BtoDビジネス
「我が社はこれより、一般悪魔向け市場への参入、すなわちBtoD(Business to Devilds)ビジネスを始めることにする!」
今までのビジネスモデルでは通用しない。そんな危機意識を持った社長の一声で、この大河原商事株式会社に新しく悪魔向けビジネスのプロジェクトが立ち上がることになった。
「みんなも知っている通り、悪魔というのは恐ろしい存在だ」
チームリーダーに抜擢された大河原商事の若きエース、栗林はキックオフミーティングの場でメンバーにそう語った。
「彼らは納期遅延や契約不履行にかなり厳しいことで知られている。一分一秒でも納期が遅れたら契約違反だと言って損害賠償請求をしてくるし、納品物に少しでも瑕疵が見つかった場合なんかには、瑕疵を発生させてしまった原因と今後の対策をまとめた報告書の提出を要求していくる。企業や人間相手にやっていたなあなあの対応なんてものは、悪魔相手には一切通用しないということを肝に銘じてほしい」
リーダの真剣な眼差しに集まったメンバーの顔が引き締まる。
「だが、しかし。これは逆にチャンスでもあるんだ」
リーダはぐるりと周りを見渡し、力強く、そして落ち着き払った声で語りかける。
「さっき行った理由から悪魔向けのビジネスをおこなっている企業は少ない。だからこそ、そのハードルを乗り越えさえすれば、我が社に莫大な利益を持してくれる、最高のパートナーになる可能性を秘めているんだ。
実際、社長にこの悪魔市場への参入を提言したのは私だ。まだ具体的に何をすればいいのかはわかっていない。ただ、ここにはビジネスの匂いがする。それだけは確かだ。決して楽な道のりではない。みんなで一丸となって、このビジネスを成功させよう」
栗林は力強くうなづき、それにチームメンバーも答える。この場にいるみんなの気持ちを汲み取った栗林は、早速ペンを手に持ち、背後に置かれていたホワイトボードにこの日のアジェンダを書きつけていく。
「最初に考えなければならないのでやはり、悪魔に魂を売るための戦略だが────────」
BtoDビジネスは決して易しいものではなかった。それでも、栗林を中心としたチームは一丸となって泥臭い営業を積み重ね、悪魔との商取引を軌道に乗せていった。
後発ではあったものの、悪魔市場の魂売買のシェアを少しずつ広げていき、いつしか、悪魔市場における確固たる地位を築き上げていったのだった。
「あの頃はがむしゃらで、まさに怒涛の毎日といった感じでした。我々のような悪魔と取引をしている会社を快く思わない方もいらっしゃるでしょうし、魂の調達に関連したいくつかの訴訟問題を抱えていることも事実です。ですが、そうした色んな困難を乗り越えて、悪魔市場からの圧倒的な支持を獲得することができたのです」
テレビ局のスタジオ。ビジネス系の情報番組の取材を受けている栗林は貫禄を感じさせる表情で、インタビューに答えていた。
「なるほど、興味深いですね。では、次にどうして御社が悪魔市場におけるシェアをここまで広げることができた理由をお伺いできますか?」
「はい、我々の戦略はシンプルです。質の高い魂ほど売れる。これをモットーにやってきました」
「それはつまりどういうことでしょう?」
インタビュアーの問いに栗林は穏やかに微笑みながら説明する。
「一般的にはまだ、悪魔に魂を売るような人間は、卑しくて、心が汚れた人間だって思われています。確かに今まではそれが事実だったのですが、だからと言って悪魔も好き好んでそのような人間の魂を買ってきたわけではありません。ただ、市場に流通しているのはそんな質の悪い魂だけだからやむをえずその魂を買っていただけで、悪魔だって好き好んでそんな魂を買っているわけではないのです。
私たちが注目したのはまさにそこです。よりよい魂、例えば、心清らかで、清廉潔白な魂、そういったものを悪魔だって望んでいるはずだと。言い換えるのであれば、不満を持ちながらも何の行動も起こせずにいる潜在的な顧客……つまりはビジネスの匂いを感じ取ったわけです。不満はビジネスの種、私はそう信じてます。
もちろん調達には苦労しました。何せ、より良い魂を持った人間ほど信仰心や道徳心が強いですから。それでも、この資本主義社会に生きている以上、いくら聖人であろうと、お金と全く関係のない生き方をすることはできませんからね。それなりの対価を支払い、質の高い魂を手にし、それを悪魔に売りつける。私たちがやってきたのは、たったそれだけなんです」
「悪魔に魂を売った人間は天国にはいけないと言われていますが、そういったマイナスの側面についてはどのように考えられていますか?」
「もちろんその事実は知っています。ただ、我々は無理やり魂を奪っているわけではないです。あくまで魂を売ると決めたのは、その人の意志です。きちんとデメリットをお伝えし、双方合意の上で魂の調達を行なっているんです。そこは全く問題ありません」
それからいくつかの質問が続き、一時間後にようやくインタビューが終わった。そして、最後に、今後の目標を聞かれた栗林はにやりと不敵な笑みを浮かべてこう答えるのだった。
「目標は馬鹿馬鹿しいくらいに大きいが私たちのモットーなんですが、ずばり、悪魔市場における魂売買のシェア率100%です」
それからも大河原商事株式会社は悪魔市場のシェア拡大を進め、馬鹿馬鹿しいとされていた100%のシェア率も、現実味を帯びてくるまでに至った。それに伴い、良質な魂を調達するためのいざこざも増えていったが、それでも、会社の勢いは弱まることなく、彼らの動きを止めるものは誰もいなかった。
功績を買われ、栗林は代表取締役に就任した。重役会議からの帰り道。送迎車の窓から見える街並みを見つめながら、栗林はいつになく感傷的な気持ちで今までの自分の半生を振り返った。まさに怒涛の人生であり、あまり公にはできないようなあくどいこともやった。しかし、彼の頑張りで会社はここまで巨大になった。会社の売上はきちんと従業員へ還元しているし、イメージアップ戦略という側面もあるとはいえ、さまざまな慈善事業だって行っている。多くの人を地獄に落とした一方で、彼の動きにより大勢の人たちの生活を支えていると言うのも事実だった。
だから、自分の人生に後悔なんてないし、これからもビジネスマンとして初心を忘れずに生きていこう。栗林は心の中でそう呟く。家の前に車が止まり、そのまま栗林が車から降りた。その時だった。
「父親の仇!」
かげに潜んでいた若い青年がそう叫びながら、ナイフ片手に栗林に襲い掛かってきた。不意をつかれた栗林は避けることもできず、そのまま胸を刺されてしまう。薄れいく意識の中、栗林の頭に浮かんだのは、自分が死んだら天国に行くだろうか、それとも地獄に行くのだろうか、という問いだった。
*****
栗林が目を開けると、そこには仰向けに倒れている自分を見下ろす草臥れた男性がいた。栗林は自分の胸に手をあて、そこに刺された傷がないこと、そして現実感のない浮遊感から、自分が今死後の世界にいるのだということを直感的に悟った。
それから、栗林は目の前にいる男の顔が、BtoDビジネス初期、マーケティングのため地獄に行った際によく見かけた表情に似ていることに気がつく。
「いや、ここは天国だよ」
栗林の考えを見透かしたように、目の前の男は首を振りながら答えた。
「今は地獄がパンパンになってる都合上、魂を悪魔に売った人間しか地獄にはいけないんだよ。残念なことにね」
残念なことに。男の同情的な表情を不思議に思った栗林は、そこで初めて周囲の様子をじっくりと観察してみた。暗く、荒れ果て、そして何より、天国の住民とは思えないような柄の悪い人間たち。一体これはどういうことだ? 困惑する栗林に、男が丁寧に説明してくれる。
「どういう事情かは知らないけどね、良い魂を持った人間ほど悪魔に魂を売るようになったらしいんだ。悪魔に魂を売った人間は地獄にいくだろ? だから、今では地獄の方が治安が良くなってるんだ。悪魔もそんな魂を買い続けてるからか、性格もどんどん優しくなって、今じゃ天国よりも地獄の方がずっと住みやすくなってるんだよね」
そう言いながら男一冊の雑誌を栗林に手渡す。栗林はパラパラと中身をめくった。雑誌では住みたい街ランキングの特集が組まれており、ランキング上位は天国ではなく地獄にある街で独占されてしまっていた。
「というわけだ、新人くん。君も天国に来るタイミングが遅かったと諦めたまえ」
「一つ聞きたいんだが、ここにいる住民や天使たちはこの現状をどう思ってるんだ?」
栗林の質問に、今度は男が不思議そうな表情を浮かべる。
「どう思ってるも何も……みんなあの頃は良かったと昔を懐かしむだけだな。実は私もこう見えて天使なんだが、あの頃に戻れるんだったら何だってするのに、なんて事を思ったりしてるよ」
その答えを聞き、栗林の胸がざわつく。一体どうしてそんなことを聞くんだ? 男が栗林に質問を投げかける。
「いや、具体的に何をすればいいのかまではわからないんだが……」
栗林は周囲をもう一度確認する。目に映るのは、住民、天使の不満そうな表情。それはまさに、栗林がかつて地獄で目にした、不満を持ちながらも行動を起こせずにいる悪魔たちとそっくりだった。そして、栗林の頭の中には、若き日の記憶が蘇っていた。会社の会議室でこれからの新しいチャレンジに胸を躍らせていた、あの時の記憶が。
「何だか……ビジネスの匂いがするな」