げかけ、女生徒集団で囲んで彼女を孤立させた。彼女の私物を破損させた。更には彼女を個室に閉じ込め、餓死寸前まで追い込んだではないか!」
そう喚くのは騎士団長の息子――つまり私の兄だ。
「もし私が見つけられなかったと思うと……ぞっとするよ」
王太子が憎々し気に私を睨む。
確かに、王太子は私を愛していなかったと思う。それでもそんな目つきで睨まれる筋合いもなかった。
私は誠心誠意王太子に尽くし、王太子を立て続けた。学力でも魔法実技でも王太子をたてるように常に二番手を取り続けるようにしたのに。
「私ではありません、王太子殿下……。何故私が、そんなことを」
確かに、婚約者のいる男性にも構わず親しくする彼女に苦言を呈したことはある。
だが、相手は聖女だ。
聖女は、百年に一度現れる治癒術のエキスパートである。
普通の治癒術は極めても失くした四肢を再び蘇らせる程度だが、聖女の治癒術は死すら凌駕するという。また呪いの類にも強く、聖女に解けぬ呪いはないとか。
そんな存在は国の宝であり、そのような存在に害をなすなど考えられない。
そんな常識も、彼には通じないようだった。
「嫉妬したのだろう。彼女が貴様以上の器を持つ淑女であり、類稀なる魅力の持ち主であるからな」
「嫉妬などしておりません」
即答したのが気にくわなかったのか、王太子が「嘘を吐け!」と鋭く怒鳴る。
静まり返ったホールに、宰相の孫のわざとらしい優しい声色が響いた。
「貴女は王太子を深く愛しておられた。それ故、王太子と心を寄せ合うレイに嫉妬したのでしょう?」
――ああ、駄目だ。
ここで何と答えても不敬になってしまう。
王太子を愛していなかったといえば、隣に立つべき淑女としてありえない尻軽だと思われ、愛しているといえばした覚えもない嫌がらせの犯人にされてしまうだろう。
「正直に罪を認めれば、命だけは助けてやろう。だが貴族として生きていけると思うなよ」
兄の言葉がホールに響く。
嗚呼、何故こんなことになってしまったのだろう。
私は全てを捨てた筈だ。家族が望む淑女になる為に、王太子の婚約者として正しく在る為に。
それなのに、こんなことで全て無駄になってしまうのか。
視界が狭くなって、王太子たちが見えなくなる。
立っていられなくなり、膝から崩れ落ちた。白く磨かれた床しか、今はもう見えない。
ふと、視界の端に、薄桃色の布が現れた。
のろのろと顔を上げると、そこには、ふわふわの金髪を淑女にあるまじき長さである肩口までカットした女性が立っている。桃色の大きな瞳で私を見ていた。
後ろでは「レイ! その女に近づくな!」と王太子が吠えていたが、聖女はお構いなしに私の手を取る。
それは、御前試合に出ようとして捕まった、あの日の母親と同じ手つきだったにも関わらず、不思議と怖くなかった。
「アリエル・アドラステア様。またお会いできましたね」
可愛らしい声。それは嫌というほど聞き覚えがある。殿下の周りでいつもころころと笑っていた声だ。
「またも何も……学校でいくらでもお会いしたでしょう……」
言葉を交わしたことはほぼないが、すれ違うことなら何度もした。
しかし、彼女は首を振り、私の手を一層強く握りしめる。
「違いますよ。アリエル様。もっと前です」
「何を言って――」
瞬間、何か脳内で引っかかるような気がした。
ふわふわの金髪。桃色の瞳。彼女の背丈、そして声――。
「あっ」
それは、王太子に招かれて行った御前試合でのことだ。
無論、剣を持てない私は、貴賓席で試合を見守っていた。
試合には兄たちも出ており、出世と名誉を争い、剣を振っていた。
あそこに私も立てたら、どんなにいいだろうか。いや、駄目だ。今の私は王太子の婚約者なのだから、そんなことを考えてはいけない――。
無意味な妄想を繰り返しているうちに、試合は決勝まで来ていた。
順調に勝ち残った兄の相手は、頭全体を覆う仮面を被った小柄な戦士だった。
「何故剣も杖も持っていないんだ?」
「彼はここまで一度も魔法も剣も使わず、拳のみで勝ち上がってきたそうですよ」
「そんなバカな……。あのガントレットに何か仕掛けでもあるんじゃないんですか?」
「さあ……ただ相手はあのアドラステア団長のご子息ですからなあ。小細工は通用しませんよ」
そんな周りの貴族たちの声が聞こえる。
拳闘士、と呼ばれる部類の戦士だろうか。見たことのない戦術に心が躍る。
身を乗り出したところで、試合開始のラッパの音が響いた。
そして、その音が鳴り終わるころには、試合は終わっていた。
「いったい何が起きたんだ……?」
呆然とする王太子に、私は何も考えずに今見たものをそのまま伝える。
「お兄様が剣を抜く前に距離を詰め、柄を殴ったのです。利き手から剣が抜けて驚いたお兄様の首を掴んで地面にねじ伏せた……といったところでしょうか」
「さすがアドラステア家の娘だな、目が肥えている」
王太子の嫌味に「たまたま……見えたものですから」と頭を下げた。
武芸において、男性より秀でてはいけなかったのに、何も考えずに発言してしまった。
「野蛮な戦い方だ。優勝者に相応しいと言えるか?」
王太子が怪訝そうに言うが、私は小柄な戦士にくぎ付けになる。
兄の剣技は私が剣を奪われた時のものと同程度。今の私ならどう戦うだろうか。
いつもの妄想に入ってしまった私は気が付かなかった。審判がいつまでも戦士の勝利を宣言しないのだ。
「やはり御前試合には相応しくないと判断されたのだな」
審判が宣言をしないせいで、未だに試合は続行中。
兄がよろよろと起き上がり、再び剣を取る。雄叫びと共に上段から振りかぶるも、手で受け止められ、そのまま砕かれた。仮にも実践も考えられた鉄の剣を手で破壊され、呆けた兄の横顔を破片がついたままの手が打ち抜く。
殴られた方向に吹っ飛ぶと思った兄だったが、反対の手で頭を掴まれ、再び地面とキスする羽目になった。
「お、おい……」
周りがざわついている。試合場にいる審判も慄いているのか、なかなか勝利を宣言しようとしない。
――否、あれは違う。
私は後ろに視線を向け、父の顔を見て確信した。
我がアドラステア家は武の一家。御前試合に出て負けることなど許されない。
つまり、審判は金でも握らされているのだろう。兄が勝つまでこの試合は終わらない。
しかし反則を取ろうにも、戦士が何をしたのかさえ審判には見えていないだろう。
「おい審判! 早く試合を続行させよ!」
父が立ち上がって怒鳴ると、審判は血まみれの兄を無理やり立たせる。あれはもう無理だろう。顔なんて剣の破片でぐちゃぐちゃだ。整った顔だと有名だったのに。兄を好いていた女子たちが引いていく気配を感じる。
と思えば、審判がこっそりポーションを飲ませていた。卑怯な……とは思ったものの、貴賓席からしか見えない位置でやっており、貴賓席から不満の声はあがらなかった。
兄が短く呪文を唱えると、兄の手には再び剣が現れた。試合用ではない。実戦用の魔法剣だ。
『試合用の剣が破損してしまった為、特別に魔法剣の使用を認めます』
一般席から非難の声があがる。もしや、あの小柄な戦士は平民なのだろうか。
確かに貴族ならば、あんな野蛮な戦い方はしないだろう。
ならば兄は余計負けるわけにはいかない。
御前試合で平民が勝つなど今まであったことがない、
魔法もまともに使えない平民に負けたとあっては貴族の名折れだ。すでに顔の骨は折れているような気もするが。
兄が振る度、魔法で出てきた炎が剣に纏われていき、円を描く。それは炎の演武を見ているようで、美しさに貴賓席からため息が零れた。
――のも、一瞬だった。
小柄な戦士が構えたと思った瞬間。
バンッ!!
「きゃあ!」「うおぉっ!」
貴賓席に張られていた結界が破裂した。
「王太子殿下! ご無事ですか!」
「何が起きた!」
貴賓席は大騒ぎになり、私は隣の王太子ごと護衛に囲まれた。
護衛たち一人も見抜けなかったのだろうか。いや、護衛に集中していた試合を見ていなかったのだろう。
護衛越しに見える試合場では、小柄な戦士が拳を突き出した状態だった。まさか、拳を放った圧だけで魔法を消し飛ばしたとでもいうのだろうか。
更に、その後頭部を覆っていた布がふわりと飛んでいき、まるで花びらが散るように金色の長い髪が広がる。
「女……?」
誰がつぶやいたのかわからないが、その言葉はあっという間に観客席へと広まった。
「女!?」「何故女が御前試合に!」「けっ汚らわしい! 試合場に女が足を踏み入れるなど、騎士への冒涜だ!」「女が戦うなどはしたない!」「恐ろしい……ッ!」「女の身でありながら男に手をあげたのか!」「誰かあの女を殺せェ!!」
最後には「殺せ!」という言葉が会場に満ちる。
その言葉に仮面をつけたままの戦士は、拡声魔法を起動させた。この試合始まってから初めて彼――否、彼女が魔法を使った瞬間だった。
『私を、殺す?』
鈴を転がしたような可愛らしい声。間違いなく仮面の戦士は女性だ。それも若い。
『殺せるものなら殺してみなよ。雑魚どもが』
声の可愛らしさに反して放たれた言葉は酷く辛辣だった。
怒り心頭の衛兵たちが集団で襲い掛かるのが見える。それもそうだろう。彼らは女に馬鹿にされるのに慣れていない。彼女は衛兵たちをものともせず、数分も立たないうちに彼女以外立っている者はいなくなった。
『はあ……ここも外れかあ……全員弱すぎ……』
拡声の魔法がそのままだったのだろう。
仮面の戦士の声がここまで聞こえる。激昂した魔法使いたちが魔法を叩きこんだ為、土埃があがるが、私には土埃の中でも魔法を手で弾く彼女の姿が見えていた。
ふと、視線があった。
――こないの?
そう口が動いたのが見えた瞬間、私は貴賓席を飛び出していた。
すぐさま杖を取り出し、魔法で着地し、土埃の中彼女と距離を詰める。
魔法は拳で吹き飛ばされる、長剣では私が握れない。
ならば私が持てる範囲の刃物を生成して攻撃するしかない。
杖を小型のナイフに変形させる。持てる重さ程度なので大した長さもない。超近距離から攻撃するしかないが、それは向こうも同じだ。
斜め下から思いっきり首筋を狙ってナイフを突き上げるが、あっさり避けられる。
ただそれは予測済。
突き上げたナイフの向きを変え、仮面の穴――目を狙って突き刺した。だがそのナイフは、僅かに顔を動かした彼女の仮面によって弾かれる。
「っはは!」
楽しそうな声がした。
彼女のものか、私のものかわからない。
そのくらい胸が躍った。こんなに楽しいのは久しぶり――否、初めてだった。
弾かれたナイフを口で受け止めた私の顔面に彼女の拳が迫ってきたが、ガントレットの隙間を狙ってナイフの位置を調整する。
ガギンッ!
衝撃と共に横に吹っ飛んだが、口の中からナイフがなくなっていた。
ザーッと地面を滑って土埃が更に濃くなる。止まったところで、頭を上げないまま欠けた歯を吐き出した。
「……痛いな」
ナイフは上手く刺さったようで、彼女がナイフを引き抜くと赤い鮮血が散る。
「あら、それはごめんなさいね」
といっても、ナイフの長さは大した事はない。痛いという声も、非難めいているというよりも興奮した感嘆の響きだ。
大したダメージにはなっていない。やはり首を狙わなければ……。
ナイフを再び手の中に呼び戻す。
土埃の中見つめ合い――、一閃。
「!!」
眼前一面が金色になった。
それは切れた彼女の髪だったようで、土埃で掠れた太陽の光に透けてキラキラと光っている。
瞬間、私の身体は吹っ飛ばされた。
私の攻撃を避けて屈んだ彼女が鳩尾に向かって拳を叩きこんだのだろう。元いた貴賓席に背中を叩きつけられ、「カハッ!」と息が止まった。
すぐ立ち上がって、瓦礫と化した椅子を放り投げ、試合場を見る。
土埃はほぼおさまっていて、試合場はすっかり見通せるようになっていが、そこには小柄な戦士の姿はなかった。
その後、彼女は、御前試合を汚し王太子の婚約者を殺しかけた大罪人として指名手配された。
殺しかけたというが、彼女に殺気はなかったし、私から向かって行ったのだ。
そのことはあの時近くにいた護衛、王太子にはわかりきったことだろう。ただ、女である私が飛び出すのを止められなかったという醜聞は避けたかったらしい。
私は療養という名の謹慎処分となり実家に閉じ込められた。
そして、数週間ぶりに学校へ来ると、ふわふわの金髪の聖女がいたのだ。
「思い出せました?」
「あなた……」
殺人未遂で指名手配中の大罪人じゃない! と大声で言ってしまいそうになったが、ぐっとこらえる。
何故あの日戦士として試合場に立っていた彼女が、聖女として今ここにいるのだろう。
「よかった。思い出してもらえなかったら校舎裏に呼び出すしかないかと思ってました」
「校舎裏……?」
「夕日をバックに殴り合うとか? そして結ばれる友情的な」
「因果関係がまったくわからないし、あなたに勝てるとは思えないから遠慮したいわ……」
「まあ、今のあなたならそうでしょうね」
彼女の言葉がずきんと刺さる。
剣を持つことを諦めて、私の全てを諦めたのに、婚約者に捨てられてしまった。もう私には何も残っていない。
俯く私の手を彼女は一層強く握りしめた。
「この学園に来てから、あなたのことを調べました。何故そんな呪いをかけられているのか、何故あなたほどの人が王太子の婚約者なんて地位にいるのか」
「ちょ、ちょっと」
いくら何でも不敬が過ぎる。
そう思い王太子たちを見たが「レイはまたそんなことを言って……」とほんわかしていた。何よ、これ。
「あなたは家の為に剣の道を捨てた。いえ、捨てさせられた。そうでしょう?」
「……」
「私はそれが許せない。きみの動きはナイフを持った前提の動きだったけど、足の動かし方は完全に長剣向けに訓練されたものだった。あの時、きみが長剣を持って戦えていれば、私は髪だけじゃすまなかったと思う」
口調が軽くなった反面、その可愛らしい顔には怒りの色が濃くなっていた。
「それだけの腕を、女というだけで捨てさせたのが、私は我慢ならないんだよ」
「あ……」
不思議と、その言葉はすとんと胸の内に落ちた。
もし私が男だったなら、きっと他の兄たちのように剣を持つことを許されただろう。御前試合にだって出られたに違いない。
私が女だったというだけで、私は全てを捨てなければならなくなった。
「……あなたには、関係ないわ」
「……そうですね。私には関係ありません」
少し悲しそうにする彼女に胸が痛む。
「でも、あなたにどちらの道も用意できるのは私だけです」
「え」
「まずあなたにかけられている呪いですが、私にかかればすぐ解除できます。無論、聖女の加護をかけて二度と呪いなんかかけられないようにすることもできます。ちょー余裕です」
「ちょー……?」
「そうすればあなたはまた剣を握れるようになるでしょう」
「ですが、わたくしは……」
家の為、国の為、貴族としての務めを果たさなければならない。
俯く私に耳を寄せて、彼女がこそこそと小声で続けた。
「はい。ですから、ここで私が御前試合を荒らしに荒らした大罪人だといえばどうなりますか? 色々面倒なことは起きそうですが、あなたは無事婚約者に戻れるでしょう。戻れなくても貴族として生きていくことはできるはずです。悪役令嬢もので婚約破棄はバージンロードの入口みたいなもんですしね」
「あくや……あなたさっきから言ってることがめちゃくちゃ……」
「何だったら王家全員殺してアドラステア家を貴族筆頭として国主にそえちゃいましょうか」
「ッ冗談でも言っていいことと悪いことがありましてよ!」
思わず怒鳴ってしまった私に、レイはにっこり笑ったまま「冗談なんかじゃないよ」と言う。桃色の目だけは笑っておらず、あの試合場では見られなかった殺意を湛えているように見えた。
「最初はね、きみを無理やり連れていくつもりだったんだけど、この学校で淑女らしくって頑張っているきみもかっこよくて、きみが本当に望んでいるのなら経緯はどうあれ尊重すべきだな~って思ったの」
「なっ」
そんなこと王太子にも言われたことはない。寧ろいつも厳しい視線ばかり投げかけられ、自分の未熟さを教えられるばかりだった。
こんな会って間もない、大した交流もない彼女がそんなことを言ってくれるなんて。
「だからアリエル様が選んでください。貴族としてこの世界を守るか……私と一緒にこの世界を変えるか」
「世界を……?」
まるで騎士が誓いを述べるように彼女は跪いて続ける。
「私たちが叶えたい夢を叶えられる世界に。私たちと同じような夢を持った人が世界につぶされない為にも」
剣を握れなくなった私の手を優しく握って、彼女の桃色の瞳がまっすぐ私を見つめた。
「一緒に世界を変えよう、アリエル」
「……ッ!」
きっと私にしか聞こえなかっただろう言葉に息をのむ。
彼女の後ろにいる、かつての婚約者や兄を見る。彼らは憎々しげに私を見ていた。聖女の情けだから我慢をしていると言いたげだ。そこに私への情はない。
少し視線を動かせば、父と母が見えた。
思えば、父は私が初めて剣に興味を持ったとき、とても喜んでくれた。
さすが私の子供だ! と、大はしゃぎで抱き上げてくれた。
私が問題を起こしてから、夜な夜な私が女でなければと書斎で一人悔やんでいたことを知っている。
――もし私が彼女と世界を変えれば、父のような思いをする人も減らせるのかもしれない。
「……レイさん、手を離してください」
「……わかりました」
彼女は少し目を見開いてから、手を離した。
少し寒く感じる手を自分の手で覆って、王太子たちに向き直る。
「殿下、お兄様。わたくしは、婚約者として、妹として、最後まであなた方が愛せる淑女になれませんでした。申し訳ございません」
「ふん、今更謝ったところで」
「お母さま、ならびに他の皆さま方。せっかくの席を汚してしまい、申し訳ございませんでした」
「無視するな!」
喚く王太子を無視して、私は最後、父に向き直った。
「お父様。……いってきます」
遠くからでも父が息をのむのがわかったが、もう私は決めたのだ。
もう振り返らない。
レイの方に振り向くと、桃色の瞳と目が合う。
「行きましょ、レイ!」
手を引いて並び立てば、桃色が更に大きくなり、ニッと笑った。
「もちろん! アリエル!」
彼女と繋げた手がふわりと光り、両手を覆っていた重みのようなものが消える。
――呪いが解けたのね。
私の呪いが解けると同時に、彼女が呪文を唱える。すると、彼女の手には見覚えのあるガントレットが装着されていた。
「えーと、やあやあ我こそが御前試合を荒らし王太子の婚約者とガチバトルした大罪人!」
「はあ!?」
王太子たちの素っ頓狂な声がホールに響く。
また固まっている護衛を見て、この国のレベルの低さに改めて辟易したが、それも今日までだ。
「やだなあ、今更気が付いたの? この国で肩より髪が短い女なんて罪人くらいじゃん。これもゲーム補正ってやつ? こっわ」
「そ、そんな、レイ、冗談だろう? 君がそんな真似できるわけが……」
兄が震えながら聞く。
そういえば御前試合でボコボコにされていたのが心の傷になっていたのかもしれない。悪魔と呼んで忌み嫌っていたし。
「え? じゃあ試す? もう一回地面と熱烈キッスする? でもあの時もう戦ってきみの実力は知ってるし、私に得ないなあ」
「嘘だ……ッ!」
宰相の孫が頭を振る。
指名手配ポスターを見ることも多かっただろうに、本当に何故気が付かなかったのだろう。そういえば私も彼女を見ても気が付けなかった。
思い込み、だろうか。聖女が、成人男性を殴りまくって地面にめり込ませるなど想像もできない。
「さよなら、殿下。アリエルはいただいていくね! まあ、もともときみのものじゃないけど」
「ま、待ってくれ、レイ……! 行かないでくれ! 私は君に会って、本当の愛に気が付いたんだ!」
王太子の言葉に、ちらりとレイがこちらを見てくる。きっと気を使ってくれたのだろう。首を振れば、彼女は再び王太子に向き直った。
「そう。でも私、自分より弱い人と付き合うつもりないんで」
「ええ……」
膝をつく王太子に背を向け、彼女は懐から見覚えのある仮面を取り出す。
それを身に着けた彼女は、完全にあの日の戦士だった。
「本当に……君があの日の女なのか……」
「だからそうだって言ってるじゃん」
「……そうか」
そこでようやく衛兵たちが動き出したが、同時にパニックになった参加客にもみくちゃにされている。
その様子を笑いながら彼女は指をはじいた。
瞬間、庭園につながる硝子窓がはじけ飛ぶ。
キラキラと落ちてくる硝子がシャンデリアの光に照らされて、あの日の彼女の髪のようだった。
「行こう、アリエル!」
「……ええ、レイ」
絢爛豪華なホールを飛び出して庭園に出る。
衛兵たちはホールに全員駆けつけてきていたみたいで、警備は手薄だ。
たまに出会う衛兵も彼女が伸していく。
私も魔法剣を出して、衛兵を殺さぬよう仕留めていった。
剣の重み、激しい動き。何もかもが久しぶりで辛い筈なのに、不思議と身体は軽くて、心は不思議なほど熱かった。
「ねえ、レイ!」
「なーに~」
レイが回し蹴りで衛兵を吹っ飛ばしながら返事をする。
「これからどこに行くんですの!」
「あ~」
「まさか無策とか言いませんわよ、ね!」
木の陰から襲い掛かってきた衛兵の顎を剣の柄でぶん殴った。
「まさか! 隣の国に、魔法無効のダンジョンがあってさ!」
「魔法無効って……もしかしてあの!?」
魔法無効ダンジョンといえば、有名なダンジョンだ。
魔法でできている筈のダンジョンなのに、魔法を使うことができず、攻略不能なダンジョンの一つだとされている。
今まで攻略できた者はおらず、ましては女の身で挑む者などいないだろう。
「アリエルと二人なら行けると思うんだよね! どうせこの国じゃ指名手配犯だしさ~」
夜の月が照らす中、彼女の金髪が舞う。
夜の闇の中、私の剣が舞う。
私は、確かな手ごたえを感じながら「そうですわね」と笑った。
アリエル・アドラステア…悪役令嬢。剣の道を究めたかったが、女だったので断念して淑女になろうと頑張った。
お嬢様言葉は後付けなのでこの後どんどん取れていくが、敬語は癖になってしまいそう。
このあと無事ダンジョン攻略し、惚れてきた男とかを「レイより弱い方は少し……」とか言って振るようになる。剣が恋人。レイは大親友。
「剣とレイなら?レイならそんなこと言わせる状況にさせませんよ」って笑ってほしい。
レイ・メティス…一応聖女。精神をも癒す治癒術を使えるが、その実脳筋。小さい頃、養父が力こそパワーみたいな脳みその持ち主で鍛えられ、脳筋になった。更に前世の記憶が蘇り、物理も極めればゲームみたいになると知ってから余計脳筋になった。
この世界が乙女ゲームの世界だということは何となく察してしかいない。前世の記憶でそういう転生ものあったなーくらいのノリ。
見た目だけは天使。見た目だけは。アリエルに切られて以降ずっとボブカット。