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婚約解消された眼帯の令嬢が愛する人と歩き出すまでのお話

「そなたとの婚約解消が正式に決まった」


 そう告げられたのは、セレニセラス・スカプガート子爵令嬢。

 霧のように白い髪。抜けるような白い肌。身にまとうのは漆黒のドレス。

 瞳は見えない。彼女の顔の上半分は、幅広の黒い眼帯に包まれていた。

 まるで霧の上に映し出された影絵のように、幻想的で美しい娘だった。

 

 婚約解消の言葉を告げたのは、コンクラルト・マスサイト伯爵。

 金髪にすらりとした長身のスマートな青年だ。

 その瞳は銀。爬虫類を思わせる縦長の瞳孔はギラギラと光を放ち、どこか禍々しさを感じさせる。

 額につけた緑の宝石がはめ込まれたサークレットは、淡い燐光を放っていた。

 

「そなたはよく尽くしてくれた。だが、私の運命を変えてくれたのはこの女性なのだ」

 

 コンクラルト伯爵の隣にいるのは、メイディエラ・タレンティカ伯爵令嬢。

 肩まで届く金の髪。切れ長の瞳。その目にかけた角メガネは良く似合い、彼女の知的な印象を増していた。

 

 マスサイト伯爵家の一族は、代々優れた魔眼持ちを輩出する家系だった。現当主コンクラルト伯爵もまた、睨んだ相手を石化するという魔眼をもって生まれた。

 だが、この魔眼には問題があった。魔眼が強すぎて、コンクラルト本人ですら制御しきれなかったのである。

 

 目が合えば、当人の意思に寄らず石化する。外出する時は石化を避けるため、コンクラルトは眼帯で魔眼を封じた。しかし屋敷の中では眼帯をするのを(いと)うた。

 伯爵家では、誰もが目を伏せて過ごす。コンクラルトの前で作業を行う際は、目隠しをするのが習わしとなっていた。

 

 この問題を解決したのがメイディエラ・タレンティカ伯爵令嬢だ。彼女は名高い魔法の研究家だ。そしてその能力を遺憾なく発揮し、魔眼を制御できない理由が、コンクラルトの体内の魔力の流れの異常であると突き止めた。そして魔力の流れを整え、コンクラルト自身の魔力の制御能力を向上させる魔道具を開発したのだ。

 今、コンクラルトの額で淡い燐光を放っているサークレットがそれだった。これにより、コンクラルトは自らの魔眼に悩まされることなく行動できるようになったのだ。

 

「私はこのメイディエラと婚姻を結ぶ。悪く思わないでくれ」

「何が悪いというのでしょうか。コンクラルト様の幸せは私の幸せです。コンクラルト様の御栄達をお祈りしています」


 そう一礼して、セレニセラスはその場を後にした。

 なんの諍いもなく、淡々と、事務的に。彼女の婚約は終わったのだった。




「こんなの、ひどすぎます!」


 セレニセラスが自室に戻ると、彼女のおつきのメイドであるメドジーナが憤慨していていた。

 

「目が治ったからといって、これまで尽くしてきたセレニセラス様を放逐なされるなんてあんまりです!」

「メドジーナ、そんなことを言うものではありません。伯爵様は魔眼を制御できるようになり、未来が拓けました。これほど喜ばしいことはありません」

「でも、でもっ! セレニセラス様の目はっ……!」


 メドジーナは言葉に詰まった。

 セレニセラスは元々、目が不自由だった。

 婚約してからの三年間。彼女は自らの目を封じた。コンクラルトの前だけではなく、朝も昼も、夜眠るときさえも、彼女は眼帯をし続けていた。彼女は一生を添い遂げる覚悟だったのだ。

 もともと不自由だった目は、三年間も封じたことで、急速に悪化した。眼帯を外しても、ぼんやりと明るく感じるだけで、目の前に何があるのかすらわからないほどなっていた。

 

 セレニセラスの決意と努力は無意味と化した。それなのに、彼女は気にした様子すらない。メドジーナは、そのことが悲しくて仕方なかったのだ。


「いいのです。私は全て覚悟していました。メドジーナ、あなたが悲しむことではないのです」

「セレニセラス様……!」


 メドジーナはひしとセレニセラスに抱き着き、泣いた。セレニセラスは彼女を抱きしめながら、表情一つ崩さなかった。

 まるで影絵のように、静かだった。








「いま戻ったぞ!」


 大きな声と共に、自らの屋敷に戻ったのは、クラグスカ・バルベルード伯爵だ。

 

 短く切りそろえられた金の髪。精悍な顔。意志の強そうな瞳。身にまとった鎧の下からは、引き締まった筋肉が覗いている。年齢は20前後。若々しい力に満ち溢れていた。

 鍛え抜かれた剣のような青年だった。

 

 だが戦士として優れたその姿よりも、まず目を引いてしまうのはその顔だろう。

 右の額から左下の顎まで続く、禍々しく曲がりくねった三条の線。魔物に引き裂かれた傷跡。回復魔法で傷自体は塞がったが、爪の残した線だけは消えなかったのだ。

 それがこの精悍な若者を、恐ろしい魔物のように見せてしまうのだ。

 

 クラグスカ魔物の襲撃の絶えないこの地を治める領主である。

 今日も彼は魔物の一群を討伐し、自らの屋敷へ帰ってきたところだった。

 

「お帰りなさいませ、クラグスカ様。ですが、そのようなお姿で……」


 執事のシーパストが困った様子で出迎える。白髪に整えられた上品な白髭の紳士だ。

 シーパストの指摘通り、クラグスカは戦場からそのまま帰ってきた姿だった。身に着けた鎧ばかりでなく、顔にまで返り血がついているのだ。

 

「客は来ているか!?」

「ええ、縁談のお相手は到着していらっしゃいます。いましばらく待つようにお伝えしますので、せめて着替えを……」

「かまわぬ! このまま縁談の相手と会う!」


 執事シーパストは諦観のため息を吐いた。

 クラグスカのもとに、遠方より縁談の相手が来ていた。

 しかし折り悪く魔物の襲来の報があったのだ。クラグスカは討伐を優先した。

 無事帰ってきたのはいいが、そのまま着替えもせずに戻ってきた。しかもこのまま縁談の相手と会うという。

 

 クラグスカはいつもこうだ。縁談に訪れた相手に、戦ったあとの姿を見せようとする。

 今まで何人もの令嬢が、その姿を見ただけで恐れ、あるいは呆れた。そして破談となってしまった

 この領地は魔物が多く襲来する。この程度で音を上げるようでは、クラグスカの伴侶は務まらないだろう。

 

 でもそろそろ縁談に応じる相手も少なくなってきた。執事としてシーパストは頭を悩ませているのだった。


「お待たせした! 私がこの領地の領主、クラグスカ・バルベルード伯爵だ! よろしく頼む!」


 応接室の扉を開くなり、クラグスカは元気に挨拶をした。

 よく通るその声は、魔物との戦いで軍を率いることで鍛え上げたものだ。

 先手必勝が彼の信条である。

 

 そして一瞬、目を疑って息を呑んだ。

 白い髪に抜けるような白い肌。黒いドレスに、顔の上半分を覆う幅広の眼帯。

 人の姿に見えなかった。まるで一枚の美しい影絵だった。彼は、人ではなく絵に語りかけたように思ってしまったのだ。

 

 だが、影絵ではなかった。それは立ち上がると、貴族の作法に則った優雅な礼を返したのだ。

 

「お初にお目にかかります、クラグスカ・バルベルード伯爵。私はセレニセラス・スカプガート子爵令嬢です。よろしくお願いいたします」


 小さく細い声だったが、不思議と聞き取りづらくはなかった。

 

「このような姿で失礼する! なにぶん、忙しくてな!」


 口にしながら、クラグスカはバツが悪い思いだった

 クラグスカとしては、縁談の相手に戦場帰りの姿を見せたかったのだが、相手は目が見えない。縁談の資料に書かれていたのに、いろいろとあわただしくて頭から抜けていた。

 

「いえ……魔物討伐のお帰りに足を運んでいただき、光栄に感じております」

「失礼だが、あなたは目が見えないと聞いている。眼帯もしていらっしゃる。私が戦場帰りであることがわかるのか?」

「お姿は見えませんが、汗と血の匂いがいたします。バルベルード伯爵領は魔物の襲撃が多いと聞き及んでおりますので、魔物討伐のお帰りだと思いましたが、違いましたでしょうか……?」

「いや、相違ない。事情を察してくれて助かる!」


 クラグスカは感心していた。

 貴族の令嬢と言えば、戦いのあとの汗や血の匂いを嫌うものだ。その匂いだけで吐きそうになる者もいたくらいだ。

 汗と血の匂いに不快を示さず、戦いの帰りであることを理解しながら怯えもしない。

 それはクラグスカにとって好ましいことだった。


「だが、君の目が見えなくてよかった。知っているかもしれないが、私の顔にはひどい傷跡が残っている」

「いえ、見ることはできます」


 セレニセラスはすう、と手を上げた。

 

「私は探知の魔法で、手に触れたものを読み取ることができます。クラグスカ様の顔を触らせていただければ、その傷がどのようなものか知ることができます」

「ほう、それは面白い! ならば、今すぐ触ってみてくれ」


 まさか今すぐ触ることになるとは思わなかったのだろう。セレニセラスはびくりと震えた。驚いたのだろう。

 だがその動揺もひと時のことだった。彼女はすぐにクラグスカの方へと手を伸ばそうとする。

 しかし、その方向は少しずれていた。

 声だけでは正確な位置がわからないのだろう。見えないというのは本当のようだった。

 

「ちがう、こちらだ」


 クラグスカはその手を取り、自らの顔に導いた。

 そして、彼女の白い指が、顔にさらりと触れていった。クラグスカとしては、もっと顔をベタベタ触られるものと覚悟していたので、少々拍子抜けした思いだった。


「どんな傷かわかったか?」

「はい。傷口自体は塞がっていますが、顔の表面に三条の爪痕が残っているのですね。それから、右の頬に返り血が残っているようです。拭かれた方がいいと思います」

「なるほど、ちゃんと『見えた』ようだな。それを、どう思う? いや、言葉は選ばなくていい。思ったままに答えて欲しい」


 問われ、セレニセラスは顔を伏せた。どう答えるべきか悩んでいるらしい。

 クラグスカはその様子を眺めた。恐れた様子は見られない。退くそぶりすら無いから、嫌悪感もないように思える。

 考え込むのも短い時間だった。セレニセラスは顔を上げると、淡々と答えた。


「私には戦いのことはわかりません。ですが、それほどの傷を負ってなお、今なお魔物との戦いを続けるクラグスカ様は、立派な方だと思います」

「そうか! それは実にいい答えだ! あなたとはうまくやっていけそうだ。これからよろしく頼む!」


 クラグスカはそう言うと、熱烈な握手をした。

 セレニセラスは驚いたように口を開けたが、すぐにそれを笑みの形にした。

 クラグスカは満足の笑みを浮かべた。


「あなたがどんな人物か知ることができてよかった! それでは、私はこれから戦いの後の片付けや事務処理がある! 案内の者をよこすから、あなたはくつろいでほしい!」


 そう言い残すと、クラグスカは応接室から出ていった。

 実にあわただしい男だった。




「縁談のお相手を気に入られたようですな、伯爵」


 廊下を歩くクラグスカに執事のシーパストが声をかけた。彼は応接室でのやりとりもずっと目にしていた。

 

「ああ。この傷を恐れず、戦いに赴く男を厭わない。それにあの美しさ……実に理想的な相手だ」

「それはようございました」

「だが……都合が良すぎる。顔の傷を気にする男のもとに、盲目の美女がやってきた。あの器量で婚約を解消されたというのも、どうにも不自然だ」


 クラグスカは魔物との戦いを続けてきた領主だ。戦場の経験から、都合の良すぎる状況というものは、大抵は何者かが仕組んだものだと知っていた。

 この用心深さのおかげで、何度も生き残ってきたのだ。

 彼はこの都合の良すぎる縁談の相手に、どこか不吉なものを感じていた。


「セレニセラス嬢の家の情報が欲しい。可能な限り集めてくれ」

「承知いたしました」




 クラグスカはそれからも忙しかった。魔物との戦闘後の事務的な処理、次に備えた兵士の訓練。領主としての領内の様々な作業。

 そんな中、暇な時間を作っては、セレニセラスと語り合った。

 セレニセラスは寡黙で、自分から話し出すことは少なかった。かわりに聞き上手だった。こちらの話すことをきちんと聞き、疑問があれば話の流れを崩さず質問してくる。

 控えめで賢い女。それがクラグスカの抱いた印象だった。

 

 そんな歓談の中、セレニセラスは珍しく自分から要望を出してきた。

 

「領内の仕事を手伝わせてはいただけないでしょうか?」

「領内の仕事と言うと、領地に関する事務作業か。だが、君は目が見えないのだろう。手で触れて物を見ることできることは知っているが、いくつもの数字の並ぶ小難しい文書を読めるのか?」

「はい、経験があります」


 経験があるということは、前の婚約者クラグスカ・バルベルード伯爵のもとでそうした作業の経験があるということだろうか。

 バルベルード伯爵は力のある領主だ。その領地は広く、領地の管理や税収の処理など、事務作業も大変なものだろう。

 

 クラグスカは戦いには長けていても、事務作業は苦手な方だった。配偶者がそちらの方面について明るいのなら大歓迎だ。

 いつもは控えめなセレニセラスも、今日は積極的だ。おそらく、縁談の相手として能力を示したいのだろう。それなら断る理由はなかった。

 

「では、お願いしよう。文官を手配する。具体的に何をすべきかはその者に聞いて欲しい」

「はい、承知しました」


 こうして、セレニセラスは領地の管理を手伝うこととなった。

 

 

 

 彼女の活躍は目覚ましかった。

 専門の文官たちですら舌を巻くほどの優秀さだった。

 

 セレニセラスは目が見えず、手で触れることで文書を読み取る。その速度が速い。並の文官が一枚の文書を読む間に、彼女は三枚の文書を手でなぞり、その内容を把握してしまうのだ。

 それでいて見落としもなく、数字の誤りがあればすぐさま見つけてしまう。判断も的確で、彼女の提案する予算案はどの文官もうならせるほどのものだった。読み取りが早いだけでなく、頭の回転も恐ろしく早い令嬢だった。

 目が見えないため、筆記については口頭で述べたものを、文官が書き取る方法を取った。だがそれが問題に思えないほど、彼女の能力は際立っていた。


 セレニセラスはは理想的な縁談の相手だった。

 だが、それだけに。クラグスカの中の疑問は更に大きくなっていった。

 

 これほど有能な才媛を、なぜコンクラルト伯爵を手放してしまったのだろう。長年、コンクラルト伯爵を悩ませていた魔眼。それを解決した伯爵令嬢を娶ったとは聞いている。

 だが、いくらその伯爵令嬢の功績が大きかったとしても、これほど有能な婚約者を手放す理由がわからなかった。




「今夜は満月だ。雲一つなく、星々もよく見える。風はなく木々も静かだ。今夜はワインを楽しむのにぴったりの夜だ」


 夜空を見上げ、クラグスカはそんなことを語った。

 屋敷の最上階に(しつら)えられたテラス。テーブルの上のワイングラスには、赤いワインが揺れている。

 彼の前にはセレニセラスがいる。

 

 セレニセラスは目が見えないので、クラグスカがこうして辺りの様子について説明する。

 まったく柄ではない。内心そう思いつつ、こうした時間が好きだった。


「それにしても驚いた。あなたが領主経営の仕事で、こうまで役に立ってくれるとは思わなかった。恥ずかしながら、私はそうしたことが苦手だ。あなたがいてくれれば、我が領地も安泰だな」

「お役に立てたのならうれしいです」


 セレニセラスは控えめに微笑んだ。

 彼女はいつもこうだった。称賛を受けても、そのことを誇ったりしない。ただ、「役に立ててよかった」と返すだけだ。

 

「失礼を承知でお聞きしたい。あなたほどの才媛を、どうしてコンクラルト伯爵は手放したのだろう?」


 切り込んだ質問だった。それでも、クラグスカとしては聞かずにはいられなかった。

 

「魔眼に悩むコンクラルト様をお救いしたのはメイディエラ伯爵令嬢です。私にはそれができませんでした。それ以上の理由はありません」

「君は自らの目を封じ、三年も尽くしたと聞いた。悲しくはないのか? 悔しいとは思わないのか?」

「あの時、私が望んでいたのは、コンクラルト様の栄達です。私ではなくメイディエラ伯爵令嬢がそれをなせるというのであれば、不満などありません」


 セレニセラスは淡々と答えた。その回答は明瞭で、声に震えも無ければ顔に悲し気な陰が差すこともない。


「もちろん、今の私はあなた様の栄達を願っております。そのために力を尽くす所存です。どうぞなんなりとお申しつけください」

 

 貴族の結婚に愛など必要ない。

 その意味では、セレニセラスの受け答えには、なんの問題もない。

 だがそこに、ひとかけらの感情すら見えないのが、クラグスカにとっては……ひどく、悲しいことのように思えてしまうのだった。




「なんだ……これは?」


 屋敷の書斎。執事シーパストが集めた資料。セレニセラスの生家、スカプガート子爵家の様々な情報を目にし、クラグスカは一人、困惑の声を上げた。

 子爵家は娘が多く生まれるらしい。どの世代も3人以上の娘を他家に嫁がせている。子爵家は良縁に恵まれているらしく、嫁ぎ先はいずれも爵位が高い有力貴族だ。

 

 そして子爵家から嫁いだ娘のほとんどが、20代の若さで亡くなっているのだ。

 

 資料には3代前までの情報が載っていた。すべてにその傾向が見られた。

 子爵家の娘には、若くして命を失う呪いでもかけられているのだろうか。

 いや、それは考えられない。貴族の婚姻の際には、事前に健康状態を調べる。呪いを持った娘が、有力貴族と結婚できるはずがない。

 

 では体質的な問題か。遺伝的な疾病や、あるいは病気になりがちな体質なのか。いや、それもなさそうだった。有力な貴族が、健康面で不安のある令嬢を娶るはずがない。また、資料によれば子爵家の令嬢は優秀だったと評価されている。健康面でも問題はなさそうだった。

 

 子爵家に対する風聞についての資料もあった。

 多くは有能な才媛を多数輩出する子爵家を讃えるものだった。

 しかし、この若くして亡くなるという奇妙なことのためか、子爵家を批判するような内容もあった。「子爵家の娘は呪われている」「子爵家は初めから短命になるよう娘を育てている」「子爵家を娶る貴族は娘の命を糧に育つ悪魔だ」、などなど。

 どれもこれも、見るに値しない醜悪なものばかりだった。

 

 それらを見るうちに、クラグスカの頭の中で閃くことがあった。

 戦場でのごくありふれた戦術を当てはめれば、これらの資料から浮かび上がる疑問を説明できる。

 そんな思いつきが、ふっと頭の中に浮かび上がったのだ。


「そんなバカなことがあるものかっ……!」


 クラグスカの思いつきは、あまりに人の道を外れたおぞましいものだった。そんなことを考えてしまった自分を恥じた。

 とにかく、セレニセラスの家系は短命に終わることが多いらしい。そのことを心にとどめ、彼女のことを大事にしなくてはならない。そう、心に決めるのだった。




「みんな、今日はよく戦ってくれた!」


 クラグスカの領地は魔物の襲来が多い。

 今回は大物だった。通常より二回りは大きいサイクロプスを中心に、ゴブリンやオークを含めた100を越える魔物の一群が領地に襲い掛かってきたのだ。

 こちらの損害も少なくはなかったが、どうにか勝てた。

 

 クラグスカの領地において、魔物は脅威であると同時に収入でもあった。魔物を倒すことで得られる魔石や様々な素材は金になる。特に今回のサイクロプスから得られた素材は高値がつくことだろう。

 今日はそのための祝いの席だった。

 

 隣ではセレニセラスも酒杯を口にしている。みなが戦の勝利に興奮する中、ひとりちょこんと座って飲む姿は、なんだかかわいらしく感じられた。

 

「おお! このお方がクラグスカ様の奥方候補ですか!」


 酔った兵士の一人がやってくる。

 祝いの席は無礼講だ。クラグスカはにっこりと笑うと答えた。

 

「そうだとも! このセレニセラス嬢が領地を守ってくれたからこそ、私も思う存分戦うことができた!」


 おお、と歓声が上がる。

 セレニセラスは口を笑みの形にすると、酒杯を掲げた。

 兵士たちは大いに盛り上がった。




 宴も盛りを過ぎたころ。

 給仕が新しい酒杯を持ってきた。確か、遠国からいい酒が入ってきたとのことだった。そのために新しい酒杯を用意してくれたらしい。

 受け取ろうとした瞬間。セレニセラスが急に倒れ掛かってきた、その手に持つ酒杯をクラグスカの酒杯にぶつけた。

 

 クラグスカは戦場に慣れた戦士だ。普段から隙は無い。だが、そのタイミングはあまりに絶妙だった。その上、セレニセラスがそんな粗相をするなどまったく予想してなかった。クラグスカは酒杯を落としてしまい、中身はすっかりこぼれてしまった。


「申し訳ありません、クラグスカ様!」

「ああ、気にすることはない。あなたがそんなに酔うとは珍しい。宴を楽しんでもらえているのなら、喜ばしいことだ」

「ありがとうございます。確かに少し、酔ってしまったようです……」


 言いながら、セレニセラスはしなだれかかってきた。

 予想もしない彼女の行動に、クラグスカは目を白黒させた。

 セレニセラスは彼の耳元に口を寄せ、そっとささやいた。


「至急お話しせねばならないことがあります。内密にお話しできる場所にお連れください」


 その静かな声に、酔っているよう様子はまるでなかった。

 クラグスカはすっかり酔いがさめた。

 



 屋敷の一室。部屋の中にはクラグスカとセレニセラス、それに彼女の侍女であるメドジーナがいた。

 

「セレニセラス嬢。至急の話とはなんだろうか?」

「クラグスカ様の酒杯に毒が仕込まれていました」

「なんだと……?」


 侍女のメドジーナが机の上に布で包まれた何かを置いた。

 慎重に中身に手を触れぬようメドジーナが布を解くと、その中にはクラグスカに差し出されたであろう酒杯があった。


「毒は神経系の蛇毒に幻惑効果のある毒草を混ぜた混合毒。器の内側に塗られていますが、魔法で封じられていました。クラグスカ様が酒杯を手にした際に、毒が溶け出す仕組みです」

「ちょっと待ってくれ、なぜ君にそんなことがわかったんだ?」


 あまりに淡々と語るセレニセラスに対し、クラグスカは疑問の声を上げた。

 貴族社会において、こうした毒を仕込むのは珍しいことではない。だが、この影絵のごとき幻想的な美しさをもつ令嬢が、そうした汚い世界について当たり前のように語ることに、ひどい違和感を覚えたのだ。


「前の婚約者、コントラクト伯爵は強力な魔眼持ちの家系ゆえに、敵が多くいました。そのため、毒には常に注意しております。

 今回は、クラグスカ様が酒杯を手にした途端、微弱な魔法の発動を感じましたので、とっさに酒杯を落としました。毒の種類については、ここに来るまでの道すがら、毒探知の魔法を使い特定しました。

 お疑いのようでしたら、専門の者に検分させてください」


 クラグスカは思わず感嘆のため息を吐いた。

 およそ完璧な対応だった。


「いや、あなたのことは信じる。ありがとう、助かった。

 毒については専門の者にも詳しく調べさせる。それと並行して、毒を仕掛けたものを特定しなくてはならない。

 酒杯に仕掛けとなると、給仕か、酒杯を手配した者が怪しいか」

「宴を中止して、刺客の確保をすべきと思います」

「いや、宴は続ける」


 クラグスカは決然と言いきった。


「毒におびえ宴を中止すれば、配下の士気が下がる。魔物の多い我が領地で、それは絶対に避けねばならない。また、私が無事なまま宴の席に居れば、刺客も動きを見せることだろう。

 飲食は控えるが、あなたには毒探知を続けて欲しい。他の者がとばっちりを受けるのはできれば避けたい」

「承知しました。クラグスカ様がそう望むのであれば、私に異論はありません。尽力いたします」


 そして、宴は続けられた。

 クラグスカの読み通り、彼の無事な姿を見て、刺客は新たな動きを見せた。クラグスカは予め、手の者に要所を見張らせていた。刺客はその網にかかったのだ。

 こうして、クラグスカは暗殺の危機を無事切り抜けることができたのである。




 その夜。宴も終わり、一段落ついたころ。

 屋敷の最上階に(しつら)えられたテラス。そこにクラグスカとセレニセラスはいた。

 

「今日はあなたのおかげで助かった。改めて礼を言わせてもらいたい。本当にありがとう!」

「頭をあげてください。私は夫となるあなた様に対して、当たり前のことをしただけです。


 深々と頭を下げるクラグスカに対し、セレニセラスは相変わらず、謙虚な態度だった。

 クラグスカはそんなセレニセラスのことが好ましく映った。

 見返りを求めず、ただひたむきな彼女の在り方を、美しいと思った。

 

「それで……毒を仕込んだ者に、お心当たりはあるのでしょうか?」

「まだ特定はできていない。だが、いくつか思い当たる者はいる。私は魔物の討伐で武勲を立てている。また、魔物の素材から得られる利益も小さなものではない。力をつけ始めた貴族を脅威に感じ、刺客を放つのは珍しくないからな」


 クラグスカは吐き捨てるように言った。

 実のところ、毒を仕込まれるのも初めてではない。刺客を撃退したことだって何度もある。

 

 王国は長く平和が続いた。魔物という脅威はあるものの、国内に限って言えば安定している。平和になって余裕が出てくると、次に始まるのは愚かな権力闘争だ。貴族同士の暗殺は、今の世の中ではそう珍しいことではないのだ。

 魔物と言う外からの脅威と戦うことを日常としているクラグスカにとって、人間同士のこうした争いはバカバカしいとしか思えなかった。


「そういうことであれば、提案があります」

「なにかいい案でもあるのか?」

「私を毒見役としてお使いいただけないでしょうか?」


 セレニセラスの唐突な申し出に、クラグスカは言葉を失った。

 言ったことはわかる。だが、その意図が全く理解できない。


「さきほどお伝えしたように、私には毒に関する知識があります。毒への耐性もあります。毒感知の魔法だけでなく、解毒の魔法にもいくつか心得があります。きっとお役に立ちます」

「な、なにをバカな! そんな危険なことを、自分の妻にやらせる貴族がどこにいるというのだ!」

「前の婚約者、コンクラルト伯爵様のもとにいたころは、毒見役をやらせていただいていました」


 その言葉にクラグスカは怒りを燃やした。

 

「コンクラルト伯爵は、そんなひどいことをさせていたのか!」

「違います。私が自主的に始めたことです」

「バカなっ!? コンクラルト伯爵は止めなかったのか!?」

「あの方は褒めてくださいました」


 クラグスカは絶句した。

 信じられない思いだった。


「私はあなたのお役に立ちたいのです。どうか、毒見役を務めることに、ご許可をください」


 クラグスカは戦場で戦うことを日常とする戦士だ。

 戦いを前に、死ぬ覚悟をした者を何人も見てきた。自分自身も、そうした覚悟を常に持ち、戦いに臨んできた。

 

 だが、セレニセラスは違った。あまりに静かだった。眼帯に隠れ、目は見えない。だが、その表情に変化は無い。震えはない。言葉に熱も感じられない。

 彼女は死ぬことを覚悟していない。そして恐れてすらいない。

 おそらく、自分の死を当たり前のことだと考えているのだ。

 貴族の令嬢の在り方ではない。

 

 セレニセラスの生家、スカプガート子爵家を見たあの夜。

 あの時、抱いたバカげた思いつき。セレニセラスという令嬢の在り方は、それが真実であると確信させるものだった。




 スカプガート子爵家の娘はいずれも優秀な才媛だ。

 しかし、健康面で問題も無いのに嫁ぎ先で若くして亡くなってしまう。

 「子爵家の娘は呪われている」「子爵家は初めから短命になるよう娘を育てている」「子爵家を娶る貴族は娘の命を糧に育つ悪魔だ」という醜聞。

 

 これらが全て真実として成り立つとしたら、それはどういうことだろうか。

 クラグスカは思いついた。思いついてしまった。

 戦場における、ごくありふれた初歩的な戦術。

 「囮作戦」ならばありうると。

 

 有力な貴族に嫁いだスカプガート子爵家の娘。

 事務において優秀で、自ら毒見を務めて暗殺を阻む。

 その貴族の台頭を阻もうとする他家にとって、さぞや目障りな存在となるだろう。

 当主の守りは固い。暗殺は容易でない。なら、まず狙われるのは子爵家の娘となる。

 

 通常、当主の配偶者が暗殺されれば、その混乱は大きなものとなる。損失も大きい。

 だが、その配偶者が最初から囮として殺される前提ならどうだろう。

 被害は最小限なものとなる。対応も迅速なものとなるだろう。

 

 子爵家の娘には死んだ直後に、その首謀者を特定する呪いがかけられているかもしれない。呪いはリスクがあるため、普通の貴族はそんことをやらない。だが、死ぬ前提ならば、やっていてもおかしくない。

 

 スカプガート子爵家は、「高級な囮」として、令嬢を送り出している。

 そう考えれば、彼女たちが若くして亡くなることも、それにまつわる醜聞も、すべて成り立ってしまうのだった。




 クラグスカの思いつきは、手にした情報を説明づけられるという憶測にすぎない。

 だが、目の前にはセレニセラスという、スカプガート子爵家の娘がいる。

 事務作業に異常に優れ、毒に関する豊富な知識を有し、毒に対する様々な魔法まで使いこなし、主のために死ぬことを当たり前のように考える娘がいる。

 

 三年も尽くしたコンクラルト伯爵からセレニセラスを離縁したのも、彼がメイディエラ・タレンティカ伯爵令嬢という強力な貴族を迎え入れたからだ。盤石とも言える立場を確保できたから、セレニセラスという「囮」は必要なくなってしまったのだろう。

 


 もし、本当にそうだったら、どうすればいいのだろう。

 

「クラグスカ様、どうか毒見役をお命じください。あなたのお申しつけであれば、私はどんなことでもやりとげてみせます」


 クラグスカは何を言えばいいのかわからなかった。

 もし、目の前の少女が、彼の想像した通りの娘なら……どうやったら救えるというのだろうか。

 そこで、気づいた。彼は、セレニセラスを救いたいと考えているのだ。


「……あなたに毒見役をまかせることはできない。そんなことより、やってほしいことがあるんだ」

「なんなりとお申しつけください」

「では命令だ。『私より先に死ぬな。生き抜くんだ』」


 それは、クラグスカが魔物との戦闘に向かう時。兵士たちに告げる言葉だった。

 彼は指揮官だ。兵士の方が先に死ぬ。戦略上、味方の犠牲を強いなければならない場面もある。それでも、生きぬく意志さえあれば。それだけで、生き残る可能性は大きく上がるのだ。

 

「そ、それは……」


 初めて、セレニセラスが戸惑いを見せた。答えに詰まり、身を小刻みに震わせている。

 

「……眼帯を取るぞ」


 口で断りを入れたが、拒否されようとやめるつもりはなかった。見なければならないと、強く思ったのだ。

 クラグスカは結び目を解き、眼帯を外した。セレニセラスは抵抗もしなかった。

 

 初めてセレニセラスの目を見た。

 薄い灰色の瞳は、うるんでいた。

 泣いていた。悲しみと苦しみにその美しい顔を歪ませ、彼女は泣いていたのだ。

 

 彼女の色は黒と白。影絵のように幻想的な少女だった。

 だが眼帯の下にあったのは、泣きじゃくる迷子のようだった。

 

 もし、セレニセラスが死ぬことを当たり前に考える、ただそれだけの従順な人形なら、クラグスカは救えなかった。クラグスカは、人を守るために魔物と戦う領主だ。心すらない人ならざる者には、救いの手は届かない。

 だが、少しでも意思があるのなら。定められた使命に殉じるだけでなく、生きることを願う心があるのなら。

 それならば救える。救いたいと思う。共に生きたいと思える。


 クラグスカは彼女を手を引きその胸に収め、強く抱きしめた。


「結婚しよう、セレニセラス。私は君と、ともに生きたい」

「わ、私は……私は……」

「セレニセラス。私と一緒にいて欲しい」

「は、はい……あなたがそう、望むなら……私はすべてを尽くします」


 彼女の答えは、未だ使命に縛られた人形の言葉だった。

 急に変われるわけがない。だが、変えねばならない。

 そう、クラグスカは心に決めるのだった。

 

 

 

 クラグスカはセレニセラスと正式に婚約した。

 なるべく早く結婚することを望んだが、様々な手続きもあるし、セレニセラスの生家、スカプガート子爵家側の準備もある。こればかりは多少の時間が必要だった。

 

 それで生活が急に変わったりはしない。

 クラグスカは日々、魔物との戦いに備え、魔物が現れれば戦いに赴く。

 セレニセラスはそんな彼を支えるように、領地の管理のための事務処理に励んだ。

 

 変わったことと言えば、セレニセラスが眼帯を外すようになったことだ。これはクラグスカが頼んだことだった。

 セレニセラスは相変わらず何事に対しても物静かだった。眼帯をつけていた時と変わらず、感情は読めない。それでも、顔半分が見えないよりはずっとよかった。彼女が手の届かない幻想の世界の住人ではなく、いつでも触れられる伴侶と思うことができた。

 

 クラグスカは時間をつくり、毎晩のようにセレニセラスと語らった。

 その日のなんでもない出来事や、思ったことなどについて話した。セレニセラスから何かを語ることは少なかった。クラグスカが語るのを、彼女が聞くことが多かった。それでも、語らいの時は、クラグスカにとって日々の楽しみとなっていた。

 少しずつ、セレニセラスは自然に笑うようになった。


 時折、クラグスカはセレニセラスが自分のもとにやってきた理由について考えた。

 本来、彼女はコンクラルト伯爵のために死ぬはずだった。その用途は失われた。行き場を無くした彼女は、たまたま顔に傷を持つクラグスカに割り当てられたということだろうか。

 スカプガート子爵家の意図はわからない。問い詰めても無駄だろう。でもきっと、彼女を幸せにすることは子爵家の意図に反することに違いない。ならばせいぜい、彼女と幸せな結婚をして鼻を明かしてやろうと考えることにした。

 

 結婚式の日取りも決まり、その準備に忙しくなった。

 様々な手続きが必要になった。会場の手配や招待する貴族への招待状、披露宴の準備など、やるべきことは山積みだった。そんな中でも魔物は襲ってくる。

 クラグスカもセレニセラスも、忙しく働いた。

 そんなときに、その知らせは届いた。

 

 

 

「コンクラルト・マスサイト伯爵が病死なされた」

 

 クラグスカの書斎。そこに呼び出したセレニセラスに対し、クラグスカは厳かに告げた。

 セレニセラスの前の婚約者、コンクラルト・マスサイト伯爵が、急病で落命したとの報告が来た。

 セレニセラスには知らせるべきではない、とも考えた。だが、彼女は領内の事務に深くかかわっている。いずれ知ることになるだろう。

 だからクラグスカは、自らの口から早めに知らせることにしたのだ。

 

「コンクラルト様が……病死……?」


 表向きは病死となっている。だが、その裏は容易に想像ができてしまう。

 おそらくは暗殺だ。貴族が暗殺された場合、その事実を隠すため、病死と報じられるのが世の常識だった。

 コンクラクト伯爵は読み違えたのだ。メイディエラ伯爵令嬢と結婚したことでその立場を確保したつもりだった。暗殺への対策を怠ったわけでもないだろう。

 それでもなお、彼の敵対者を完全に押しとどめることはできなかったのだ。

 

「私……私は……コンクラルト様が亡くなられたのに、私はなぜ生きているのでしょう……?」


 セレニセラスはおかしなことを口走った。

 クラグスカの憶測は当たっていたのだ。子爵家はセレニセラスを、コンクラルト伯爵を守る囮として送り込んだ。彼女をそのために作り上げた。

 婚約解消はしたものの、かつて与えられた使命が彼女を縛り付け、苛んでいるのだ。

 

 クラグスカはセレニセラスを抱きしめた。

 

「コンクラルト伯爵はご自身の判断で行動された。その結果は残念なものだったが、それは彼の背負うべきものだ。あなたが背負うことじゃない」

「でも……でも私……」


 セレニセラスは震えていた。

 その震えを抑え込むように、クラグスカは彼女を強く抱きしめた。

 しばらく、彼女が落ち着くまでそうしていた。

 そして、言わねばならないことに思い当たった。


「あなたはあなたの生きることを考えてくれ。私にしても、戦いの場に身を置く人間だ。この先どうなるかはわからない。もし、私が先に命を落とすことがあっても……あなたはそれに囚われず、どうか自分の人生を生きて欲しい」


 魔物との戦いは常に危険だ。クラグスカ自身、死にかけたことは何度もある。

 自分が命を落としたときのため、遺書は用意してあるし、部下に指示も出してある。可能な限り準備はしえたる。

 ただ、セレニセラスの事だけは心配だった。自分の死後、彼女がどうなるかは気がかりだった。

 そんな思いが出させた言葉だった。

 

 その言葉を受け、セレニセラスは顔を上げた。見えないはずの目を、まっすぐにクラグスカに向けた。

 

「いやです!」


 今まで出したことのないような大声で、セレニセラスは叫んだ。

 

「死なないで下さい! あなたには死んでほしくないのです!」


 セレニセラスから、こんなにも強く、まっすぐな想いを伝えられたのは初めてだった。

 クラグスカが驚きに目を見開いていると、セレニセラスはハッとなった。自分で自分の声に驚いたように目を伏せた。


「す、すみません……私……」


 白い髪と黒いドレス。白と黒だけでできた少女だった。

 しかし今の彼女は、そこに一色が加わっていた。彼女の頬は、薔薇のように赤く染まっていたのだ。

 クラグスカの中で、愛しさがこみあげてきた。

 

「謝ることはない。今のは私が間違っていた。それでいい。それでいいんだよ……」


 そうして二人は抱きしめあった。

 いつまでもいつまで、二人の想いを確かめ合うように、抱きしめあった。

 

 魔物の侵攻は続くだろう。貴族社会の動きもどうなるかわからない。セレニセラスの生家、スカプガート子爵も、今後何か仕掛けてくるかもしれない。


 でも、セレニセラスが自分のことを想ってくれるのなら、どんな相手とでも戦える。

 彼女がいる限り、何があろうと屈することはない。

 クラグスカはそう思うのだった。




終わり

最後まで読んでいただきありがとうございました。

楽しんでいただけたなら幸いです。


2024/9/29

 誤字指摘ありがとうございました! 修正しました!

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